2017年4月30日日曜日

独仏伊一人旅(30) 6月1日(水)ヴェルサイユ宮殿(5)庭園、離宮、そして王妃の村里

宮殿の裏手、北側に広大な庭園(ヴェルサイユ庭園)が広がっていた。おおよそ100万㎡だという。ルイ14世の時代、アンドレ・ルノートルという人の統括のもと、1660年から1680年にかけて形作られた。東西を走る中央軸は、太陽の運行路を表しているという。
雨は止んだが、空は曇り、地面は湿っていて、噴水も見られず、およそ華やかさに欠ける風景であった。

庭園に向かって歩き始めた。宮殿前の「水花壇」から階段を下ったところは、「ラトナの泉水」と花壇であった。
庭園 前方(西方向)に大運河(大水路)が見える
ラトナは、リュキア(トルコ南沿岸)地方の農民の屈辱から子供らを守り、ジュピターに敵討ちを頼むアポロンとディアーヌの母親の伝説(ローマ神話で、女神ラートーナ)に因んだ名前と言い、農民はカエルとトカゲで表されているそうだ。
中央の台座(1670年当時は岩で、1678年から1689年の再整備で大理石の置き換えられたとか)に据えられた「ラトナと4人の子供たち」の群像は大理石で造られている。
ラトナの泉水 ガスパールとバルタザール・マルシー作、1668-1671年
【余談】図録に噴水を浴びる群像の写真は収録されているが、当日は残念ながら噴水は見られなかった。

中央の芝生帯は「緑の絨毯」とも呼ばれる「王の散歩道」(幅40m、長さ335m)が延びていて、「アポロンの泉水」に至り、その先は、十字型の大運河(大水路)である。
王の散歩道・緑の絨毯
【余談】マップによれば、宮殿から大水路まで1㎞、大水路の西端までは3.5㎞だそうだ。

王の散歩道の両側(右:北側、左:南側)の庭園には、木立が縦線と高さで刈り揃えられていた。マップを見ると、木立は小道で幾何学的な様々な模様が描かれていて、それぞれ名前が付けられている。
北側の木立に入ることにして、「王太子の木立」の小道を進んで行ったところで、「フローラの泉水と4人の」()に出会った。南北に、それぞれ対になった2つの泉水があり、四季になぞられ、「フローラの泉水」は春を表すそうだ。
「フローラの泉水 チュビー作、1672-1677年
この後、上の写真に見える小道を進んで突き当たったところで、近道ではないかと右へ曲がり北の方向へ進んだが、行き止まりのようで結局後戻りすることになり、「アポロンの泉水」に至った。
「戦車の乗ったアポロン」を表現する群像は、チュビーという人が1668~1670年に制作しヴェルサイユへ移したのち、翌年設置し鍍金を施したそうだ。大運河は、その直後から工事が始まったという(1668~1679年)。
アポロンの泉水 チュビー作、1672-1677年
池の横を通り過ぎ、マップに書き込まれた「Baillyの散歩道」をたどって、大トリアノンへ向かった。そして、大運河の北端に至った。
大運河(大水路)の北側
大運河に沿って進み、坂道を上がったところで、漸く大トリアノンに辿りついた。
大トリアノンの正面
時計をみると、3時に近づいていた。宮殿を出てから1時間余り歩いたことになる。「マリーアントワネットの離宮」に興味があったので、大トリアノンには入らず、小トリアノンの方へ進んだ。

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