2017年6月26日月曜日

独仏伊一人旅(35) 6月2日(木)午後 ノルマンディ上陸地を訪ねる(3) 記念碑と墓地

バスが着いたのは、オマハ海岸の中央に位置するサンローラン郡の海岸で、D-Day Memorialという米軍第一歩兵師団の記念碑とD-Day60年を記念して創作された彫刻Les Bravesを見学した。

オマハ海岸の上陸部隊の主力は第1歩兵師団と第29歩兵師団であった。この記念碑には、1st Infantry Divisionと刻まれていた。
米第一歩兵師団の記念碑
砂浜の彫刻Les Bravesは、Anilore Banon(1957-)の作品で、2004年、D-Day60周年を迎えるに当たりフランス政府から制作を委託された。この作品は、希望の翼、ライズ・オブ・フリーダム、仲間の翼という3つの要素から構成されているという。
Les Braves Anilore Banon 2004
次いで、Normandy American Cemetry and Memorialに至った。
この上陸作戦では、強襲上陸作戦を実行したアメリカ軍の方が、強靭な防御陣地を築いていたドイツ軍より損害が多かったようだ。墓石数9387、内十字架数9238、ダビテの星数147で、これらの墓石は、東西方向の中央通路の両側に5区画筒合計10区画に配されているという(パンフレットによる)。
記念碑から見た墓地 反射プールの先に墓地が広がっていた。
この記念碑には、女性像"The Spirit of American Youth Rising From the Waves"のほか、つぎのような戦闘図が描かれていた。上方向(南)がフランス西部地帯で、下方向(北)がイギリス海峡である。ドイツ軍は■で示されいた。
上陸前と上陸後の展開
記念碑から右手(北方向)に海岸に至る歩道が作られていて、展望デッキから上陸地を見渡すことができたが、バスに乗る時刻のため僕は見に行かなかった。
オマハ海岸展望台に至る道
バスに戻り、Juno Beachの墓地カナダ軍の記念施設に移動した。

2017年6月4日日曜日

独仏伊一人旅(34) 6月2日(木)午後 ノルマンディ上陸地を訪ねる(2) オマハ海岸、オック岬

バスは田園地帯を走り続けること1時間半あまりでオマハ海岸に着いた。駐車場からガイドの後をツアー一行についていったが、写真を撮ったりしている間に遅れてしまい一人で歩くことになった。
周辺の案内図
オック岬に向かって歩いていくと、様々な要塞跡が保存されていた。これには、誇大なカエルが連想された。

要塞跡
さらに進むと要塞跡の屋根に設置された展望台があった。上って東方向を見ると、生い茂った草に砲弾跡のクレーターが覆われていた。
砲弾跡のクレーター
西方向も同じ景色が見られるなど、この辺り一帯が上陸地として原状を保存されていることが見て取れた。
砲弾跡のクレーター
岬の先端に残された要塞跡、左手にカメの口のように見える隙間は、内部から海上を監視するためのものである。銃眼でもあったかもしれない。この上に米軍の記念碑が建てられていた。

要塞跡の上に建てられた記念碑の足元で、一人の男性がうずくまるような姿勢で何かの取り組んでいた。
米軍の記念碑
その人は、記念碑の碑文に墨を塗っていたのだ。
碑文に墨を塗る人
要塞の内部に米軍兵士の銘板が取り付けられていた。おそらく戦没した兵士であろう。
要塞内の兵士の銘板
【余談】ノルマンディ上陸作戦(正式名「ネプチューン作戦」、パリ解放までの作戦全体は「オーバーロード作戦」と呼ばれるらしい)は、1944年6月6日に始まり7月中旬まで続いた。
連合軍の戦力は12か国軍の156000人(7月下旬には1332000人に達する)、戦果として連合軍のヨーロッパ上陸、西部戦線の構築、パリの開放が挙げられているが、損害は戦死・戦傷が120000人だそうだ。他方、独軍の戦力は380000人、戦死・戦傷113000人という。一昨年、ゲティスバーグの古戦場跡とは異なる様相であった。

指定された2時過ぎに駐車場に戻り、バスで次の上陸地へ向かった。