部屋の中央、壁寄りに無原罪の処女マリアの像が人々を見下ろしているように見えた。4面の大きなフレスコ画は、「1854年12月8日にマリアの無原罪の御宿りの教理が布告されたことを記念して、教皇ピウス9世に依頼された画家フランチェスコ・ボデスティにより、1858年に装飾された」という。
無原罪の処女マリア |
インマコラータの間の先がラファエロの間であった。4つの部屋を、教皇ユリウス2世の依頼を受けたラファエロとその弟子たちが1508年から1524年までにフレスコ画で装飾したそうだ。署名の間が最初で1508‐1511年と言い、ヘリオドスの間、ボルゴの火災の間、最後がコンスタンティヌスの間である。
コンスタンティヌスの部屋のフレスコ画は、「ラファエロの死後(1520年)、彼の下絵に基づき、弟子たちによってフレスコ画が装飾された」という。その中の2点を紹介したい。
(1)ミルウィウス橋の戦い Battaglia di Ponte Milvio
この戦いは、312年10月28日、2人の皇帝コンスタンティヌス1世とマクセンティウスが率いる軍の間で争われたいわば天下分け目の戦争である。激しい戦いの末、前者が勝利を勝ち、「ローマ帝国の西半分」を支配することになった(西方西帝というそうだ)。
ミルウィウス橋の戦い ジュリオ・ロマーノ |
(2)コンスタンティヌス帝の洗礼
もう一つが、これである。コンスタンティヌス1世の在位は、西正帝として312‐324年、全ローマ皇帝として324-337年という。313年ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認した。かくてキリスト教の今日にいたる政治的社会的基盤を用意したことになった。
コンスタンティヌス帝の洗礼 |
10.現代美術コレクション Collzione Arte Religiosa Contemporanea
システィーナ礼拝堂に進んだつもりだったが、その入り口近くで、これまでとは全く異なる絵画をみることになった。ここには、バチカン美術館が保有する約700点の絵画、グラフィックアート、彫刻が含まれるコレクションの一部が展示されていた。
Pieta Rouge 赤いピエタ
Pieta rouge 赤いピエタ マルク・シャガール 1956年 |
11.システィーナ礼拝堂 La Cappella Sistina
漸くたどり着いた。2時を過ぎていた。内部の装飾は、「宗教絵画のシリーズで最も複雑なものの一つ」ということだが、大勢の人々が行き交うなかで壁面と天井を埋め尽くす絵をただ眺めるばかりであった。
写真を撮ることができなかった。代わって、バチカン美術館公式サイトからシスティーナ礼拝堂をゆっくりご覧いただきたい。
2,30分くらい居たか、思いを決して出口に向かった。ショップで家族への土産品としてメモ帳を買ってからよく知られた渦巻形のスロープを下って外へ出た。
※バチカン美術館編は、ショップで購入した図録「ヴァティカン」(日本語版)その他の記載によった。
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