2018年5月31日木曜日

独仏伊一人旅(63) 6月6日(月)午後 ピサの町中

ドゥオモ広場に建つドゥオモ、洗礼堂そして斜塔の周りを見た後、ピサ駅へ戻る途中の風景を紹介しておこう。

どの通りだったかさだかでないが、このような路地もあった。
路地
 たどり着いたところがカヴァリエ―リ広場で、カロヴァ-ナ宮殿に出会った。宮殿の入り口には、Scuola Normale Speriore(ピサ国立大学とか)と表示されていた。
入り口の手前、広場の中央にコジモ1世(16 世紀、メディチ家の一員。トスカーナの有力者)という人の立像があった。この立像と手前の水盤の土台がちょっと奇怪な生き物の形をしていた。
〔背景〕カロヴァ-ナ宮殿 〔手前〕コジモ1世像
宮殿の南隣にこじんまりとしたカトリック教会 Santo Stefano dei Cavalieri があった。この教会正面のファサードも見事な対称形で美しい建物だった。
Santo Stefano dei Cavalieri
ガリバルディ広場

カヴァリエ―リ広場から狭い通り南方向、アルノ川を目指して進んだ。川沿いの通りをメッツォ橋に向かうとちょうど橋の手前、北側にガリバルディ広場があった。広場の中央に、その名の人の立像が設置されていた。
ガリバルディ広場
【余談】コジモ1世は19世紀(1807-1882年)の人、イタリア統一に貢献したことから国民的英雄として人気が高いそうだ。

XXsettembre広場

アルノ川を南へ渡ったところに小さなXXsettembre広場があった。
XXsettembre広場
ヴィットーリオ エマヌエーレ2世像

コルソ・イタリア通りを道なりに歩いていると、ロータリーのような広場に至った。ここに騎士像が建てられていた。ヴィットリオ・エマニュエーレ2世という19世紀、サルデーニャ国王(在位1849‐1861年)、統一後のイタリア王国初代国王(在位1861‐1878年)だそうだ。
ヴィットリオ・エマニュエーレ2世像
ピサ中央駅
ピサ中央駅正面
 ローカル列車

予定より1時間余り早くピサ中央駅に戻ってきた。16:01発フィレンツェSMN駅行き列車は、電気機関車と後に客車5両がつながっていた。
途中、俄雨と落雷のためかしばらく停車したことがあったが、さほど遅れることなくフィレンツェSMN駅に着いた。
ローカル列車
ローマ行き列車は2時間ほどあとなので、市内へ買い物に出かけた。イル・ビゾンテIl Bisonteを目指してアルノ川の方向へ歩いた。地図を見誤ったりしため遠回りをしたようだが、何とか辿り着いた。店内には革製品が並んでいて、戸惑ったが、鮮やかな柿色のトートバッグに目が引かれ、日本人と思われる店員の応対で買うことに決めた。
店を出て来た方向とは反対に進むと華やかな通りに出て、駅の方向へ向かった。駅前の家カフェで時間をつぶしてから、19:33発の高速鉄道に乗り、ローマへ戻った。
列車案内版
Italo9933の車内
Italo9933の車内
明日は帰国日、午前中にパンテオンとナヴォーナ広場を見学し、午後空港に向かい帰途に就く予定でった。

2018年5月21日月曜日

独仏伊一人旅(62) 6月6日(月)午後 ピサ・ドゥオモ広場

サンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅で13時発のローカル電車に乗ってピサへ向かった。1時間足らずでピサに到着した。駅前の案内板で斜塔までの経路を確認して歩き始めた。広場

案内板

イタズラのためか、斜塔などが塗りつぶされているものの、見どころや経路は判読できた。ピサの街が城郭都市であることも良くわかった。
案内板
 アルノ川

上の案内板に見られるように大きく蛇行していることがわかった。
ソルフェリーノ橋から見たアルノ川
 行きに選んだサンタマリア通りのこの辺りでは人通りが少なかった。昼寝時間のためか?
通りをまたぐ建物
 ところが、ドゥオモ広場に近づくと観光客の姿が多くなった。左奥に斜塔の頭部が見えた。
説明を追加
 広場に着いて直ぐ目に入った斜塔(ピサ大聖堂の鐘楼)、この位置(東側)からは左に傾いて見える。すなわち、斜塔は北から南の方向に傾いているということだ。最上階の8階とその下の7階に人影が見えた。
斜塔(1)
ドゥオモ広場

斜塔の西隣(中央)にドゥオモ、さらに西側(左奥)に洗礼堂が並んでいた。
説明を追加
 チケット売り場に行くと、斜塔は1時間待ちと表示されていて、入り口の人が並んでいる様子が見られた。残念だけれど、戻りの時刻を考えて中の見学は諦め、一帯を散歩しながら斜塔、ドゥオモ、洗礼堂の外観を見てまわった。
その折のワンショット、斜塔に立ち向かう女性の雄々しい姿を紹介しよう。
立ち向かう女性の雄々しい姿
ドゥオモの正面外観
ドゥオモの正面外観
斜塔(ピサ大聖堂の鐘楼)

この位置(西側)からだと、右に傾いている。
斜塔
斜塔の入り口
斜塔の入り口
【余談】ピサの斜塔(鐘楼)の高さは55.86m、階段は296段、大理石製。工事は1173‐78年、1272‐78年、1360-72年の3期にわかれ、傾きは第1工期後には傾きは始まっていたそうだ。最上階の8階は傾斜が進んでいたため地上に対し鉛直に建てられたので、7階以下の塔と傾きが異なって見える。傾斜の原因は地盤の土質が不均等であったために、南側が沈下した(不等沈下の事例)。1990‐2001年に改修工事が行われ、安定化が図られた。これに先立って国際コンクールが実施され、優秀作5点の一つに日本の会社の提案が選ばれていたそうだ。改修前は5.5度傾いていたが、改修後は3.99度ということで、「少なくともあと300年は倒れる危険はない」という。
【余談2】国際コンクールは、1972年から1973年にかけて実施され、日本の株式会社鴻池組の提案は最有力で採択されることが期待されていたが、折から勃発した中東戦争の影響でイタリア政府は工事発注を見送ったとのこと。改修工事はそれから16年余後に着工されたことになる。

2018年5月13日日曜日

独仏伊一人旅(61) 6月6日(月)午前 フィレンツェの街歩き(3)

時間に余裕がないため、次にヴェッキオ橋を目指してローマ通りを進んだ。

レプブリカ広場

ローマ通りをヴェッキオ橋に向かって進むと、右側に大きな広場が広がっていた。右手奥(西方向)にメリーゴーラウンドが見えた。
レプブリカ広場
 ヴェッキオ橋 

1345年に再建された。先の大戦でも生き延びた唯一の橋ということだ。
ヴェッキオ橋(川下側から)
 アルノ川

イタリア中部を流れる川で、ファルテローナ山を水源とし、ティレニア海に注ぐ。午後、ピサでも渡った。
アルノ川(川下方向)
 橋上の両側に軒を連ねた宝飾品店

不思議な光景だった。11時半と昼時に近くなっていたが、人通りはまばらだった。
橋上の宝飾品店
ビッティ宮殿

現在は、パラティーナ美術館をはじめ5つの博物館で構成されているそうだ。外観を見ただけで折り返した。1458年に着工で結構古い建物だが、1549年にメディチ家の所有となり改築されたという。
ビッティ宮殿
中央駅へ戻り、構内のカフェでサンドイッチとコーフィーを買い食べながら、13:00発のピサ行きローカル電車の入選を待った。

2018年5月5日土曜日

独仏伊一人旅(60) 6月6日(月)午前 フィレンツェの町歩き(2)

内部の印象は、「装飾の簡素さ」という言葉に尽きると思った。側廊のステンドグラスのほかは、壁に古くは15世紀の半ばから年代を経た彫刻・胸像、肖像画などがひっそりと治まっているように見えた。身廊の奥行き135m、翼廊の幅90mと巨大な空間であるが、そのようには感じられなかった。
身廊 クーポラの下に祭壇
 ファサード(正面口)内側

扉上部、「聖母マリアの戴冠」モザイク(1340年代)
その左右、「天使の楽隊」フレスコ画(16世紀末)
その上、「時計」(1443年)
梁の上、「聖母被昇天」ステンドグラス(15世紀半ば)
ファサード(正面口)内側 時計に注目
大理石の八角堂、祭壇上部の木製の十字架1495~1497年)

身廊と翼廊が交わるところに大理石の八角堂(1550年頃)と祭壇が据えられ、その上部には木製の十字架が取り付けられていた(1495~1497年)。両側に、聖具室への入り口が見える。パンフレットによると、右側は司教座聖堂参事会の聖具室、左側は15世紀の寄木象嵌によるミサのための聖具室という。
大理石の八角堂、祭壇、木製の十字架
 クーポラ(大円蓋)のフレスコ画「最後の審判」(1572~1579年)

3600㎡におよぶ面積のクーポラの内側に描かれたフレスコ画は、下部から頂部へ5段に分けて、「歴史の中での『有用な時間』の終わりに人生における美徳と悪徳に基づいてなされる、その『最後の審判」を通して、『天国と地獄』に対する伝統的な信仰を整然とした様式で明示している」という。中央に「裁き主」が描かれている。
最後の審判
傭兵隊長二コロ・ダ・トレンティーノ騎馬肖像画 (1456年)
(上部左) 傭兵隊長二コロ・ダ・トレンティーノ騎馬肖像画
【余談】描かれている傭兵隊長は当時の著名人だそうで、「公益事業において、才能を正しく活かし達成去れた『歴史的』な名誉を称えているという。