2016年4月27日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(52) 6月6日(土) 午後 ダッハウ収容所(3)

管理棟を出ると、澄み切った青空の下、強い日差しがてりつけていました。右を見ると、堀を越したところに監視塔が立っていました。

(1)監視塔
保安設備・監視塔(一部復元) Security Installations with guard tower 
(2)唐堀Bunker

収容所の周りは、空堀Bunkerがめぐらされていたということですが、一部がこのように復元されていました。左手前方に収容棟、その先にポプラの大木が見えました。中央通路の両脇に、見事な並木に生長していました。
空堀(復元) Bunker
当時のままの堀の一部が管理棟の裏側に保存されているようでしたが、見ないで先へ進み、収容棟に入りました。生活環境が復元されていました。

(3)生活風景

3段ベッド
3段ベッドと板の仕切り(復元)
この部屋"the day room of a barrack"の木の床は、1日に3回、「輝くばかりに雑巾がけ」され、ロッカーはサンドペーパーでかんなにかけられたかのように磨かれということです。
the day room of a barrack(復元)
前出のカタログには、この部屋の原風景を示す写真が収録されていました。確かに、床が輝き、家具の影が鏡に映っているように見えます。
"The wooden floor in the day room of a barrack had to shine like parquet"
次に紹介する写真は、トイレを写したものですが、胸が突かれる思いがしました。
便器か
洗面器か
収容棟を出ると、外は午後の強い日差しが照りつけていました。中央を貫く収容所道路を進み、焼却場を目指しました。


2016年4月23日土曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(51) 6月6日(土)午前 ダッハウ収容所を訪ねる(2)

まず、収容所の1945年当時の航空写真(前出のカタログの付属CDに収録)を紹介します。
この写真で示された1→3→2→6→21の順に、見学しました。
 1.玄関棟
 2.点呼広場
 3.管理棟
 6.収容所道路
 21.ガス室付き焼却場
ダッハウ収容所1945年4月20日   (上:西方向、下:東方向、左:南方向、右:北方向 PDF7.26より変換)
(1)管理棟のなかで、

管理棟の中は、大部分が展示室になっていました。見学者は、ガイドの説明を聞きながら、展示品を見ながら進んでいます。私は、日本語オーディオガイドを借りて、耳に付けていましたが、操作要領がよくわからず、途中から外して、説明文(英語版)の見出しを頼りに、見て歩きました。印象に残ったところを紹介します。
ガイド いずれの国の言葉か良く分かりませんでした。
(2)かってシャワー室だったところ
シャワー室だったところ
シャワー室だったところを示すガラスのパネル
(3)展示パネル1

1930年レマルクの小説をもとに作られた映画のポスター

ポスター(1)
宣伝ポスター(2)
(3)展示品
食器
素域医療器具
(4)展示パネル2 収容所とSSとのつながり

1933年6月収容所司令官に就いたテオドール・アイケTheodor Eicke(1892-1943)が、1933年から1934年の間に、導入した管理組織を示すパネルです。この人が、ハインリヒ・ヒムラーHeinrich Himmlurの下で、収容所を統括していたことが記されていました。
収容所組織構造1933-1934
次の展示は、ダッハウ要員のキャリアパス”Career paths" of the Dachau Personnelというタイトルが付けられたパネルで、ダッハウでの在任期間とその後ポストが記されていました。このパネルには載っていませんが、前出のテオドール・アイケは、後に、全ての収容所の主席監察官、武装親衛隊Waffen SSの中将、SSの”Death's Head"の司令官(大将?)になったそうですが、1943年2月、飛行機墜落事故で亡くなったそうです。
収容所幹部の異動(栄進)
(5)展示パネル3 収容所の担った役割・機能
収容者は、様々な工場に労働力として派遣されていました。航空機や自動車の製造工場など、現在でも良く知られた名前を見つけ出すことができました。
収容者が労働に派遣された工場の一覧
丁寧に見ていくと、時間がどんどん過ぎていました。時計を見ると、午後1時を回っていました。緊張状態が続き、いささか疲れましたが、少し休んでから、外へ出ました。

2016年4月16日土曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(50) 6月6日(土) ダッハウ収容所を訪ねる(1)

ミュンヘン第3日目、予定通りダッハウ強制収容所"KZ-Gedenkstaette Dachau”を訪問しました。

(1)ホテルの朝食

久しぶりにまともな朝食をとることができました。果物と野菜サラダをもっと食べるべきでしたが、ともあれ満足して食べ終わりました。

ホテルプラッツルの朝食
朝食を済ませてから、出かけました。地下鉄S2マリーエン駅で進行方向によって乗車ホームが違うことに気づき、エスカレーターと階段で上り下りしましたが、なんとか方向を間違えずに乗ることができました。電車は、25分ほどでダッハウ駅に着き、地下道を通って外へ出ました。

(2)ダッハウ強制収容所"KZ-Gedenkstaette Dachau"前のバス停

結構大勢の人がバス停へ向かって歩いているではありませんか。乗った726番の2輌連結のバスは満席で、立っている人がいるほどでした。

10分ほどで収容所前のバス停に着き、入り口に向かって歩きました。
厳かな感じがするバス停
(3)収容所の玄関口

真夏のような強い日差しのもとを進んでいくと、右手に収容所の入り口が見えました。
収容所の入り口
(4)収容所の扉

くぐり戸に、"Arbeit Macht Frei"が取り付けられていました。これを押し開けて、中へ入ると、収容所の跡が一望されました。右手にコ字形の管理棟、正面に点呼エリア(中央に記念碑)、左手に収容者の復元された2棟の生活棟と34の生活棟跡がありました。
扉 "Arbeit Macht Frei"
"The Dahchau Concentoration Camp,1933 to 1945"(カタログ、Bookstandで購入、CD付、18€)によれば、ダッハウ強制収容所は、「1933年3月22日、第1次世界大戦以来、使われていなかった軍需工場に開かれ」、「1945年4月29日、アメリカ軍によって解放された」、この間、"the SS"の管理下にあったという。各国・各地に設置された収容所のモデルとなったと言われています。

現地は、The Memorial Siteとして、1965年に開設され、かって点呼エリアであったところに記念碑が除幕されました。バイエルン州政府The Bavarian governmentとダッハウ国際委員会the Comite International de Dachau (CID)が建設協定を結び、70年代、80年代に世界的に関心を喚起する学習と記憶の場として整備developmentが進められました。現在は、CIDによって管理されています。

Concentoration Camp Memorial Site 1969年頃

2016年4月4日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(49) 6月5日(金)午後 高さ1783mの シャフベルグ頂上 

頂上駅から上りはじめ、頂上に近いところで見かけた案内板がありました。広告のようでしたが。

(1)案内板
これに従って、右手の坂を登りました。
案内板(1) 別れ道に設置されていました。
案内板(2) 頂上の標高は1783mとある。
(2)山の風景 3題
北方向にアッター湖Atterseeが見えました。
アッター湖 Attersee オーストリア最大の湖らしい。
絶壁の右方向(西北方向)にモンゼー湖Mondseeが見え、頂上の高さを実感することができました。
山小屋風レストラン 右はモンゼ―湖Mondsee
左(東南)から右(南西)方向の遥か彼方に東アルプスの山並みが望めました。
遥か彼方にアルプスの山並みを望むことができました。
この写真を撮ってくださった日本人男性とこのシャフベルグ登山鉄道で登ることを勧めてくれたKさんに感謝します。

(3)花 3題
花(1)
花(2)
花(3)
(4)2人のハングライダー
遥か遠くに、東アルプスの雪を頂いた連山が望めるところで、休んでいると、2人の若者がやって来て、バッグからウイングを取り出し、広げ、身に付けたと思うと、少し駆け下りて飛んでいきました。一人は、ゆったり飛び、対岸まで飛んで行ったところが見えましたが、もう一人は初心者らしく、上手く風に乗れなかったのか、近くに降りていったように見えました。
ハングライダー(1) 対岸まで飛んでいきました。
ハングライダー(2) 対岸まで行けたかどうか。
(5)機関車
機関車には、蒸気式(実は、電気モータ駆動という。)とディーゼルエンジン式の2種類があるそうで、私が乗車した列車は上り下りとも蒸気式機関車でした。途中、上下が交換するところで、ディ―ゼルエンジン式機関車と行違いました。
蒸気機関車 右側面
蒸気機関車 左側面
頂上駅に並んだ蒸気式機関車
中間点で上り下りが交換する。ディーゼルエンジン式機関車
帰途は順調で、ザルツブルグ駅を18:17に発車し、ミュンヘン中央駅に20:10に着きました。駅から歩いてホテルに戻りました。夕食は、ホテルのレストランで、マスの料理とワインを注文しました。部屋に戻り、風呂に入ってから体を休めました。

ザルツブルグの町を散歩することはできませんでしたが、シャフベルグ登山鉄道で頂上に登り、アルプスの山並みを望むことができたことに感謝しながら眠りにつきました。明日は、ダッハウを訪ねる予定です。

2016年4月3日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(48) 6月5日(金)昼 シャフベルグ駅から頂上駅へ25分の旅

登山鉄道の発車まで少しの時間ながら、付近を散歩しました。

(1)湖の風景

桟橋から見えた風景2枚を紹介します。

シャフベルグ桟橋の向こうに教会の塔やリゾートマンションらしい建物が見えました。
シャフベルグ桟橋
次いで、対岸の山並みです。
対岸の山並み
(2)シャフベルグ駅

チケット売り場には、お客さんが並んでいました。私は、購入してきていましたので、乗車時刻12:20を打刻してもらいました。
シャフベルグ駅
頂上から下ってきた機関車と客車が、ホームに入ってきて、乗客を降ろしました。駅員が、給水したり、車体を洗っていました。
登山鉄道の到着
(3)登山鉄道・車内風景

木製のベンチが向き合う形です。幸い早くから待っていたこともあり、左の窓側に座りました。上りはじめ、しばらくすると前の方からアコーディオンの音と歌声が聞こえてきました。元気な老人が立ち上がり、演奏しながらオーストリア民謡を唄ってくれました…鉄道会社のSpecial Offerらしい。車内の雰囲気が、外の風景と合わさって、明るく高揚し手賑やかになりました。
満席の車内風景 前方の立っている男性がアコーディオンを奏で歌う
 (4)登山鉄道・車窓から見た風景

上る途中、どの斜面を走るかによって、左側の見晴らしが良かったり、右側が良かったりしました。次の2枚の写真を見比べてください。
車窓から見たウォルフガング湖 進行方向左側
上る勾配を読み取れますか。何度くらいあるのでしょうか。
車窓から見た風景 進行方向右側
(5)シャフベルグ頂上駅ホーム

上ることおおおよそ25分、⒓:55ごろ頂上駅に着来ました。混んでいる時(又はシーズン)は、まず下りの予約を取る必要があります。ホームから階段を上ったところに窓口があり、14:55発を予約できました。
頂上駅 機関車