2015年12月28日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(30) 6月1日(日) ワルシャワ旧市街、王宮前広場から宮殿内部へ

ようやく、旧王宮前に辿り着きました。先の大戦で壊滅したそうですが、良く復旧したものだと感心しました。
旧王宮前広場
 右手:旧王宮 左手:ジグムントⅢ世ヴァーサの像(石塔の上部)、城壁址(赤レンガ)
【余談】 ヨーロッパの古代と中世の間(4世紀から8世紀)は、「ゲルマン民族の大移動」が興るなど、民族移動時代と呼ばれています。その後、各地に王国が建てられました。そのなかの一つが、ポーランド王国で、1025年に始まり、ミェシュコⅠ世が戴冠しました。この王国は1569年まで続き、この間の14世紀にリトアニア大公国と合同し、ポーランド・リトアニア共和国を形成しました。この共和国は、当時人口や領土においてヨーロッパ最大の国家といわれました。

ジグムントⅢ世ヴァーサという人は、このポーランド・リトアニア共和国の王(1587-1632)で、スウェーデン王(1592-1599)でもありました)、1596年に都をクラクフからワルシャワへ遷させました。
 
王の碑は戦災で粉々になりましたが、これらを拾い集め復元したということです。王の碑の西側(左)には、赤いレンガ造りの城壁バルバガンの跡が残っていました。
王宮内の中庭 右手が入り口で入場券売り場がある
王宮の中庭に入り、左手の入口のなかで入場券を買いました(23ズウォティ)。クロークに荷物を預け、ガイドマップに沿って1F(日本風に言えば2階)に上がり、見学を始めました。そうしたなかで、印象深いシーンを写真で紹介します。


【入場した時刻は10時ちょうど、次にギャラリーに入った時刻から計算すると1時間20分近くを見学に費やしたことになります。

最初は、The Great Assenbly Hall大会議室と呼ばれる広い部屋に入ったところで、窓から見た風景です。やや東北の方向に向かっていて、手前に緑の庭園、その先にヴィスワ川、さらに遠くに教会の2つの尖塔が見えました。
大会議室の窓から見た風景 緑の庭園、ヴィスワ川、二つの尖塔
次は、同じ大会議室の天井画です。どういう光景なのか、ストーリーがあるのかわかりませんでしたが、明るい色彩で描かれていながら、ちょっと恐ろしい感じがしました。

三番目は、王冠の間と記された部屋の玉座です。部屋のインテリアは、1784-86年にデザインされたもので、後ろの壁かけと天蓋には、86個の鷲が銀の糸で刺繍されているとか。これらは、第2次大戦中に分捕られ残っていたものをもとに復元したそうです。
玉座
次に紹介する絵画は、ヤン・マテイコ(ポーランドの画家)の1891年の作品で、「1791年5月3日憲法」という名前が付けられていました。当時は、ポーランド・リトアニア共和国の時代で、王はスワニスワフⅡ世です。この憲法は、アメリカ合衆国憲法に次いで先進的な民主憲法と言われています。絵の中央右寄りの人物スタニスワフ マラコフスキStanislaw Malachowski(国会議長、憲法署名人の一人)が右手に掲げる文書にこの憲法が書かれているそうです。左寄りの赤いマントを着けた人物が王のスワニスワフⅡ世、また、右端、馬上の将校は、王の従弟、ユゼフ・ポニャトフスキということです。
ヤン・マテイコ 5月3日憲法
最後に紹介するのは、ギャラリーのレンブラント(1606-1669)の作品が展示されている部屋です。宮殿を見終って一端外へ出ましたが、レンブラントの作品が展示されているというガイドブックの記事を思い出し、改めてギャラリーの入場券を買い、中へ入りました(入場料21ズウォティ)。入ってすぐのところに、展示室がありました。素晴らしい作品でした。左がGirl in Picture Frame(額縁のなかの少女)、右がScholar at Writing Table(机の前の学者)という作品です。川村記念美術館でレンブラントの作品を見たことがあるだけに、興味深く鑑賞しました。
ギャラリーのレンブラントの作品が展示されている部屋
【余談】 これらの2作品は、1994年にKarolina Lanckoronskaから王宮に寄贈された絵画の一部でです。少女の絵は、1641年の作ということです。2010年に東京富士美術館において、ポーランドの至宝として展示されたことがあるそうで、その折のブログを読むと、結構な歴史があるようです。

監視員のいない折に写したためか、ピントがあっていません。お許し願いたい。見終わってから、次の部屋へ、次の部屋へと進むと、王宮で使われていた調度品や食器、武具や武器などが展示されていて、他に見ている人もなく、監視員に怪しげに見られているようで、気分はよくありませんでした。明るい外へ出て、ほっとしました。

2015年12月9日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(29) 6月1日(月) 旧市街を目指して歩くと

ホテルを出て、文化科学宮殿に向かって歩きました。非常に幅広いE.Plater通りを左(北方向)に曲がったところで、こんな光景に出会いました。何かの撮影風景で、モデルと思しき女性が回転ドアのまえで、指示を受けているようにみえました。路上のオープンカーには、サングラスをかけた3人がなにやらおしゃべりをしていました。

その脇を通り過ぎて進むと、スターバックスの看板が見えましたので、中へ入り、コーヒーとシナモンロールを注文し、階上のフロアで、ベンチタイプの椅子に腰掛けて飲み、食べました。ロールの味はニューヨーク、東京と違いは感じませんでした。  
モデルに指示する女性
地図を頼りに、北へ進み、突き当たったところを右(東方向)に曲がり、道なりに進んでいくと樹木が鬱蒼と茂る公園サスキSaski庭園に辿り着きました。進む方向に間違いはなかったようで、公園のなかに入り、進んでいると噴水があるところにきました。その先に門か塔のような構造物が見えました。無名戦士の墓でした。2人の兵士が銃を持った姿勢で火を守っていました。
無名戦士の墓 両脇に2人の兵士が屹立していました。
墓の前のピルサドスキー広場を通り過ぎ少し歩くと、王宮へ向かうクラクフ郊外通りに出ました。まだ観光客が来る前のようで、人通りも車も多くは見られませんでした。
旧王宮への道
王宮前広場に向かって進んでいると、アパートのような建物の3階の窓が開いていて、若い女性の姿が目に入りました。読書をしているのか、それとも携帯電話でも見ているんか、東から降り注ぐ火を浴びて、気持ちよさそうに立っている姿は結構魅力的に見えました。
窓辺で?する若い女性
旧市街にある王宮まであとわずかです。

【余談】 前回紹介した「ワルシャワのTOP10」によれば、「旧市街には、700年の歴史があります。第2次世界大戦で完全に破壊されましたが、その後ゼロから復元されました。」とあります。