旧王宮前広場 右手:旧王宮 左手:ジグムントⅢ世ヴァーサの像(石塔の上部)、城壁址(赤レンガ) |
ジグムントⅢ世ヴァーサという人は、このポーランド・リトアニア共和国の王(1587-1632)で、スウェーデン王(1592-1599)でもありました)、1596年に都をクラクフからワルシャワへ遷させました。
王の碑は戦災で粉々になりましたが、これらを拾い集め復元したということです。王の碑の西側(左)には、赤いレンガ造りの城壁バルバガンの跡が残っていました。
王宮内の中庭 右手が入り口で入場券売り場がある |
【入場した時刻は10時ちょうど、次にギャラリーに入った時刻から計算すると1時間20分近くを見学に費やしたことになります。
最初は、The Great Assenbly Hall大会議室と呼ばれる広い部屋に入ったところで、窓から見た風景です。やや東北の方向に向かっていて、手前に緑の庭園、その先にヴィスワ川、さらに遠くに教会の2つの尖塔が見えました。
次は、同じ大会議室の天井画です。どういう光景なのか、ストーリーがあるのかわかりませんでしたが、明るい色彩で描かれていながら、ちょっと恐ろしい感じがしました。
大会議室の窓から見た風景 緑の庭園、ヴィスワ川、二つの尖塔 |
三番目は、王冠の間と記された部屋の玉座です。部屋のインテリアは、1784-86年にデザインされたもので、後ろの壁かけと天蓋には、86個の鷲が銀の糸で刺繍されているとか。これらは、第2次大戦中に分捕られ残っていたものをもとに復元したそうです。
玉座 |
次に紹介する絵画は、ヤン・マテイコ(ポーランドの画家)の1891年の作品で、「1791年5月3日憲法」という名前が付けられていました。当時は、ポーランド・リトアニア共和国の時代で、王はスワニスワフⅡ世です。この憲法は、アメリカ合衆国憲法に次いで先進的な民主憲法と言われています。絵の中央右寄りの人物スタニスワフ マラコフスキStanislaw Malachowski(国会議長、憲法署名人の一人)が右手に掲げる文書にこの憲法が書かれているそうです。左寄りの赤いマントを着けた人物が王のスワニスワフⅡ世、また、右端、馬上の将校は、王の従弟、ユゼフ・ポニャトフスキということです。
ヤン・マテイコ 5月3日憲法 |
ギャラリーのレンブラントの作品が展示されている部屋 |
監視員のいない折に写したためか、ピントがあっていません。お許し願いたい。見終わってから、次の部屋へ、次の部屋へと進むと、王宮で使われていた調度品や食器、武具や武器などが展示されていて、他に見ている人もなく、監視員に怪しげに見られているようで、気分はよくありませんでした。明るい外へ出て、ほっとしました。