2017年3月13日月曜日

独仏伊一人旅(26) 6月1日(水)ヴェルサイユ宮殿(1)

朝7時に起床、8時前にホテルを出た。スターバックスで、パンとカフェラテ、そして水を買った。カフェラテを飲み、パンを食べて腹ごしらえをした。
オペラ駅からメトロ7号線に乗り、Invalidesアンヴァルド駅でPER Cラインに乗り換え、ヴェルサイユVersailles-Chateauへ向かった。
通勤時間帯で、車内は混んでいたが、いくつ目かの駅で席が空き、座ることができた。路線図と車外、車内を代わる代わる見ながら過ごした。お喋りする人は少なかった。ほぼ40分ほどで、Gare de Versailles Chantiers駅に着いた。当初予定した駅Versailles-Chateau Rive Gaucheではなかったが、そうと知らないままに降りてしまった。
周りを見渡したが、宮殿へ向かう人は見られなかったので、携帯のマップで経路を確かめて歩き始めた。10分以上は歩いたと思うが、ようやく宮殿が見えるところまできた(予定駅はもっと近かった)。
アルム広場 右:ルイ14世騎馬像
ルイ14世の騎馬像を横目に見ながら、アルム広場を進んでいくと外の格子門があり、これろ通り抜けたところで、手荷物のセキュリティチェックを受けてさらに進むと金色の中央格子門があった。
右側の「大臣庁舎の北翼」の建物の入り口から入ってチケット売り場を探したが、見当たらなかった。そこで、一旦「正面中庭」にでると南翼の建物にあるらしく、人が向かっていく方向へ進んだ。中へ入ると、売り場があった。
チケットは1日券と2日券があったが、1日券(15€)を購入し、マップ(日本語版)をもらった。
正面中庭
再び、正面中庭を横切り、北翼の建物に入ったところから長い見学が始まった。時刻は10時を過ぎていた(予定より1時間ほど遅くなった)。



2017年3月3日金曜日

独仏伊一人旅(25) 5月31日(火)夕刻 パリのノートル・ダム大聖堂からバスティーユ広場へ

サン・ミッシェル・ノートル・ダム駅で降り、地上へ出て、直ぐそばの橋をシテ島へ渡っていると、セーヌ河が増水して流れが速いことがわかった。
セーヌ河左岸 左側がシテ島
渡ったところは大聖堂前の広場で、何かイベントでも開かれたのか開かれるのか、テントが張られていて、地面に機材が置かれているなど、神聖な感じがしなかった。
大聖堂前の広場
南(左)側の入り口(聖アンナの扉口)から内陣へ入ると、夕べのミサが行われていた。警備員らしい大きな男が祈りに来た信者と観光客を振り分け、大きな声で話す観光客に”静かに”と注意していた。最後部に近いベンチに腰かけ、司祭の声や聖歌隊の歌、オルガンの響きに包まれながら、体を休めた。
奥は後陣、主祭壇上に栄光の十字架とピエタ 手前は外陣
【余談】ガイドブックによれば、主祭壇上のピエタ(若いキリストの死を悲しむ聖母の彫刻、1723年)の両側に、ルイ13世(右側)とルイ14世(左側)が聖母マリアに拝礼する像(いずれも1715年)が配置されている。ルイ13世は、自分の王冠を聖母マリアに捧げている姿だそうだ。

1時間ほど経って祈祷が終わり、参列した信者に司祭から聖餐が与えられていた。
聖餐を受ける信者
1時間ほど休んだ後、内陣を見学して、ガイドブック(英語版と日本語版)、記念のメダルを購入してから外へ出た。

【余談】ちなみに、ノートル・ダムは、「我々の貴婦人」と呼ばれる幼児を抱いた聖母マリアということらしい。従って、フランスの各地に、ノートル・ダムがある。パリ大司教座聖堂が正式の名称。1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。

大聖堂の基本情報(ガイドブックによる)
・建設 後陣1163-1182年、外陣1180-1200年、ファサード1190-1220年、
    翼廊1250-1270年
・高さ 尖塔spire96m 塔tower69m アーチ天井下vault33m 屋根下roof43m
・長さ 翼廊trasept12m 聖歌隊choir36m 全体total128m 身廊nave60m 
・はば 翼廊trasept48m 身廊nave12m

時刻は6時を回っていた。メトロ1号線を目指し、セーヌ川右岸とシテ島にかかるアルコル橋を渡って、オテル・ド・ヴィル駅へ向かった。
アルコル橋から見たセーヌ河 右はシテ島、正面はサン・ルイ島
どの通りを歩いたのか記憶がさだかでないが、何とかたどりついた1号線の駅ホームで不思議な車両を見た。ゴム輪鉄輪併用の車両で、1号線だけに走っているそうだ。
メトロ1号線 MP89系車両 ゴム輪鉄輪併用
【余談】ゴム輪鉄輪併用の車両では、ゴム輪は支持と駆動、鉄輪は進行方向の案内、と機能を分けているそうだ。

バスティーユ駅に着いて、地上へ階段を上るとオペラ・バスティーユの前に出た。雨は止んでいなかった。
オペラ・バスティーユ 1989年完成
バスティーユ広場の中央に、「7月の円柱」と称される記念塔が立っていた。1840年に完成した歴史的建造物である。塔頂に、黄金の天使像が据えられていて、自由の象徴とされているらしい。
7月の円柱 1840年完成
【余談】バスティーユは、フランス革命の発端となった、襲撃された監獄があったところで、それにちなむ遺跡をたどる予定であった。残念なことに、天気と日中の歩きで体力を消耗したため、早々にメトロ8号線に乗ってホテルへ戻った。「7月」は革命記念日の1789年7月14日(1890年フランㇲ建国記念日、現在フランス国民祭、パリ祭もしくはパリまつには日本だけ、英語圏ではバスティーユ・デイ)に由来する。

夕食は、ホテルの斜向かいのすし屋で、握りを食べて済ませた。暖かいシャワーを浴びてから、一日を振り返り、翌日の予定を確認して、晴れると良いなと思いながら眠りについた。翌日、日中はヴェルサイユ宮殿を訪ね、夜はオペラ・ガル二エで「魔王」を観る予定だった。