セーヌ河左岸 左側がシテ島 |
大聖堂前の広場 |
奥は後陣、主祭壇上に栄光の十字架とピエタ 手前は外陣 |
1時間ほど経って祈祷が終わり、参列した信者に司祭から聖餐が与えられていた。
聖餐を受ける信者 |
【余談】ちなみに、ノートル・ダムは、「我々の貴婦人」と呼ばれる幼児を抱いた聖母マリアということらしい。従って、フランスの各地に、ノートル・ダムがある。パリ大司教座聖堂が正式の名称。1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。
大聖堂の基本情報(ガイドブックによる)
・建設 後陣1163-1182年、外陣1180-1200年、ファサード1190-1220年、
翼廊1250-1270年
・高さ 尖塔spire96m 塔tower69m アーチ天井下vault33m 屋根下roof43m
・長さ 翼廊trasept12m 聖歌隊choir36m 全体total128m 身廊nave60m
・はば 翼廊trasept48m 身廊nave12m
時刻は6時を回っていた。メトロ1号線を目指し、セーヌ川右岸とシテ島にかかるアルコル橋を渡って、オテル・ド・ヴィル駅へ向かった。
アルコル橋から見たセーヌ河 右はシテ島、正面はサン・ルイ島 |
メトロ1号線 MP89系車両 ゴム輪鉄輪併用 |
バスティーユ駅に着いて、地上へ階段を上るとオペラ・バスティーユの前に出た。雨は止んでいなかった。
オペラ・バスティーユ 1989年完成 |
7月の円柱 1840年完成 |
【余談】バスティーユは、フランス革命の発端となった、襲撃された監獄があったところで、それにちなむ遺跡をたどる予定であった。残念なことに、天気と日中の歩きで体力を消耗したため、早々にメトロ8号線に乗ってホテルへ戻った。「7月」は革命記念日の1789年7月14日(1890年フランㇲ建国記念日、現在フランス国民祭、パリ祭もしくはパリまつには日本だけ、英語圏ではバスティーユ・デイ)に由来する。
夕食は、ホテルの斜向かいのすし屋で、握りを食べて済ませた。暖かいシャワーを浴びてから、一日を振り返り、翌日の予定を確認して、晴れると良いなと思いながら眠りについた。翌日、日中はヴェルサイユ宮殿を訪ね、夜はオペラ・ガル二エで「魔王」を観る予定だった。
夕食は、ホテルの斜向かいのすし屋で、握りを食べて済ませた。暖かいシャワーを浴びてから、一日を振り返り、翌日の予定を確認して、晴れると良いなと思いながら眠りについた。翌日、日中はヴェルサイユ宮殿を訪ね、夜はオペラ・ガル二エで「魔王」を観る予定だった。
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