小トリアノンの入場チケットを購入したものの、滞在できる時間から内部の観覧はせず、「王妃の村里」へ向かった。
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「王妃の村里」から見た小トリアノン 1763-68年 |
【余談】この宮殿は、「王の寵姫ではなくなった後も友人であり続けたポンパドール侯爵夫人が、《王の退屈しのぎ》のために率先して計画し」、1763年から1768年にかけて建設されたが、完成時には夫人は亡くなっていたそうだ。
1774年、ルイ16世は、妻のマリーアントワネットにトリアノンの領地を与え、宮廷から離れた生活を送れるようにしたという。
愛の殿堂
1778年、ㇼシャール・ミックによって建てられた「愛の殿堂」は、小トリアノンの寝室から眺められるすべて大理石の建物で、中心に「ヘラクレスの棍棒で弓を作るキューピッド」像が置かれていた。
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愛の殿堂 Le Temple de l'Amour |
【余談1】中央の彫刻「ヘラクレスの棍棒で弓を作るキューピッド」をめぐる話。この彫刻は、ルイ・フィリップ・ムーシーという彫刻家が作ったけれども、エドム・ブーシャルドンという別の彫刻家が作った同名の傑作(のコピーだそうで、その原型は、ルーブル美術館にあるという。二人はともにフランス彫刻界で認められた人だ。
どうしてこういうことになったのか、その理由は原型のキューピッドの姿に問題があって、ポンパドール侯爵夫人は賞賛したけれども、1750年宮殿に置かれたときは反対の声が強かったというのだ。
【余談2】愛の殿堂をめぐる悲恋のエピソード。マリーアントワネットは、ここで、スウェーデン貴族フェルセン伯爵(1755.9.4-1810.6.20)と逢瀬の時を持ったという。よく知られた「ベルサイユのばら」のモデルである。
目指した王妃の家は、改修工事中で、家全体が仮設足場で囲まれていたため、展示のパネルで全体像を掴むほかなかった。
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足場に囲われた王妃の家 |
王妃の家はこじんまりとしたつくりであることがわかる。
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王妃の家(パネル) |
王妃の村里には、王妃の家のほか、農家が数軒保存されていた。1783-1784年に建てられ、農夫が住まわせられ、農場で耕作をしていた。大きな建物から小さな建物、崩壊した跡地、ブドウ畑、アヒルやハトを飼育している建物など、ベルサイユ庭園とは全く異なった風景が見られた。ノルマンジーの農村を再現したのだそうだ。
池の畔に「マールボロの塔」と名付けられた見晴らし塔があった。あるブログによれば、「当時のフランスの農民の間で、流行っていた有名な歌の中でイギリスの将軍、初代マールボロ侯爵ジョン・チャーチルから来ている」という。あのチャーチル首相の先祖である。
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マールボロの塔 |
村里を出て、小トリアノン前から遊覧用ミニトレインに乗ってベルサイユ宮殿へ戻り、そして、駅へ向かった。