地図アプリで検索し出て来たバスに乗り、最寄りのバス停で降り、入り口に向かった。懐遠門を通リ抜けると、門前のような瀋陽路の両側には観光客相手の店が並んでいた。そのなかで麺店を選んで入り、水餃子20個ばかりを一気に食べた。
さらに進むと、故宮らしい建築物が見えてきた。大清門から入場した(入場料60元のところ高齢者は無料)。最初に目にしたのは、崇政殿だが、改修工事中のため全体の姿を見ることはできなかった。
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改修工事中の崇政殿 |
【余談】瀋陽故宮は、後金から興った清朝の発祥地。清の太祖(初代皇帝)ヌルハチ(満州語)、太宗(第二代皇帝、皇太極コウタイキュウ)ホンタイジ(満州語)が建てた宮殿だ。現在、瀋陽故宮博物院として公開されている。面積は6万㎡(北京の12分の1くらいとか)、東路、中路、西路の3エリアに区分され、114の建築物が現存しているという。
2004年、北京故宮博物院と合わせて、世界文化遺産に登録された。
中路の崇政殿を通り抜け、階段を上った一段高いところに3階建ての鳳凰楼が建っていた。
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鳳凰楼(南側) |
鳳凰楼は後金の1627年から1636年にかけて建立された3層の建築物で、当時瀋陽では最も高いとされていた。1層に取り付けられた扁額は「紫気東来」と読むそうだ。香り高い気が東からやってくる、明から清に王朝が変わったことを示しているという。
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鳳凰楼の扁額「紫気東来」 |
ここは、周囲が高い壁に囲まれた後宮で、鳳凰楼のほか、皇帝や妃の宮殿が建てられていた。
永福宮は、鳳凰楼の右手(西側)で、内部にホンタイジの庄妃の寝室が設けられていた。この宮殿では、第三代皇帝の順治帝が生まれそうだ。
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永福宮 |
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寝室 |
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ホンタイジの荘妃 |
清寧宮は、鳳凰楼の北側、中庭越しに対面するように建てられていた。ここは、ホンタイジとその皇后の寝室が設けられているほか、貴族との接見や祭祀に使用された場所であるという。
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清寧宮(中宮とも) |
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祭祀の場所 |
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ホンタイジ(第2代皇帝)の肖像 |
関睢宮、ホンタイジの宸妃(同じく庄妃の姉)の寝室である。
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間誰宮 |
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寝室 |
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ハンモック? ゆりかご? |
後宮の裏手(北側)には厨房があり、その中に磨房と呼ばれる建物があった。その中に巨大な石臼が一台据えられていた。
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磨房 |
次に東所へ進み、敬典閣を見た。東所は、乾隆帝の時代(1716-1718年)、中路と東路の間に敬典閣をはじめいくつかの建物が建てられた。この建物に王牒が保管されたという。
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敬典閣 |
東路に入ると、広場の北寄りに大政殿が見えた。大政殿は、清の太祖ヌルハチが瀋陽に遷都する際に建立され、瀋陽故宮のなかでは最も早い。
大政殿は東路の正殿、八角形をしていた。正面の2本柱には、皇帝の象徴とされる金の龍が絡みついていて、驚かされる。内部には玉座が据えられ、ヌルハチ(初代皇帝)はここで盛大に式典を行ったというが、ほこりが積もっているようで残念ながら見栄えがしなかった。
広場の両側に、5棟ずつ合わせて10棟、十王亭というそうだが、並んでいた。左右大臣(翼王)の執務室が2棟、八旗それぞれの建物が8棟である。
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大政殿の正面 |
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大政殿(内部) |
時計を見ると4時近くなっていた。瀋陽故宮で残る西路や西所の見学は諦め、この日最後の目的地、張氏師府へ行くことにした。