北京三日目朝8:30、ホテルを出て、地下鉄宣武門駅へ向かった。地下鉄には乗らず、バスに乗った。2階建てでその最前列に座り、目の前の風景を夢中に見ているうちに前門が近づいてきた。
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正陽門(通称前門) |
前門というのは通称で、正式名称は正陽門というそうだ。南北に2つ、南側は箭楼、北側が正陽門である。もともと一つの城門だったが、現在は周辺の再開発により二つの門が残った。箭楼は名の通り武器弾薬庫であった。その南側は前門大街で、北京の下町ともいうらしい。窓のように見える厳めしい感じがするところは、矢や鉄砲を打つ銃座のように見えた。
この辺り一帯はもと北京城で、故宮を擁する内城とその南側に外城があったそうだ。正陽門は内外を結ぶ要衝だった。ちなみに、地下鉄2号線は内城の城門と城壁に沿って建設されている。
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正陽門(箭楼)の南側 |
箭楼が外城から押し寄せる敵をせん滅し、内城を防衛する使命を持っていることがわかった。
迂回するように東側から北へまわると上る階段が見え、通路の先には前門大街の街路樹が見えた。
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正陽門(箭楼)の北側 |
振り向くと、正陽門の南側、箭楼とは対照的で優雅な城門であった。通路を通して毛主席記念堂の玄関(実は出口)が見えた。
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正陽門の南側 |
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左 正陽門(箭楼) 右 正陽門 |
正陽門を、箭楼と同じように東側から周り、毛主席記念堂の前をとおり、人民大会堂へ向かった。
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毛主席記念度堂(廟) |
記念堂前の左右に二つの彫像が据えられていた。東側は軍人で、武器を構え勇ましい姿である。
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東側の彫像 軍人 |
西側は、農民や学生、学者や労働者か、先頭の若い男は大部な書物を左手に掲げ、若い女はたわわに実った稲穂の束を両手で掲げていた。東西とともに、高く掲げられた、風にはためく旗には、毛主席の横顔が浮彫されていた。
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西側の彫像 農民、知識人 |
人民大会堂へ入る入り口は敷地の東南の角にあり、すでに2,30人がたむろしていた。8時45分、入場が始まった。