中国国家博物館の北口を出て、バスに乗り、天安門を横目で見ながら天壇公園西門に向かった。西門前の食堂で簡単に昼食を摂って、西門から入場し、前日見られなかった斎宮を目指した。
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バスの中から |
斎宮は、明の永楽18年(1420年)に、皇帝が天壇で祭祀を行う前に斎戒するために建立された宮殿という。
堀に架かった石橋を渡り、東門から中へ入った。
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斎宮東門 |
「無梁殿」に向かう通路の中ほどで右手(北側)に鐘楼「鍾人亭」が見えた。
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鍾人亭 乾隆「銅鍾」 |
左手には、鉄棒に囲まれた「時辰亭」があった。
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時辰亭 |
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銅人亭 |
無梁殿 皇帝は、ここで斎戒するという。梁と柱がないことからこの名前で呼ばれるようになったらしい。
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無梁殿 扁額「敬天」 |
無梁殿の中央の間の奥(西側)に東に向かって祭壇が配置され、「欽若昊天」という乾隆帝の御筆とされた額が掲げられていた。説明文には、書経・堯典から「乃命羲和 欽若昊天 歴象日月星辰 敬授民時」というくだりが引用されていた。
【余禄】あるブログによれば、「乃ち羲(ぎ)・和に命じて、欽(つつし)んで昊天(こうてん)に若(したが)い、日月星辰を歴象して、敬(つつし)んで人(たみ)の時を授く。」と読み、「則ち羲氏と和氏とに、正しく天空の運行に則って、日月星辰の動きを観察し、慎重に農耕時期を定めよと命じた。」という意味だそうだ。
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無梁殿 中央の間 祭壇と乾隆筆「欽若昊天」 |
寝殿
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寝殿 扁額「敬止」 |
斎宮の建学がを終え、円丘に向かった。昨日は、なかにはいることができなかったが、今日は間近にみることができた。