2019年5月22日水曜日

中国一人旅その1(30) 6月11日(日)午後 園丘壇から皇穹宇まで

天壇を南から北へ歩く

圜丘(かんきゅう) 明の嘉靖9年(1530)に建立された。毎年冬、この台の上で「祈天大典」(冬至、豊作を祈る儀式)が挙行されるという。当初は1段だったものが、清の乾隆14年(1749)に拡建され、3段になった。俗称「祭天台」、各段を取り囲む石の欄干や階段は9と9の倍数となっていることから「九重天」とも言うそうだ。
圜丘(壇)
園丘壇から北方向を望む
皇穹宇(こうきゅうう)は、明の嘉靖9年(1530)に建立され、清の乾隆17年(1752)に改建され、今日に至っている。当初の名は「泰神殿」といい、嘉靖17年に改称された。高さ19.5m、直径15.6m。古代建築の傑作とされている。祭事に円丘壇に置かれる天の神や皇帝の位牌が安置されているそうだ。

回音壁(かいおんへき)は皇穹宇の北側を囲む円形の壁で、壁に近づいて囁くと60mくらい離れた180度反対側でその声が聞こえるというが、一人では確かめようがなかった。
皇穹宇 奥が回音壁
皇穹宇 天井の見事な絵模様
皇穹宇 正面の祭壇「皇天上帝」
「皇天上帝」は天の神、天上にある、万物の主宰者、天空を支配する神という。ここにはこの神を祭っている。儒学的な君主概念による称号で、正式には皇帝というそうだ。 
皇穹宇の後(北)側 下部は回音壁
成貞門 中央奥に祈年門、祈年殿が見える

圜丘壇には「円心石」、皇穹宇の階段前には「三音石」といわれる、音に因む石があったそうだが、見ることはなく、前日も通った成貞門をくぐり神道を北へ進んだ。

2019年5月14日火曜日

中国一人旅その1(29) 6月11日(日)午後 再び「天壇公園」へ

中国国家博物館の北口を出て、バスに乗り、天安門を横目で見ながら天壇公園西門に向かった。西門前の食堂で簡単に昼食を摂って、西門から入場し、前日見られなかった斎宮を目指した。
バスの中から
斎宮は、明の永楽18年(1420年)に、皇帝が天壇で祭祀を行う前に斎戒するために建立された宮殿という。

堀に架かった石橋を渡り、東門から中へ入った。
斎宮東門
「無梁殿」に向かう通路の中ほどで右手(北側)に鐘楼「鍾人亭」が見えた。
鍾人亭 乾隆「銅鍾」
左手には、鉄棒に囲まれた「時辰亭」があった。

時辰亭
銅人亭
 無梁殿 皇帝は、ここで斎戒するという。梁と柱がないことからこの名前で呼ばれるようになったらしい。
無梁殿 扁額「敬天」
無梁殿の中央の間の奥(西側)に東に向かって祭壇が配置され、「欽若昊天」という乾隆帝の御筆とされた額が掲げられていた。説明文には、書経・堯典から「乃命羲和 欽若昊天 歴象日月星辰 敬授民時」というくだりが引用されていた。
【余禄】あるブログによれば、「乃ち羲(ぎ)・和に命じて、欽(つつし)んで昊天(こうてん)に若(したが)い、日月星辰を歴象して、敬(つつし)んで人(たみ)の時を授く。」と読み、「則ち羲氏と和氏とに、正しく天空の運行に則って、日月星辰の動きを観察し、慎重に農耕時期を定めよと命じた。」という意味だそうだ。
無梁殿 中央の間 祭壇と乾隆筆「欽若昊天」
寝殿

寝殿 扁額「敬止」
斎宮の建学がを終え、円丘に向かった。昨日は、なかにはいることができなかったが、今日は間近にみることができた。
  



2019年5月2日木曜日

中国一人旅その1(28) 6月11日(日)午後 中国国家博物館 中国古代陶器

(2)中国古代陶器(4階、北19展庁)
花釉せん壺 唐 1956年出土
定窯白釉印花魚紋盤 宋
仿朱漆菊盤 清・乾隆
仿雕漆描金双龍○珠紋冠架 清・嘉慶(在位1796-1820年)
官窯粉青釉海棠式套盒 宋
鈞窯月白釉紫斑蓋罐 元


炙武窯黒釉薬剔刻牡丹紋瓶 西夏(1038-1227年)
磁州窯白遊剔刻花卉詩文長方形枕


仿鈞窯匜式尊 清 雍正(在位1722-1735年)
天釉刻菊花紋長須瓶 清 康煕(在位1661-1722年)
黄磁盆 明 弘治(在位1487ー1505年)
○藍釉合碗 清 康煕(上記)
青白釉暗花纏技逢紋碗 明 永楽(在位1402-1424年)
青花雲龍紋罐 元
粉彩桃紋天球瓶 清 乾隆(在位1735-1796年)
粉彩百花園葫芦瓶 清 乾隆(上記)


それぞれ逸品に違いないと思いながら見てきた。歩き疲れで少々休憩した後、午後の予定を考え出口に向かった。