9時前、チェックアウトと同時に、スーツケースを預けてから、レジデンツResidence Museumを目指しました。
レジデンツは、Wittelsbach familyヴィッテルスバッハ王家(ドイツを始めヨーロッパ各地を統治した王家。11世紀に始まり、1918年11月7日に廃された。)の宮殿でした。1385年、ステファン3世の治世に建設が始まり、以後代々で増改築が繰り返されてきたそうですが、1918年に王が退位してまもなく博物館として公開されています。
ミュンヘンに着いた日にオペラを鑑賞した歌劇場と同じ広場に面していましたので、迷うことなくレジデンツに至りましたが、レジデンツ通りResidenz str.側にある入り口に辿り着くまで少しうろうろしました。
入場券売り場でチケットを6€で買い、館内案内(英語版)をもらいました。クロークに荷物を預けて、案内を頼りに見学の旅が出かけました。案内には、各部屋に1からの番号がふられていて、1Cash Deskから始まりました。
(1)Antiquarium(Ground floor room 7)
16世紀後半、Herzog Albrecht V.(在位1550‐1579年)の時代に遡り、当時収集されたAntiquesが展示されているということですが、立ち入り禁止のためそれらをつぶさに見ることはできませんでした。この部屋は長く、66mあるそうで、奥の方がよく見えません。
Antiquarium考古 館 |
王家代々の100人を超える肖像画が飾られたギャラリーです。Karl Albrecht Ⅶ(在位1726-1745年)の時代に始まるらしいです。これだけ数が多いと一つひとつ見ていくのは大変だなと思いながら通り過ぎた感じです。
(3)Porcelain Cabinet (Ground floor room 5)
壁面のキャビネットに様々な磁器が飾られていました。この部屋も中に入れず、つぶさに見ることができませんでした。陶磁器について、後で中国渡来の陶磁器を展示している部屋があり、近くで見ることができました。
Porcelain Cabinet |
2階に上って、入った部屋がここです。
Imperial Hall 1/2 |
Imperial Hall 2/2 |
Gleen gallery |
Upper floorの96室から見おろすような恰好で写した教会
Court Chapel |
18世紀の半ばに建設されたいうことです。場内での写真を撮ることは禁じられていましたので、Parkett平土間への入り口から内部を撮りました。
キュビリエ劇場 入り口 |
(8)3つの中庭
パンフレットを見ると、レジデンツ博物館には8つの中庭があり、そのうちの3か所を紹介します。
Chapel Courtyard |
Fountain Courtyard |
Imperial Courtyard |
レジデンツ博物館の北側、ホッフガーデンの面した建物の外観は、これまで見てきたレジデンツ博物館の趣とは非常に異なっていました。このホールでは、バイエルン放送局交響楽団の演奏会を始めコンサートや演劇などの会場として利用されているそうです。
Herkules Hallヘルクレス ホール |
不思議な形をしているのは、戦災で被害を受け修復されたためで、中央のドームは、1905年に建てられたバイエルン軍事博物館のものだったそうです。
Staatskanzlei |
1972年、日本庭園に裏千家が建てて寄贈した茶室で、40年余の歴史があります。茶会が4月から10月まで毎月2回開かれ、1000人ほどの人が茶を楽しんでいるそうです。
KanShoAn 茶室の佇まい |
Kanshoan 入り口 戸の先に橋がある |
(12)アイス川で遊ぶ若者たち
アイス川の起点には、人工的に大きな波を作る設備が備えられ、サーファーが両岸から交互に乗り出し、渡り切る人もあれば、途中で流されてしまう人もありました。下流の方へ歩いていくと、水遊びを楽しむ若者の姿が見られました。
若者たち
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(13)Field Marshals' Hall
レジデンツ博物館の西隣に位置するオデオン広場Odeons pl.で見た風景。
騎士と2頭のライオンと若者たち |
最後に見学したのが、この教会です。簡素な佇まいが印象的でした。
主廊と祭壇 |
霊廟の壁に描かれた聖母マリア |
長い旅日記をお読みくださいましたことにお礼を申します。文中の誤りに気づかれましたお許し願います。