2016年10月28日金曜日

独仏伊一人旅(15) 5月29日(日)午後 TGVに乗ってシュツットガルトからパリへ

シュツットガルト駅に着いたが、予約したTGV9574の発車時間が迫っていた。息子とゆっくり食べたいと思っていた昼飯をあきらめて食べたいと思っていたけれど、あきらめた。列車に乗り込み、18号車96番の席に着いた。

列車は、定刻12:55に発車した。座席の向きが車両の中央で向き方向に対面となっていて、僕の座席は進行方向に対し後ろ向きであった。従っていつも車外の風景を見送っているような感じであった。
シュツットガルト駅8番ホームのTGV9574
途中、ドイツのカールスルーへ13:35、次いで、フランスのストラスブール14:11までは目が空いていたようだが、知らず知らずのうちに眠ってしまったのか、独仏の国境を何時、どこで越えたのか分からなかった。路線図には、もう一か所ロレーヌという駅(この駅でフランクフルトからの路線と合流する)があるが、全き気づかなかった。
2等車の車内
それからパリ東駅に着くまでの間、車外風景は農地、農地、農地であった。小麦を刈り取った後、新たに芽吹いているところもあった。道中、時ににわか雨がふったり、晴れ間がみえることもあったが、曇り空が重苦しく感じられた。
車窓風景(1) 
小麦を刈り取った後の農地?
車窓風景(2)
刈り取られる前の小麦?
車窓風景(3)
列車は定刻16:35にパリ東駅Gare de l'Estに到着した。4時間弱の列車の旅だっ
パリ東駅のTGV
プラットホームからコンコースを通り抜け、地下鉄7号線を目指し、メトロのマークを探しながら進んだ。
パリ東駅 パトロール中か?
地下へ降る階段を見つけ、下ると改札口に来たようだ。チケット売り場があり、何人かの人が並んでいたので、後について並んだ。10回くらいは乗るだろうと考え、回数券を買った(1枚1.8€、10枚で14.1€だった)。
パリ東駅コンコース
7号線に乗り、5つ目のオペラOpera駅で下りた。ガルニエという表示に従って進んでいくと階段があって、上ると地上に出た。振り向くと、まさしくオペラ座(ガルニエ宮)であった。
オペラ座(ガルニエ宮)
さてここで予約したホテル エタジュニ オペラを探すのに少し手間取った。オペラ通りを少し歩けばホテル前のアンタン通りに至ると考えていたが。そのオペラ通りを見誤ったため、行ったり来たりして遠回りすることになったが、なんとかホテルを見つけることができた。

こじんまりとしたホテルで、フロントで中年の女性とフランス語で会話することもできず、こちらの思っていることが通じなかったが、予約票を見て納得したようで、キイをうけとり部屋に辿り着いた。
かくしてこの日から5日間のパリ生活が始まった。

荷解きをして、少し休んでから食事に出かけた。ホテル探しでうろうろした際、夕食を食べるレストランの見当をつけておいた。Hippopotamusというレストランで、ステーキとワインを食べた。

ホテルに戻り、シャワーを浴びてからパリでの予定を確かめて、早々に休んだ。明日5月30日(月)は、ルーブル美術館から凱旋門へ、そして夜はムーランルージュを見る予定であった。


2016年10月20日木曜日

独仏伊一人旅(14) 5月29日(日)午前 マウルブロン修道院を訪ねる

マウルブロン修道院Kloster Maulbronnに着いたのは、11時を回っていた。そのため、30分ほどの慌ただしい観光になった。

車を路上の空いたところに停め、修道院へ向かった。坂道を下ったところに門があり、それをくぐって中へ入った。
修道院への入り口
案内板には、中央に修道院があり、タウンホールや市庁舎、警察署、学校などがあると記されていた。
入り口の案内板
修道院は12世紀初めにカソリックのシトー会の修道院として建立されたが、その後宗教改革の波を受けて改修され、プロテスタントの神学校に転換したそうだ。
修道院
入場料を支払って見学するだけの時間がなかったので、北の回廊部分だけを駆け足で拝観した。

"Pradies"と名付けられたアーケードから奥の2つの教会へ通じる木の扉には、不思議な模様が描かれていた。
Paradies 奥の教会へ通じる
アーケードから北の回廊につながっていた。
Paradies 球形天井
"Cellarium"地下室へ通じる扉はいかにも年代を感じさせた。
Cellarium 地下室への扉
回廊への入り口を入ったところで、地下室が見られた。そこはかって飲食物の倉庫として使われていたようだが、現在は博物館のように石製の遺物が展示されているように見えた。

Cellarium地下室
地下室の反対側(東方向)は、Laienrefektoriumレイ食堂と言われる大きな部屋であった。
Laienrefektorium レイ食堂
外へ出て、東から南へ回ると建物跡らしいレンガを積み上げた壁が残っていた。
屋外の建物跡
マウルブロンの街並み
マウルブロンの街並 ホテルや土産物店
【余談】 マウルブロンに関するホームページがあった。ドイツ語と英語で読めるが、良く分からないところがあったが、参考になった。興味のある方はご覧になることをお勧めする。

かけ足で見て回ったようなとても短い観光だった。車に戻り、シュシュットガルト駅へ急いだ。


2016年10月11日火曜日

独仏伊一人旅(13) 5月29日(日)朝 ネッカー川沿いの地方都市の一面

今日は、シュツゥットガルトからパリへ移動する日、前日の疲れもあったためか、8時すぎに目が覚めた。荷物を整理して出発の準備をした後、家の近くを散歩した。ネッカー川沿いの地方都市で目についた風景を紹介したい。

(1)保育園
左翼

右翼
玄関前
(2)幼稚園

真新しい幼稚園
園庭 池?
園庭 大型遊具

園庭 大型遊具

(3)老人ホーム

玄関前のテラス
「温かくお迎えします」
(4)公園

公園の遊具
ベンチ、そして石の川?
(5)福祉用具店

入口
電動車いす
営業車
散歩から戻り、出発したのは10時を過ぎていた。予定になかったマウロブロン修道院Kloster Maulbronn(世界遺産)にることになった。

2016年10月8日土曜日

独仏伊一人旅(12) 5月28日(土)夕刻 ローテンブルグの街を歩く

ローテンブルグRothenburg ob der Tauberに着いたのは5時に近かった。城壁のくぐり戸を通り抜けると、古い中世の世界のスリップしたような街並みが続いていた。
小雨が降る中、石畳の道を行く
マルクト広場で、市庁舎の前の建物に目が引かれた。左側はホテルのようで、手前には噴水があった。右側の建物の1階は薬局で、その右隣に、ケーテ・ウォルファㇽトKäthe Wolfahrtの店があった。中へ入ると所狭しとクリスマスに因む人形を始めツリーの飾り品が並べてあり、見たこともないおとぎの国に来たようだった。
市庁舎前の建物 右側の1階は薬局・化粧品店
次いで、通りを横切り、市庁舎に隣接する建物に入っていくと、両側の扉は閉じられていて、中の様子を見ることはできなかった。通路の天井は歴史的な蒼穹(球形天井)で、地下牢も保存している博物館だったHistoriengewölte mit Staatsverlies。
不思議な通路に迷い込んだような感じがした。
通路の中ほどにアトリウムが2か所あり、その差し込む明かりに照らされた古地図を発見した。絵の下につけられた説明によれば、1537年以降の城壁に囲まれた市域を描いた古地図であることが分かった。
1537年以降の市域を記す古地図
駐車場へつながるくぐり戸を抜ける前に、城壁に上った。人がわずかにすれ違えるほどの幅の通路があり、一周することができるらしいが帰る時間を考えやめた。
城壁の通路 
【余談】 ローテンブルグは、古いドイツの街の雰囲気を残していたことから、ナチス体制のもとでも最もドイツらしいところとされていた。連合軍はそうした意味をもつ町を飛行機18機で空襲したが、雨天のため地上がよく見えず、比較的新しい地区に爆弾を落として帰還したため、主要な古い建物は被害に遭わなかったという話があるらしい。

慌ただしい街歩きであったが、帰途についた。いよいよ、明日はパリへ移動する予定だ。