2017年2月19日日曜日

独仏伊一人旅(24) 5月31日(火)午後 雨の中、エッフェル等を目指して

オルセー美術館の裏通りを目指して歩いていくと、広い通りに出て、右方向にブルボン宮フランス国民議会(下院)があった。オルセー通りに出て、セーヌ川にかかるコンコルド橋側に渡ってから見ると、堂々とした外観であった。
ブルボン宮フランス下院
議事堂を通り過ぎ、オルセー通りをエッフェル塔方向へ進んで行くと、右手にセーヌ河にかかるアレクサンドル3世橋が見えてきた。
この橋は、1900年、パリ万博が開催された年に完成したもので、優美な32の街灯がある、中央に橋脚がないアーチ鉄橋(長さ107m)で、橋の4隅には立派な塔(高さ17m)が建てられている。そして、柱の上には、芸術、農業、闘争、戦争を意味する金の女神像が飾られている。晴れた日であれば、素晴らしい景色を見られたであろうと思った。
アレクサンドル3世橋
【余談】興味深いことに、この橋は、ロシアのニコライ2世(1868-1918)が建設し、両国の友好の証としてパリ市に寄付したのだそうで、橋の名はニコライ2世の父の名前からきているという。

早々に通り過ぎて少し進んだところで、地図を見てエッフェル塔に近いと通りと思われたユニヴェルシテ通りに移動して、さらに進んだ。しばらく歩いているとみやこ寿司の前に来た。
みやこ寿司
ようやくエッフェル塔に近づいたが、塔の先端は雨雲に包まれて霞んでいた。
エッフェル塔
塔の下に入って見上げると、鉄塔の複雑な構造が目についたが、どのように強度を計算して設計したのか、20代の若者の名前が残っているそうだが、感心するとともに19世紀末の新しい意気込みが感じられた。
エッフェル塔の足元
上るエレベーターは2か所あるように見えたが、雨にも関わらず人がチケット売り場に並んでいたので、あっさり諦めて、セーヌ川にかかるイエナ橋に向かった。

堤防に立って、乗船場を見るとそこへ行く河川敷の通路が水没していて近づけそうになく、そのうえ、降り続く雨で増水したため、クルーズ船バトビュスの運航は止まっていた。残念だったが、次に向かう予定のノートルダム寺院へ行く方法を地図で探し、フランス国鉄RER・Cラインで行けることを見つけた。
そこで、セーヌ河の土手道を進行方向のポン・ド・ラルマ駅へ向かって歩き始めた。1kmくらいは歩いただろうか、アルマ橋の手前で地下へ降りる階段が見つかり、ほっとした。
チケットはメトロと共通で、問題なくのることができた。停車駅を路線図で見ていると3つ目で、サン・ミッシェル・ノートルダム駅に着いた。

2017年2月10日金曜日

独仏伊一人旅(23) 5月31日(火)午後 オルセー美術館 絵画3

5.近代芸術の到来

青の睡蓮

クロード・モネ(1840-1926)が、1983年から住んでいるジヴェルニーの住居に作った、水庭園に植えた睡蓮の連作を描き始めたのは1897年、以来30年かけて仕上げた作品は200点あるという。
青い睡蓮 クロード・モネ 1916-1919年頃
6.後期印象主義

自画像

ゴッホの部屋(2階)で、まず目についたのがこの作品で、生涯で数多く残した自画像の一つである。画家は、「身体的精神的変化」を刻み、自分のアイデンティティーを問い続けた。
自画像 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
星月夜La Nuit etoilee

この作品は、南仏アルルのローヌ河の左岸から、ガス灯に照らされた街を描いているそうだ。ゴッホは、1886年から1890年に自死するまで、パリで過ごしたらしいが、見学案内には、「極めて密度の濃い創作と限りなく辛いノイローゼの時期を過ごした。アルルで南の混じりけのない光に驚愕し、『ここでは自然は色を作るために必要なものだと、確信している』と述べた。」といい、「その妄想の一つは、逆説的に、夜の眺めの輝きを把握する欲求であった」と書かれている。
星月夜 フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年
 【余談】ゴッホには、星月夜‐糸杉と村(1889年)と呼ばれる作品があり、ニューヨーク近代美術館に展示されている。

 子午線La Merideienne、または昼寝Ls Siesteと呼ばれるこの作品を見て、これがゴッホの絵かと思った。これは、ミレーの絵を模写したもので、左右が入れ替わっているそうだ。
子午線La Merideienne、または昼寝Ls Sieste フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
【余談】 ゴッホの模写作品は30点ほどあり、その中に、浮世絵を模写した作品があるという。

アレアレアArearea(愉び、ポリネシア語)

次に紹介するのは、ポール・ゴーギャンPaul Gauguin(1848‐1903)の作品である。ゴーギャンは、1891年4月から1893年6月までタヒチに滞在した(第1次滞在)が、この作品は、その間に制作されている。ある作品解説によると、「この絵に描かれたような光景はどこにも存在しない…。タヒチでのゴーギャンの作品は、実際の島の様子を描いたものではなく、彼が頭の中で創り上げたタヒチのイメージを描いたものなのです。」ということだ。
アレアレア ポール・ゴーギャン 1892年
オルセー美術館での鑑賞はこれくらいで切り上げ、記念品を買ってから、外へ出た。つぎに向かったところはエッフェル塔である。雨が降り続くなか傘をさしてひたすら歩いた。