ジュノービーチ上陸作戦は、カナダ第3歩兵師団(戦力15000人)が担ったことから、カナダ国旗が翻っていた。手前は、独軍のごく軍の砲台跡で、右手前方に博物館が見えた。
砲台跡とジュノビーチセンター |
カナダ軍の機関砲 |
戦没者の記名碑 |
1時間足らずの短い見学を終わり、バスに乗り帰途に就いた。途中、サービスエリアのようなところに駐車し、休憩した。僕はトイレで用を済ませた後、コーヒーを飲んだ。
A13号沿いのサービスエリアのスーパー |
何の地下道? |
【余談】ノルマンディ上陸地(フランス、コタンタン半島、ノルマンディ海岸)を訪ねるツアーに参加したが、5つの上陸地(ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、スォード、いずれも作戦上のコードネームだった)のうち2か所の一端と上陸後の激しい戦闘があったカーンの博物館を見学したにとどまり、残念ながら全体像を掴むことは甚だ困難であることが分かった。
ネプチューン作戦(上陸からパリ解放までをオーバーロード作戦)と呼ばれる作戦の研究が始まったのは1943年1月、同年11月28日テヘラン会議において米ルーズベルト、英チャーチル、ソ連スターリンが討議して決定したという。
上陸した連合軍がパリを開放したのは8月25日、第2戦線(西部戦線)を構築することができ、独軍はソ連軍の東部戦線との2正面作戦を展開せざるを得なくなった。独軍が降伏したのは、翌1945年5月8日で(西部戦線降伏の日は5月4日)、上陸の日から11か月余の間、激戦が続いたことになる。
なお、これまでの記述は、現地で入手したパンフレット、小冊子(ガイドブック)、地図のほか、ウィキペディアの記事を参考にした。
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