2017年7月5日水曜日

独仏伊一人旅(36) 6月2日(木)午後 ノルマンディ上陸地を訪ねる(4) ジュノビーチ

ツアーで最後に訪ねたのは、ジュノービーチセンターといわれるカナダ軍を記念した博物館であった。Courseulles-sur-merクルスール=シュル=メールというところにあった。どんよりとした曇り空は変わらず、時刻は4時半を回っていた(オマハビーチからの距離は40㎞らしい)。

ジュノービーチ上陸作戦は、カナダ第3歩兵師団(戦力15000人)が担ったことから、カナダ国旗が翻っていた。手前は、独軍のごく軍の砲台跡で、右手前方に博物館が見えた。
砲台跡とジュノビーチセンター
この砲台には、地中に降りる階段があった。中に入ってみると、壁には弾痕が見られた。激しい戦闘が想像された。(死亡340人、負傷574人)。
博物館前には、いろいろな兵器が展示されていた。復元されたものや戦利品を修復したもののようだった。
カナダ軍の機関砲
滞在時間が短く印象に残るものは少なかったが、博物館の入り口わきの兵士の名前を刻んだプレートの碑には胸を突かれた。
戦没者の記名碑
【余談】Beny-sur-Merにあるカナダ軍墓地には、2000人を越える男たちが埋葬されているそうだ。

1時間足らずの短い見学を終わり、バスに乗り帰途に就いた。途中、サービスエリアのようなところに駐車し、休憩した。僕はトイレで用を済ませた後、コーヒーを飲んだ。
A13号沿いのサービスエリアのスーパー
ほぼ予定通りにツアー会社の営業所に帰着した。ホテルへ戻る途中の道で見かけたうなぎ屋(東京でもよく知られた店)に入り、酒とうな重を注文した。酒の酔いも程よく、うなぎも残さず食べた(49€、6205円だった)。 
何の地下道?
ホテルに戻り、シャワーを浴びてから、荷物を片付けた。明日は、イタリアへ移動する予定だった。体調は余りよくなかったが、風邪薬を飲んで休んだ。

【余談】ノルマンディ上陸地(フランス、コタンタン半島、ノルマンディ海岸)を訪ねるツアーに参加したが、5つの上陸地(ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、スォード、いずれも作戦上のコードネームだった)のうち2か所の一端と上陸後の激しい戦闘があったカーンの博物館を見学したにとどまり、残念ながら全体像を掴むことは甚だ困難であることが分かった。
ネプチューン作戦(上陸からパリ解放までをオーバーロード作戦)と呼ばれる作戦の研究が始まったのは1943年1月、同年11月28日テヘラン会議において米ルーズベルト、英チャーチル、ソ連スターリンが討議して決定したという。
上陸した連合軍がパリを開放したのは8月25日、第2戦線(西部戦線)を構築することができ、独軍はソ連軍の東部戦線との2正面作戦を展開せざるを得なくなった。独軍が降伏したのは、翌1945年5月8日で(西部戦線降伏の日は5月4日)、上陸の日から11か月余の間、激戦が続いたことになる。
なお、これまでの記述は、現地で入手したパンフレット、小冊子(ガイドブック)、地図のほか、ウィキペディアの記事を参考にした。

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