118番のバスはローマ市内へ、新アッピア街道から分かれてアッピア・ピニャテッリ通りを進み、しばらく走るとまたアッピア旧街道に入った。石畳の道でぼこぼこと揺れながらカラカラ浴場跡と思われるところを左手に見て進むうちに町中へ入ったようで、人々や車の往来が見られるようになった。すると、昨日近くを通ったヴィットリオ・エマニュエ―レル2世記念堂の騎馬像が見えたので、次のバス停Ara Coeliで下車した。そこはちょうどカピトリーノ美術館に通じる階段の前だった。
予定外であったが、近道かもしれないと思い、階段を上った。結構な段数を上ったところでカンピドーリョ広場に着いた。3方に由緒ありげな建物が建っていた。正面が市庁舎、両サイドが美術館だったが、次の目的地へ急いだ。通じる道を探してあちこち動いて時間を無駄にしたが、なんことはない簡単に見つかった。
フォロロマーノ(1)全体の配置
最初に、遺跡内にあった案内板を紹介しておこう。伝承では紀元前753年ごろラテン人が建設したといわれるそうだが、整備は前6世紀ころに始まるという。
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遺跡内の案内版 〔上下=北南約100m、左右=西東約300m〕 |
北西部に位置するカピトリーニの丘から下る道で場内を見渡せるところがあった。
同上(2)サトゥルヌスの神殿、セプティミウス・
セウェルスの凱旋門
中央左寄りはセプティミウス・セウェルスの凱旋門、中央右寄りはサトゥルヌスの神殿だ。右端前方にアントニヌス・ピウス(皇帝)とファウスティーナ(妻)の神殿が見える。
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(東方向) セプティミウス・セウェルスの凱旋門とサトゥルヌスの神殿 |
同(3)ユリウスのバジリカ(大会堂)
正面の長方形の遺構はユリウスのバジリカという大会堂の跡だ。ユリウスはユリウス・カエサルのこと、完成させたのはアウグストゥス帝だという。
右手のやや高いところがパラティーノの丘である。
ユリウスのバジリカ(会堂)跡の先に3本の柱が見えるが、カストルとポルックスの神殿というそうだ。
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(南方坂道を) ユリウスのバジリカ跡 |
さて、カピトリーニの丘を下り南(コロッセオ方向)へ進むと入口の表示があった。それに従ってフォロ・ロマーノへ坂道を下るとチケット売り場があったが、この日は無料開放で、支払うことなく中へ入った。