2018年4月30日月曜日

独仏伊一人旅(59) 6月6日(月)午前 フィレンツェの街歩き(1)

朝食をしっかり腹に納めてからホテルを出て、テルミニ駅7:45発のイタロItalo9902に乗車した。そして、9時過ぎほぼ定刻にサンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅に到着した。乗ってきた列車はトリノ行きだった。
フィレンツェ駅にて
駅舎から外へ出て振り返ると、外観は美術館か博物館かのようだった。
サンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅 美術館か博物館か?

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

駅前広場の前(南側)に建つサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂に沿って進むと同名の広場に出た。この聖堂の正面は、灰色の太い線で見事に隈取られていて美しい。
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
 サンタ・マリア・ジョヴァンニ礼拝堂

サンタ・マリア・ノヴェッラ広場から、道幅ぼ狭いバンキ通りVia dei Banchiへ曲がって進むとデ・チェレタニ通りVia dei Cerretaniにつながり、さらに進むとサン・ジョヴァンニ洗礼堂、そしてサンタ・マリア・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)に至った。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サンタ・マリア・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)の正面

花の聖母マリア大聖堂は、13世紀が終わる1296年に定礎、以来多数の建築家が作業を指揮したという。
大聖堂の正面
クーポラ

巨大なクーポラ(円蓋、ドーム)は1418年~1434年に建設されたという。高さは107m。頂塔は1466年に完成し、銅製の球が設置されているとか。見晴台になっていて、上ることができたが、時間と体力を考え見送った。
大聖堂のクーポラ
ジョットの鐘楼

大聖堂に隣接して1334年―1359年にかけて建てられたこの塔の高さは84m、5層からなり、1層、2層、3‐5層、それぞれ建築家が異なるという。外観のデザインから読み取れるそうだ。ジョットは、着工当初の建築家の名前。
ジョットの鐘楼

2018年4月21日土曜日

独仏伊一人旅(58) 6月5日(日)午後 コロッセオの内部と外観

コロッセオの改修(補強)工事現場

地下への通路?
地下への通路
足場と防塵ネット?
足場と防塵ネット?
アーチの内側  柱頭の彫刻に注目する。
アーチの内側 柱の頂部の彫刻か
通路の天井、アーチ改修現場へのゲートか?
通路の天井、アーチ改修現場へのゲートか?
 改修後のアーチ
改修後のアーチ
 補強後のアーチ
改修後のアーチ
 階段(1) 階下から
階段(1)
 階段(2) 階上から
階段(2)
 外観(1) 綺麗に改修されている。
外観(1)
 外観(2) アーチに均整なリズム感がある。最上部の窓は日除け用天幕を張るためのものだそうだ。
外観(2)
外観(3) 見事!
外観(3)
時計をみると16時を回っていた。日が沈むまでにはまだ時間がありそうだったが、ホテルに戻ることにした。

地下鉄コロッセオ駅からメトロBラインに乗ったが、お土産を買っておこうと思い直し、テルミニ駅でメトロAラインに乗り換えスパーニャ駅へ向かった。ローマに着いた日に来たおりに目星をつけておいた店に行き、孫娘に贈る服を買ってから、またメトロに乗ってテルミニ駅で降りホテルに戻った。

メトロAライン スパーニャ駅の入り口

2018年4月19日木曜日

独仏伊一人旅(57) 6月5日(日)午後 コロッセオ

コンスタンティヌスの凱旋門

西ローマ時代、副帝であったコンスタンティヌスが312年正帝マクセンティウスに勝って(ミルウィウス橋の戦い、312年10月28日)、唯一の皇帝になったことを記念して315年に建てられたそうだ。姿かたちともに美しく立派だ。
コンスタンティヌㇲの凱旋門
コロッセオ(1) 概要

ラテン語Colosseum 建設時の名称 フラウイウス円形闘技場 Amphitheatrum Flamium
ウェスパシアス治世の70年に工事が始まり、ティトゥス帝の80年に完成した。長径188m、短径156mの楕円形、高さ48m、収容人員は約5万人とか。入場するアーチは80門、このうち南1から東、北、西、南76と各アーチに番号がふられていて、入場券(テッセラ)にその番号が記されていたと考えられているそうだ。
ところで、客席は、前列が元老院階級席、中列(2層)が騎士階級席、その後ろ(3層)が裕福なローマ市民席、最上列(4層)が一般市民と女性席に分けられていた。

コロッセオ(2) 回廊
回廊に並ぶ人々

コロッセオ(3) 地下・地上の構造

地下には色々な設備が設置されていたようだ。通路の両側に小さな部屋があるように見える。
地上部の正面奥に1階の床が架設されていて、地下と対比できるほか、4層の観覧席が設置されていた様子がわかる。最上部の□窓は、日除けの天幕を張るために設けられたものだそうだ。
西から東方向をみた説明を追加

コロッセオ(4) 3枚の写真を合成したパノラマ
南方向から北方向をみたコロッセオ
コロッセオ(5) 長径の北西側
北西側
コロッセオ(6) 短径の中央部
中央部
コロッセオ(7) 長径の北東側
北東側
【余談】正面の白く見えるところ(パノラマでは右端)は闘技場Arenaの復元された床で、全体に厚い木の板が使われ砂が敷かれていたらしい。現在、イベントはこの床で開催されるようだ。


2018年4月11日水曜日

独仏伊一人旅(56) 6月5日(日)午後 フォロ・ロマーノ(3) 中を歩く

ユリウス・カエサルの立像(9)

逆光で良く見えないが、ユリウス・カエサルの立像Statua di Caesareである。フォロ・ロマーノの入り口に向かう途中で出会った。
Statua di Caesare
フォロ・ロマーノの由来(10)

フォロ・ロマーノは、パラティー二、カピトリー二、エスクリーニの3つの丘に囲まれた谷間に位置していて、共和制時代(紀元前5‐1世紀)に政治、経済、宗教、商業面で古代ローマの中心となった。さらに遡ると、沼地のような窪地であったらしい。
フォロ・ロマーノの由来
Via Sacra 聖なる道(11)

入り口から坂を下ると、聖なる道に出た。正面(北方向)に「セウェルスの凱旋門」が、見える。その左奥はタブラリウム(公文書館)、右奥は古代コーマで牢獄として使われていたというマメルティヌスの牢獄と言われ、聖ペトロが拘置されたという言い伝えがあるそうだ。上階、下階ともに教会になっている。
Via Sacra 聖なる道
アントニヌス・ピウスとファウスティーナの神殿(12)

ティトゥス・アウレリウス・フルウィウス・ボイオ二ウス・アリウス・アントニヌス帝(在位138‐161年)は5賢帝の一人とされ、ファウスティーナはその妻である。階段と円柱が神殿跡で、後ろは中世に建てられた教会だそうだ。
説明を追加
カエサルの神殿(13)

ディウウス・カエサルは、紀元前44年3月1日暗殺されたのち、同18日、ここで火葬されたということだ。オクタウィアウス(後の初代皇帝アウグストゥス帝)がアクティウムの海戦の勝利を記念して紀元前29年に建てたということだが、高名な人の遺跡にしては、寂しい光景だった。もっとも、想像図によれば立派な神殿だったようだ。
カエサルの火葬場所
カストルとポルックスの神殿(14)

大理石で作られた3本柱だけが残っている。共和政時代に勝った戦争に、カストルとポルックスの双子神が勝利をもたらしたという伝説に因む神殿だそうだ。
カストルとポルックスン神殿
マクセンティウス(あるいはコンスタンティヌス)のバジリカ(15)

308年からマクセンティウス帝(在位306‐312年)が建設を始め、312年マクセンティウスに勝ったコンスタンティヌス帝(在位306‐337年)が完成させたという大会堂である(面積約6000㎡とか)。3つのホールから成り、裁判や会議などに利用されていたらしい。倒壊を防ぐため、補強が施工されていた。
マクセンティウスのバジリカ
 ティトゥス帝の凱旋門(16)

ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(在位79‐81年)がユダヤ戦争に勝利したことを記念して西暦81年に建てられたという。門の内側には、数多くの彫刻がびっしり彫り込まれていた。
ティトゥスの凱旋門
ここを通り過ぎ東側出口を出ると、コロッセオが目前に現れた。

ウェヌスとローマ神殿(17)

ハドリアヌス帝によって紀元135年に完成したが、4世紀初めに火災で損傷したり、9世紀には地震に見舞われたりしている。愛Amorの女神ウェヌス・フェリクスと女神ローマRomaが祭られ、両者の名前が対称的に使われた、古代ローマ最大の神殿である(基壇の長さ145m、幅100m)。
ウェヌスとローマ神殿
左手に神殿を見ながらVia Sacraを下り、コンスタンティヌス帝の凱旋門に至った。