逆光で良く見えないが、ユリウス・カエサルの立像Statua di Caesareである。フォロ・ロマーノの入り口に向かう途中で出会った。
Statua di Caesare |
フォロ・ロマーノは、パラティー二、カピトリー二、エスクリーニの3つの丘に囲まれた谷間に位置していて、共和制時代(紀元前5‐1世紀)に政治、経済、宗教、商業面で古代ローマの中心となった。さらに遡ると、沼地のような窪地であったらしい。
フォロ・ロマーノの由来 |
入り口から坂を下ると、聖なる道に出た。正面(北方向)に「セウェルスの凱旋門」が、見える。その左奥はタブラリウム(公文書館)、右奥は古代コーマで牢獄として使われていたというマメルティヌスの牢獄と言われ、聖ペトロが拘置されたという言い伝えがあるそうだ。上階、下階ともに教会になっている。
Via Sacra 聖なる道 |
ティトゥス・アウレリウス・フルウィウス・ボイオ二ウス・アリウス・アントニヌス帝(在位138‐161年)は5賢帝の一人とされ、ファウスティーナはその妻である。階段と円柱が神殿跡で、後ろは中世に建てられた教会だそうだ。
説明を追加 |
ディウウス・カエサルは、紀元前44年3月1日暗殺されたのち、同18日、ここで火葬されたということだ。オクタウィアウス(後の初代皇帝アウグストゥス帝)がアクティウムの海戦の勝利を記念して紀元前29年に建てたということだが、高名な人の遺跡にしては、寂しい光景だった。もっとも、想像図によれば立派な神殿だったようだ。
カエサルの火葬場所 |
大理石で作られた3本柱だけが残っている。共和政時代に勝った戦争に、カストルとポルックスの双子神が勝利をもたらしたという伝説に因む神殿だそうだ。
カストルとポルックスン神殿 |
308年からマクセンティウス帝(在位306‐312年)が建設を始め、312年マクセンティウスに勝ったコンスタンティヌス帝(在位306‐337年)が完成させたという大会堂である(面積約6000㎡とか)。3つのホールから成り、裁判や会議などに利用されていたらしい。倒壊を防ぐため、補強が施工されていた。
マクセンティウスのバジリカ |
ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(在位79‐81年)がユダヤ戦争に勝利したことを記念して西暦81年に建てられたという。門の内側には、数多くの彫刻がびっしり彫り込まれていた。
ティトゥスの凱旋門 |
ウェヌスとローマ神殿(17)
ハドリアヌス帝によって紀元135年に完成したが、4世紀初めに火災で損傷したり、9世紀には地震に見舞われたりしている。愛Amorの女神ウェヌス・フェリクスと女神ローマRomaが祭られ、両者の名前が対称的に使われた、古代ローマ最大の神殿である(基壇の長さ145m、幅100m)。
ウェヌスとローマ神殿 |
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