旧関東軍司令部跡
日ロ戦争後、遼陽に設置された関東総督府が1906年旅順に移り、関東都督府と改称、陸軍部が設けられ、さらに1919年都督府がなくなって、陸軍部が関東軍司令部になったという。1932年、旧満州国が成立したとき、この司令部も長春(現瀋陽)に移転したそうだ。現在は博物館として一般に開放されていたが、訪問した当日は見学できなかった。
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旧関東軍司令部跡 |
旅順博物館
司令部の建物との間に中ロ記念塔を挟んで向かい側に位置している。中を見学しなかったが、大谷コレクションが収蔵されていて、そのなかには2体のミイラがあるそうだ。
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旅順博物館 |
203高地
高地に至る車道が整備されていて、駐車場に着いた。そこから、頂上まで歩いて10分程上ったところに「爾霊山」(203 二レイサン)と名付けられた慰霊塔があった。乃木司令官が戦没将兵(1万人を越えるらしい)を祀るために残った砲弾で造ったという。高さ10.3m。
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203高地紹介板 |
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爾霊山 |
ロシア軍の150㎜カノン砲
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150㎜カノン砲 |
日本軍の280㎜カノン砲
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日本軍の280㎜榴弾砲 |
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280mm榴弾砲の説明 |
【余談】280㎜榴弾砲はもとはここにはなく、北堡塁に近いところに設置されていた
そうだ。この砲によって北堡塁を守護していたロシア軍のコンドラチェンコ将軍(司令官)が戦死したという(写真は碑の前で中国人観光客にガイドが説明しているところ)。
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コンドラテェンコ将戦死の所碑 |
次の目的地は、水師営会見所跡である。途中、旧旅順監獄跡を見学したが、残念ながら写真は撮れなかった。
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