故宮を離れて張氏師府へ行く途中、俄雨が降ってきたので、傘を差しながら先へ急いだ。時々地図アプリを見て確かめながら歩いているとほどなく入り口前の広場に着いた。
入り口前の広場に張学良(将軍)の立像が建てられていた。俄雨が上がったばかりで空には雲が残っているうえに逆光で顔がよく見えないのが残念だ。
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張学良将軍立像 |
参観路線図を見ると、師府全体が中院を中に東院と西員の3エリアが構成されていることがわかる。建設は1914年に始まり、面積は5.3haだそうだ(ちなみに日本の首相官邸は4.6haという)。
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参観路線図 |
中院はまた3つの四合院のような建物(一迸(進)院、二迸(進)院、三迸(進)院、三進四合院という)で構成されている。
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中院 一選院の入り口 |
一迸院の西側にある
承啓処(受付室)には、文部承啓官(受付係)が配置されていて、元帥府への来訪者の通報・案内をしている様子が人形で再現されていた。
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承啓処(受付室) |
承啓処と向かいあった(東側の)内帳房(会計)と呼ばれる部屋では、現金をやりとしている様子が人形で再現されていた。ここは、元帥府の会計・経理を担当する部署で、張作霖とその家族の家計を管理していたようだ。
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内帳房(会計) |
二迸院の入り口が「垂花儀門」である。垂れ花飾りは木造で、張作霖が賓客や中外の使節を迎える儀式を行うことに因んでいるという。扉は観音開きで、透かし彫が施されているそうだ
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二選院の入り口「垂花儀門」 |
二迸院は、
張作霖が1916年から1922年の6年間、私邸兼官邸として使用していたところで、建物の東部分は張作霖の執務室と寝室、西部分は書斎と会議室がある。
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張作霖の執務室 |
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会議室 |
また、二迸院の東側と西側には秘書室の建物が建てられ、元帥府の秘書や職員が勤め、「日常事務の手配及び庶務を取り扱っていたという。
執務室前の通路を進むと三迸院に至る。ここは、張作霖、張学良とその家族が1916年から1922年まで生活していたところで、西側の建物には、張学良と于鳳至(妻)、向かい側(東側)の建物には張作霖の第4夫人とその子どたち、正面(北側)の建物には、張作霖の第2夫人と第3夫人が居住していたという。これらの居住棟の内部には、当時の生活の様子を復元する一方、様々な資料や遺物が展示されていた。
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張学良と于鳳至(妻)の居住棟 |
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寝室 |
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張学良(右)と周恩来(左)との秘密会談 1936年4月9日、於膚施(延安) |
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張学良(右から2人目)、東北辺防軍司令官就任宣誓 1929年2月4日(奉天) |
中院の見学を終えて、つぎに東院の大青楼、小青楼、花壇に向かった。