2019年6月29日土曜日

中国一人旅その1(34) 6月12日(月) 孔廟(1)

曲阜(Qufu)には、「孔廟、孔林、孔府」(三孔)という尊孔崇儒の遺産が世界遺産として保護されている。
 6月12日(月)朝8:45北京南駅を発車した和諧号(G111)は、10:49すぎ曲阜東駅に到着した。コンコースで手荷物預かり処を探し何とか見つけられたので預けてからタクシーに乗った。整備された道路を走り着いたところが曲阜城の南正門前で、「萬仞宮牆」という文字がが刻まれていた。この文字は論語の一節よりとられていて、「学問を収めるのに近道は無い、真面目に学ぶのみ」という意味だそうだ。
 孔子(紀元前551-479年)の故郷といえるこの地に建立された建築物群、三孔の孔廟=学問所、孔林=墓所、孔府=旧宅のうち、孔廟と孔府の見学にとどめ、孔林には行かなかった。
曲阜城南正門 「萬仞宮牆」
南正門をくぐると、北に向かって一直線に廟前の5坊や廟内の5門をはじめ、閣、殿と呼ばれる建築物が並んでいて、南北の全長は1300m、主体の長さは650mという。

5坊の最初は金聲玉振坊である。「金聲玉振」は、孟子の万章下「孔子聖之時者也。孔子之謂集大成。集大成也者。金聲玉振之也。」から取った言葉だそうだ。4本の柱の頭には朝天吼(ちょうてんこう)という一角獣が彫られているという。集大成の後の「金聲玉振之也」はちょっとわかりにくいが、「始まりと終わりの整っているさま」といい、「才知や人徳が調和して、よく備わっているたとえ」とも。孟子が孔子の人格を賛美した語ということだ。
金聲玉振 明の嘉靖17年(1538)建立
先へ進むと、靈星門である。高さは10.34m。当初は木造りであったが、清の乾隆19年(1754)に石造りとなったそうだ。
靈星門 明の永楽13年(1415)建立 手前は羊水橋
太和元氣坊は明の嘉靖23年(1544)に建てられた。「太和」は天地を指し、日月、陰陽ともに和となうという。「元氣」は宇宙の自然の気、儒家思想において世界万物の原始の本をたとえて言うことだそうだ。
太和元気坊
先(北方向)に進むと、至聖廟と篆刻された坊門があった。明の弘治13年(1500)に建てられ、当時は宣聖廟と呼ばれていたそうたが、清の雍正7年(1500)の改修時に改名されたという。
至聖廟坊

2019年6月8日土曜日

中国一人旅その1(33) 6月12日(月) 午前 北京南駅から曲阜東駅 孔府、孔廟


地下鉄4号線宣武門駅から3駅目、北京南駅に10分足らずで着いた。折から通勤時間帯で、週明けの月曜日でもあり、地下から地上までエスカレーターを乗り継いでコンコースまで多くの人の波が続いていた。乗車したのは、〇〇、上海行きだった
発車到着案内板
和諧号〇〇

車中



中国一人旅その1(32) 6月11日(日)夜 北京京劇、北京梨園劇場

開園時間19:30より早く着いたので、ホテル前の食堂で軽い夕食を摂ってから劇場に入った。
舞台の下手でスポットライトを浴びた老俳優が、この後務める演目での隈取り(化粧?)の様子を見せていた。
舞台
 演技


剣士と姫
 フィナーレ
フィナーレ
公演が終わり、最寄りのバス停車からバスに乗った。宣武門で降り、ホテルに戻った。荷物を片付け、明日の移動(曲阜~南京)に備えた。曲阜では孔子に因む歴史の跡を訪ね、その後南京に入る、都市間の移動は、いずれも高速鉄道「和諧号」を予約してある。

2019年6月5日水曜日

中国一人旅その1(31) 6月11日(日)午後 天壇、祈年殿、皇乾殿

前日は閉門されていた祈年門を通り、豊穣を祈るための祈年殿に向かった中央の扉は、天の神「皇天上帝」が通り、皇帝は右(東)の扉を、百官は左(西)の扉を通ったという。最初の門は明の早い時期に建立されたそうだ。
祈年門
祈年殿を囲むように築かれた東壁に沿って燔柴炉があった。天の神を暖かく迎える儀式で、削られた子牛が入れられ末の小枝や葦が燃やされたという。
燔柴炉(ばんさいろ)
燎炉(りょうろ)
祈年殿 最初に建立されたのは明の永楽18年(1420)、大祀殿という。1階建て、矩形の大殿だったそうだ。嘉靖24年(1545)に3層と改築され、上層から青、中層木黄、下層緑色に塗り分けられ、大享殿に改称された。さらに清の乾隆16年(1751)に改修、藍色の瓦に吹き替えられに、名称も祈年殿と定まったという。高さ38.2m、直径24.2m。
祈年殿(南面)
祈年殿
祈年殿の祭壇 「皇天上帝」の位牌
祈年殿の天井画
皇乾殿 祈年殿の北側に、明の永楽18年(1420)に建てられた「天庫」であった。後に清の嘉靖24年(1545)に改築され、皇乾殿と改名されたという。扁額は同帝の筆だそうだ。
ここで、春の祈谷壇で神位を奉祀する祭典が行われたという。
皇乾殿
中央の石壇に「皇天上帝」の神位が祀られていた。
中央の石壇に「皇天上帝」の神位
右(東)側の4つの石壇に、北(奥)から南(手前)へ清の第1代太祖天命帝,3代順治帝,5代雍正帝,7代嘉慶帝の皇帝位牌が祀られているという。
左(西)側の祭壇
左(西)側の石壇に、北(奥)から南(手前)へ清の第2代太宗崇徳帝,4代康熙帝,6代乾隆帝,8代道光帝の皇帝位牌が祀られているという。
右(東)側の祭壇
丹陛石雕 祈年殿は3層の石壇のうえに建立されているが、南北をはじめ8つの階段が設置されていて、次の写真は北側中央の階段である。階段の中央部は、山海の双龍と山海の双鳳が彫られている。
説明を追加
古希門 清の乾隆46年(1781)、皇祈殿の西側にする古希を迎えた,70代以降の官員の歩行距離を短くするため設置されたという。皇帝でこの門を使ったのは乾隆帝だけだそうだ。
古希門
長廊
長老で寛ぐ高齢者
昨日と同じように長廊を通り、東門から外へ出て、今日の3つ目、最後の目的地、北京前門建国飯店に向かった。