2019年4月14日日曜日

中国一人旅その1(27) 6月11日(日)昼前後 中国国家博物館

2017年6月発行の「展覧簡訊」(Exhibition News)を手引きにして、いくつかの展示室を見学したが、次の二つの展示を紹介する。

(1)中国古代仏造像(4階、2号中央大庁)

「前言」によれば、仏教は、紀元前6世紀、古代インドに生まれた。ガンダーラに興った仏教彫刻はヘレニズムの影響を受けていて、紀元1世紀に中国に伝播した。主題、素材、技術は時と所に応じて変化し、唐、明、宋、明を通して山西省やチベットにおいて仏像が彫られたという。
鎏金銅観音立像 清代(1644~1911年)
鎏金銅緑度母坐像 清代(1644~1911年)
【余談】緑度母とは、チベット語でグリーンターラと言うそうだ。
鎏金銅菩薩坐像 清代(1644~1911年)


彩絵木彫観音菩薩頭増 宋(960~1279年)
彩絵木彫観音菩薩坐像 宋(960~1279年)
石彫菩薩頭像 唐(618~970年)山西・太源、天竜山石窟第18窟
石彫佛菩薩堂 北斉(550~577年)
銅普賢菩薩座像 明 正徳(1506-1521年)
銅文殊菩薩坐像 明 正徳(1506-1521年)

石堀菩薩坐像 唐(618~907年) 山西太源天流山石窟第21窟
龍金銅緑度母坐像
日本や韓国の仏教は、中国から伝来し定着・布教は広まったとされる。中国の仏像を見ていて、そうした伝来の流れを読み取ることは素人には難しいが、違いは明らかに見て取れる。先週、奈良・大仏殿や興福寺、元興寺、京都・東寺の諸仏像を拝観した時に強く感じた。
次回は、「中国古代陶器」(4階、北17室)を紹介する。

2019年3月17日日曜日

中国一人旅その1(26) 6月11日(日)午前 天安門広場、人民英雄記念碑

人民大会堂を出て、天安門広場を横切るように歩いていると、左手(北側)に天安門、右手(南側)に人民英雄記念碑が見えた。天安門の方向に向かって、家族連れや団体観光客が詰め掛けているようだった。
天安門広場
 人民英雄記念碑の基壇の上で、赤いネッカチーフを首に巻いた男女6人の少年たちが旗を振り何か演技しているようだった。
人民英雄記念碑

2019年3月12日火曜日

中国一人旅その1(25) 6月11日(日)午前 人民大会堂(3)

大会堂を巡回して、目についたものを、何点か紹介しておきたい。壁に飾られた絵は、代表庁の壁に飾られることがもあるのだろうか。

「朝暉染山河」 李耀林 2012年 193×508㎜、横に随分長い。どの辺りの風景を描いたのか。
朝暉染山河 李耀林 2012年
「松鴿頌」 これは衝立に仕立てられていた。
松鴿頌
絨毯

照明 北京庁の天井でみた。

階段
 



時計を見ると10時半を過ぎていた。人民大会堂を出て、向かい側(東)の国家博物館へ向かった。

2019年2月25日月曜日

中国一人旅その1(24) 6月11日(日)午前 人民大会堂(2)

大会議場から出て、会場のロビーを一周した。
大会議場からの出口
2階ロビーのベンチで寛ぐ人たちに緊張感は全くなし。
階上のロビーで寛ぐ人々
1階ロビーの風景、右手に入口、左手奥に売店があった。記念にノートを買おうとしたら、クレジットカードが使えず、財布はバッグに入れて預けていたため、買うのを諦めた。
天井のシャンデリア
2階ロビいうーの中ほどに展示されていた「万宝山」と呼ばれる、天然の辰砂や白雲石、水晶、方解石の塊だそうで、1960年代に貴州省の鉱工1万人余りが寄贈したという。
階上ロビーに据えられた「万宝山」
上海庁 正面奥の壁に掲げられた絵は、よく知られている黄浦江越しに広がる浦東の風景だった。
「上海庁」
廣東庁
「廣東庁」
北京庁 つい最近サウジアラビアのムハンマド皇太子と習主席が会談しているところがテレビのニュース番組で放映されていた。背景の絵は故宮を描いたもので、この絵で気づいた。
北京庁
大宴会場 北側の宴会場棟にあり、広さは約7千㎡ということだ。
大宴会場の演壇
天井の格子にも照明器具が絵を描くように取り付けられていた。
天井のシャンデリア
階段
階段
台湾庁 扉が閉じられていて、中の様子をうかがうことができなかったが、台湾が中国の一部(領有権を持つ)、台湾省であるということを示しているのだろう。
台湾庁
次回は、会議室や廊下に飾られた壁画や衝立、床の絨毯、天井のシャンデリアのいくつかを紹介する。

2019年2月15日金曜日

中国一人旅その1(23) 6月11日(日)午前 人民大会堂(1)

細い通路を通り向けると、目の前に大会堂のファサードが目に飛び込んできた。

大会堂は、建国10周年を記念して1958年から1959年(毛沢東66歳)にかけて10か月で建設された。北(宴会場)、中央、南(全人代常務委員会事務所)の3つの建物から構成され、床面積は17万㎡以上、33の会議室、300の部屋があるという。中央を万人大会堂(周恩来が命名)と言い、大会議室のほか、代表庁という各省や直轄市、自治区などの控室がある。
正面外観
案内表示
館内案内
代表庁の一つ、湖南庁を見学した。1階ということで、玄関ホールからやや下がったところにあった。
代表庁「湖南庁」
湖南庁の内部
湖南庁の内部
赤い絨毯が敷かれた階段
1階から2階へ上る階段
代表庁の一つ、遼寧省を見学した。
「遼寧庁」
遼寧庁の内部 正面の衝立に、瀋陽故宮の大政殿が描かれていた。
遼寧庁の内部
大会議場
大会議室演壇 (2階席から) 
大会議場の天井はLED照明か、竜が渦巻いているように見えた。座席数は、1階席から3階席までで10000席という。「万人大会堂」という所以か。
大会議室天井
出口EXIT
「出口」
[続く]

2019年2月9日土曜日

中国一人旅その1(22) 6月11日(日) 午前、前門から人民大会堂へ

北京三日目朝8:30、ホテルを出て、地下鉄宣武門駅へ向かった。地下鉄には乗らず、バスに乗った。2階建てでその最前列に座り、目の前の風景を夢中に見ているうちに前門が近づいてきた。
正陽門(通称前門)
前門というのは通称で、正式名称は正陽門というそうだ。南北に2つ、南側は箭楼、北側が正陽門である。もともと一つの城門だったが、現在は周辺の再開発により二つの門が残った。箭楼は名の通り武器弾薬庫であった。その南側は前門大街で、北京の下町ともいうらしい。窓のように見える厳めしい感じがするところは、矢や鉄砲を打つ銃座のように見えた。

この辺り一帯はもと北京城で、故宮を擁する内城とその南側に外城があったそうだ。正陽門は内外を結ぶ要衝だった。ちなみに、地下鉄2号線は内城の城門と城壁に沿って建設されている。
正陽門(箭楼)の南側
箭楼が外城から押し寄せる敵をせん滅し、内城を防衛する使命を持っていることがわかった。
迂回するように東側から北へまわると上る階段が見え、通路の先には前門大街の街路樹が見えた。
正陽門(箭楼)の北側
振り向くと、正陽門の南側、箭楼とは対照的で優雅な城門であった。通路を通して毛主席記念堂の玄関(実は出口)が見えた。
正陽門の南側
左 正陽門(箭楼) 右 正陽門
正陽門を、箭楼と同じように東側から周り、毛主席記念堂の前をとおり、人民大会堂へ向かった。
毛主席記念度堂(廟)
記念堂前の左右に二つの彫像が据えられていた。東側は軍人で、武器を構え勇ましい姿である。
東側の彫像 軍人
西側は、農民や学生、学者や労働者か、先頭の若い男は大部な書物を左手に掲げ、若い女はたわわに実った稲穂の束を両手で掲げていた。東西とともに、高く掲げられた、風にはためく旗には、毛主席の横顔が浮彫されていた。
西側の彫像 農民、知識人
人民大会堂へ入る入り口は敷地の東南の角にあり、すでに2,30人がたむろしていた。8時45分、入場が始まった。