シカゴ川 東、ミシガン湖を望む |
Columbus Drive Bridge(1982年)からミシガン湖を眺めたが、もう一つ上流の橋Lake Shore Drive Bridge(1936年)に遮られ、残念ながら見えなかった。
【余談】 このときは気がつかなかったが、シカゴ川はミシガン湖に流れ込んでいるのではなく、流れ出しミシシッピー川につながっているということだ。かっては流れ込んでいたが、シカゴの都市化が進み、湖の汚染が衛生上の大きな問題になったらしい。逆流(還流とも)させることになったのは、1900年のこと。その後も汚い川だったそうだが、1990年代に市長の音頭で美化運動の一貫として清掃作業が実施されたという。3月半ばの土曜日に、セントパトリックデイを記念して緑色に染める行事が40年続いている。多くの市民や観光客で賑わう行事になっているようだ。
手前、Michigan Ave. Bridge (跳ね上げ式可動橋、1920年) 正面、Wrigley Building(1921年) 左手、トランプ・タワー |
Carbide & Carbon Building(1929年、Chicago Landmarkの一つ)というクラシックな建物の前を通り過ぎ、Millennium Parkが左手に見えたところで、Randolph St.との交差点で右(西方向)に曲がった。空港へ戻る予定時刻が近づいていたため、ワシントン駅に向かったのである。ただ、途中にRest Roomがあれば良いなあと思っていた。
用を足した後、ちょうど紳士ものを扱っているフロアだったので、少しばかり見て回った。セールのプラカードが至るところで見られた。ジーンズ売り場で、Levi'sの売り場を覗くと、#501が68ドルであった。NYCのショップより10ドル安かった。
メイシーズを出て、Washinton St.を歩きCTAワシントン駅に向かった。駅のホームへ降りていく階段は、Richard J. Daley Center(1965年、Chicago Landmarkの一つ)というビルの前の大きな広場にあった。その広場で、鉄の巨大で、不思議な彫刻に出会った。
【余談】 彫刻はピカソの作品。無題。The Chicago Picassoと呼ばれているらしい。鋼鉄製、高さは50フィート(15.2m)、重さは162トンに達するという。1967年に設置されたと記されていた。
インターネットで検索していると、Chicago Public Libraryの記事が出てきた。それによると、①ピカソが作ったモデルは42インチ、②インディアナ州ゲーリー市(シカゴから東南約50km)のUSスチールで製造されたときに50フィートになり、③船で運ばれた、④資金は3財団が引き受けていたが、ピカソは報酬を受け取らず、シカゴの人々へのプレゼントと言ったらしい。
ホームで広告板を見ながら、しばらく待っていた。実に広告板が少ないと関心していると、空港行きの電車が入ってきた。この電車も乗客は少なかった。空港へ向かう人は地下鉄を利用しないのかと思ったりしながら、外を眺めると、うら淋しい光景であった。降りる人が多く、乗ってくる人は少なくなるばかりであった。
16時前にオヘア空港駅に着いた。改札口を出て、地下通路を歩き、エレベータで上がり、ターミナル1へ戻ってきた。ここまでくれば一安心ということで、食事をすることにした。フードコートのようなところへ入り、ハンバーガーとスパゲッティのセットとコーラを取り、窓際に座って食べ始めた。歩き疲れた体にコーラが沁み渡るようだった。瞬く間に食べ終わり、出国ゲートへ向かった。5時間余りのシカゴでのTransitは終わった。
ここの検査は徹底していた。靴を脱ぎ、ズボンのバンドも外せという、ボディチェックでズボンのポケットに入れていた小銭のため3回ばかりくぐらされたが何とかクリアし、出発ゲートC10に至り、ベンチに腰掛けて待った。予定時刻を少し遅れたが、搭乗のアナウンスがあり、NH1011に乗り込んだ。後部の席を予約しておいたが、ほぼ満席の状態であった。
成田空港に着いたのは、日付が1日進んだ6月5日(木)夜であった。
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