2015年6月29日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(4) 5月29日(金) 連邦議会議事堂を見学 その1 不思議な光景

8時半過ぎ、ホテルを出て議事堂へ向かいました。予めインターネットで申し込み、日本語ツアーがないため英語ツアーの予約券を持って来ていました。

 Das Reichstagsgebaude(国会ビル)の前にブレハブがあり、そこでバスポートと予約券を確かめられた上、身体と手荷物の検査を受けました。問題なく、パスすると入館証が渡されました。それを首から吊るし、十人あまりが議事堂の玄関から中へ入りました。中年女性のガイドが出迎え、案内してくれました。

壁の落書き
最初に案内されたところで、興味が惹かれ面白いと思ったのは壁の落書きです。何が書かれているのか、分かりませんでしたが、ガイドが英語で詳しく説明しているようでした。僕には皆目理解できませんでしたが、後に入手した英語版の”Facts The Bundestag at a glance”と名付けられた小冊子によれば、ソ連兵による落書きだそうで、議事堂の改修工事中、注意深く保存されたと書かれている。

 続いて、国会ビルの歴史を紹介している部屋に進みました。そこには、1933年の火災事件を始め、ヒットラーを指導者とする新たな政治体制に関する当時の新聞や遺物が展示されていました中で、不思議な構造物と置物が目につきました。

地下の秘密通路?
その構造物は、まるで地中の秘密通路(トンネル)を切り取ってきたように思えました。果たして、どのような時に使用されていたのでしょうか。

レターボックス?
もう一つは、鉄製のレターボックスのようなものです。一体何箱あるのか、とにかく数多くの箱が壁に埋め込まれているように見えました。

 一つ一つの箱には、議員の氏名、政党名、在任時期(若しくは期間)を記したカードが貼り付けられ、いずれも1918年から1933年までのいわゆるワイマール共和政期のものと思われました。箱の表面に、錆が浮き出ていて時間の経過が感じられました。

【余談】 ご存知のように、ドイツは、第1次大戦で敗戦した後、帝政から共和政に替わりました。前記の小冊子(42頁)によれば、1918年11月8日、Philipp Scheidemann(フィリップ シャイデマン)という人が、皇帝ウィルヘルムⅡ世の退位後に、国会ビルの窓からdie Republik(共和国)を宣言したと記されています。
 しかし、このワイマール共和政は長く続かず、Adolf Hitler(アドルフ ヒットラー)が権力を握って間もない1933年2月27日、国会が火災に見舞われ、ドイツにおける議会民主主義の終焉を象徴するとともに政敵を追及する口実に使われたとも書かれています。

 この小冊子は、ドイツ語版以外に各国版が無料で配布されていたが、日本語版はありませんでしたので、英語版で読んで書きましたが、正確でないところはご寛恕いただくようお願いします。

2015年6月24日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(3) 朝の散歩、ベルリン中央駅 5月29日(金)

Marien通り
5時過ぎ、浅い眠りから目が覚めました。顔を洗い、荷物を整理し直してから、散歩に出かけました。

 清々しい空気を吸いながら、石畳のMarienマリーエン通りを歩いて、ベルリン中央駅に向かいました。この通りを突き当り、右に折れ少し歩いて、広いReinhardtラインハルト通りで左折、西の方へ進みUバーンの高架下を通り抜けるとシュプリー川に出た。橋を渡らず、右の手に見えた中央駅へ進んだ。

【この辺りの河岸には、かって東西を隔てる壁があったようだが、改修されていて、その気配は全く感じられませんでした。】

 
ベルリン中央駅
中央駅の外観から、非常に現代的な構造物であることが分かります。地上部分に都市間のUバーンと国際鉄道が発着するホーム、地下部分にSバーンが発着するホームが配されています。これをエレベータとエスカレータが結んでいます。後日、乗る予定のポツダム行きとワルシャワ行きのホームを確かめました。チケット売り場はありましたが、やはり改札口はありません。

 
 カフェでコーヒーとバンを食べようと探していると地上1階のコンコースにスターバックスのスタンド式の店がありました。カフェラテとシナモンロールを買い、ホテルに戻りました。
 今日の行動予定を確かめながら、コーヒーを飲み、ロールを食べました。味は日本国内とほとんど変わりないように思いました。

 今日の訪問先は、9時からの連邦議会議事堂に始まり、ブランデンブルク門、壁の跡、ペルガモン博物館、夜はベルリンフィルと、欲張った計画を立てていました。

2015年6月21日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(2) テーゲル空港からホテルまで2時間あまり 5/28(木)

 さて、予定時刻より少し遅れたが、19時(現地時間、時差7時間、以下同じ)過ぎベルリン・テーゲル空港に着きました。荷物を受け取るため、案内表示に従って進みました。フランクフルト空港からうまく引き継がれたか、心配でしたが、杞憂に終わり、15分くらいで出てきました。
 荷物を受け取り、傷がないかを確かめてから、コンコースに出ました。外はまだ薄明るい状態で、空港の印象はくすんで暗い感じがしました。左右を見て、バスの案内表示がないかを探しました。幸い、左の方向に見つかったので、その方向へ進んみました。なかなかそれらしいところに出ないので、一端外へ出ました。乗用車は見られるものの、バスは見受けられません。
 コンコースに戻り、先へ進んだところ、別の建物の入り、突き抜けたところが、バスターミナルでした。ベルリン市内へは急行バスがあるとのことでしたが、事前に調べておいた「バス128番→地下鉄U6」コースを利用するため、128番のバス乗り場を探していると1番乗り場から出ることがわかりました。
地図とチケット(左:バス、右:U6)

1.7ユーロ(€)のチケットを買い(これは後で間違いだったことが分かる)、128番のKurt-Schumacher-Platz 行きバスに乗りました。
 バス停では(鉄道も同じ)、後何分で来るかが表示され、助かりました。10分ほど乗ったかそこらで、目的地Kurt-Schumacher-Platz に着きました。なんと、目の前に地下へ降りて行く階段があり、そのままUバーン6号線(地下鉄?)のホームに辿り着きました。改札口がありません。電車が来ましたので、乗りました。
 
 ほっとして、手元の地図で下りる駅名を確かめたりしていると、車内検札がやって来ました。バスのチケットを見せたところ、扉を指して出ていくようにと言っているらしい。近くにいた人もホームで買うように勧めてくれているように思えました。着いた駅で降り、チケット販売機を探し、今度は2.7€のチケットを買いました。地図で止まる駅名を確かめ、目的駅に近づいていることが分かり安心しました。

 ほどなく、Friedrich-str(フリードリッヒ通り)駅に着きました。地上への上りエスカレーターを探しましたが、修理中で、やむなく階段を登りました。ところが、着いたのは地上ではなく、地下コンコースで、さらに周りを見渡し、進行方向と逆が良いと考えその方向の階段を見つけて登りました。荷物が重く、大変な目に遭いました。ちょうどSpree(シュプレー)川にかかる橋の近くに出ました。辺りは夜の景色です。

ホテルアレグラ玄関口
橋を渡り左折、河岸に沿って歩いて行くと、岸沿いにテーブルと椅子でさまざまな人々が食事をしたり、ビールを飲んだりしていました。左側の建物の一階はレストランが営業、大きな喊声が上がったところをのぞくと、壁面の大ディスプレイにサッカーの試合が映っているのが見えました。
 なるほどと思いながら先へ進み、Albrecht-str(アルブレヒト通り)を右折、暗い石畳の道を歩いていくと、右側にホテルアレグラのカンバンが見えました。

 入口がロックされていましたので、向かい側の同グループのホテルのフロントでチェックインを済ませ、部屋のカードキーをもらい、そのカードキーで玄関を開け、如何にも古びたエレベーター5階に上り、ようやく部屋に辿り着くことができました。デーゲル空港に着いてから2時間近くが経っていました。

 荷解きをしてから、夕食を食べに出かけました。近くのレストランでと思い川に向かって歩いていると、右側にインド料理店があり入りました。メニューを見てチキンカレーとビールを注文しました。疲れていたためか、ビールもカレーも味がなく、早々に引き揚げ部屋に戻りました。シャワーを浴びることもなく、ベッドに入って日記をきいてから休みました。7時間の時差だけ長い、長い一日でした。

2015年6月17日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(1)  羽田空港からベルリンを目指し飛び立つ 5月28日(木)1日目

 
ブログ「東向島通信」をまとめ、一本化して継続します。ご高覧いただければ、まことに幸いです。

 さて、私は、去る5月28日(木)から6月8日(月)まで、10泊11日でドイツ・ポーランドの4都市…ベルリン(+ポツダム)、ワルシャワ、クラクフ(+アウシュヴィッツ)、ミュンヘン(+ダッハウ)を巡ってきました。こうした一人旅も、2013年のイギリス・ロンドンに始まり、昨年のアメリカ・ニューヨーク、ワシントン、シカゴに続き、3回目となりました。

 今回の旅は、今年が第二次世界大戦後70年に当たることから、その歴史の跡を辿ってみようということが主たるねらいで、この他、ベルリンフィルやミュンヘンオペラに触れたいという目的や、天候が良ければアルプスの山並みを見るためシャーフベルグ登山鉄道に乗ってみたいという希望を持っていました。結果から言えば、たいへん疲れましたが、体調が悪化することもなく、天候に恵まれ、ほぼ目的を達成することができました。
 これから、感謝の気持ちを込めて、旅の跡をたどってみたいと思います。
羽田空港国際線 搭乗前

搭乗した全日空機は、⒒:40、羽田空港を離陸、16:28過ぎ(現地時間、以下同じ)フランクフルト空港に着陸しました。日本海、ロシア大陸、バルト海?を越え、11時間余りの長い飛行時間です。機中、食事を2回摂り、短く浅い眠り、2本の映画(「天地明察」、「アリスのままで」)を観たり、パソコンで仕事をこなすなど、あまり退屈することはありませんでした。
 
 なかでも、「アリスのままで」は、中年50歳を迎えた知的な女性が若年性アルツハイマー病に犯され、次第に病状が進行する様子、家族との関係や仕事(コロンビア大学言語学教授)のうえで遭遇していく様々に問題にどのように対応していったかを描いていて、非常の好感が持てました。特に、家族性の病かどうか、つまり遺伝するということを案じるところから、母親と娘の関係、娘の結婚に至るまでが描かれていて、印象的でした。
 帰国して知ったことですが、主演女優はアカデミー賞を受賞したとか、さすがとうなづかれました。この映画は、日本ではまだ公開されていなかったことも分かり、国際線の映画を見直しました。
 
フランクフルト空港 着陸前
フランクフルト空港に着いて、ベルリン行くの便に乗継ぐのに一苦労することになりました。
 まず、国内便のターミナルが異なるため、歩いて歩いてどこまで歩くのかと思うほど歩きました。その先に、入国審査、セキュリティチェック、金属製のものはすべて掃き出し、上着や靴を脱ぐことを求められました。ようやくパスし搭乗ゲートに至ったところが、乗客がいない、そのはず、ゲートが変更されていました。変更されたゲートには多勢の乗客が並んでいて、ほっとしました。WCを探し用を足してから、改めて列に並びました。

 機内は満席、大男大女が窮屈そうに座っていました。予定時刻を少し遅れて離陸、1時間余り、ベルリンへ向かって飛びました。