地下鉄に乗り、フリードリッヒ通り駅で下り、地上に出たところに、ファストフード店がありました。やれやれと思いながら、みそ味のソースをからめた焼うどんを食べました。何とも言いようのない味のうどんでした。
フリードリッヒ通り駅のファストフード店で食べた焼うどん |
通りを少し南へ歩き、Dorontheen通りと交差するところで左に折れ、シュプリー川に向かっていたところ、フンボルト大学ベルリンの北側にあるHegelplatzと呼ばれる広場でヘーゲルの胸像に出会いました。
ヘーゲル広場の胸像 |
さらに、1830年、60歳のときに、時のプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世から総長に任命されています。しかし、翌年、コレラに感染し、翌1931年亡くなりました。
【余談】 教養部のころ、論理学を学んでいた折のことが思い出されました。弁証法のことです。正・反・合、命題thesis、反対命題antithesis、統合した命題synthesis、止揚aufhebenといった論理で、あらゆる現象を理解したり、あるいは説明したりすることできると思ったものでした。
フランス革命(1789年)からナポレオン戦争(1803年ー1815年)と言う時代、プロイセン王国にあって、ヘーゲルがどのように学び成長したのか、ウィキペディアに書き込まれた様々なエピソードを読むと興味は尽きません。
ところで、フェンスに貼られたポスターには、”Rassismus im duetschen Bildungssystem" (ドイツ教育システムにおける民族主義という意味か?)と書かれていましたが、ヘーゲルと何らかの関わりがあるのでしょうか。
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