2015年11月29日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(28) 5月31日(日)3時過ぎ ワルシャワ駅前のモールを通り抜ける

ワルシャワ駅のホームから地下通路を通り、地上へをエスカレーターで上って外へ出たところ(改札口がない)、大勢の人々が行き交っていたなかを進み、大きなビル中のショッピングモールを通り抜けてZlota通りに出ました。右(東)側をみると、古い高層ビルが立っていました。文化科学宮殿と言われる共産党政権下、スターリンの贈り物として建設された建物(1952~1956年、37階建て、塔の高さ234m)です。
ワルシャワ文化科学宮殿
横断歩道を渡ったところにメルキュールホテルがありました。ここに2泊する予定です。部屋に入り、荷解きをしてから、少し休むことにしました。ベルリンのホテルと比べると格段良い部屋で、ベッドもキングサイズで、ゆっくり休めました。

小1時間も休んで長い列車の旅の疲れが少しばかり和らいだところで、街歩きにでかけました。まず、モールのショッピング街にあった両替屋に行き、円からポーランド通貨Pnlに交換しました。国内では、ポーランド通貨Pnlに替えることができませんでした。5000円に対し、交換比率0.025で、125Plnを手に入れました。

モールを出て、文化科学宮殿に向かいました。横断歩道に行くところで、美しいベンツを見つけました。相当古い年式のものと思われました。
文化科学宮殿前の通りで見かけたベンツ 何年製?
通りを横切り、宮殿前に進んだ。案内所が見つかったので、入ると女性が一人いました。入り口わきにラックがあり、観光案内が並んでいました。「ワルシャワのTOP10」という文庫サイズのリーフレットを手に取って見ると、日本語で見どころのさわりが紹介されているではありませんか。女性に断って1冊と地図をもらい、外へ出ました。南から東へ、そして北側へとひと回りしました。結局、時間が遅かったため、中へは入らず、ホテルへ戻りました。
ホテルメルキュールのレストランで
夕食は、ホテルのレストランWinestoneで、ワインを飲み、サーモンを食べました。香草の彩もあり、美味しく味わいました。この旅行で料理らしい料理を食べたのは初めてです。部屋に戻り、浴室でゆっくり湯に浸かり、疲れた体を休めました。残念なことにWifiが使えず(設定が上手くいかなかったため)、明日の行程を地図で確かめ、早々に眠りました。

2015年11月22日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(27) 5月31日(日) ベルリンからワルシャワへ 車窓風景

車中から撮った写真のなかから、おやっと思った景色や穏やかな田園風景を紹介します。
火力発電所か ベルリン中央駅を出てまもなし
前回にも書きましたが、ドイツ・ポーランド国境はオーデル川で、ドイツ側のフランクフルト(オーダー)を出ると間もなく、オーデル川を渡り、ポーランドに入りました、残念なことに、写真が撮れていませんので、紹介できません。
ガスパイプ? 何のためのエネルギー源
ポーランドに入ってから、いくつか珍しい景色を撮ることができました。パイプラインはその一つです(上)。また、発電用風車が見られるところもありました(下)。
発電用風車 ここのほかでも見られた
郊外の住宅団地があり、路面電車が走っている風景も目にしました。日曜日で、人影はごくまばらでした。
左奥:住宅団地 右奥:郊外電車?
ポーランドに入ってからの地形は、起伏はあるものの、ほとんどが平原、穀物を栽培する農地が続きました。そうしたなかで、牛を飼う牧草地も見られました。

また、集落のはずれに教会(下)がみられました。集落といってもどれくらいの人(農民?)が住んでいるのか、さほど多くの住居があるようには見えませんでしたが。教会は、周辺の人たちの献金によって支えられているのでしょうから、この近郊にはかなりの人々が生活しているに違いないと思いました。
草原の中に建つ教会
こんな風景も見られました(下)。農場の中で、風車が回っていました。
農場の中で回る風車
前回書きましたように、Kutno駅を14:00に出て、終点ワルシャワに着いたのは、15時過ぎでした。今回の旅行の時期は昨今のような難民問題は発生しておらず、鉄道はほぼ正確に運行されていました。
車中で 向いに座っていた男性が撮ってくれました。

2015年11月13日金曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(26) 5月31日(日) DBに乗り、ベルリンからワルシャワへ 

ホテルアレグラをチェックアウトして、フリードリッヒ駅へ向かいました。シュプリー川を渡る階段を上るとプラットホームへ上る階段につながっていました。入ってきた電車に乗り、一駅隣りのベルリン中央駅に着きました。すでに一度きたところです。コーヒーショップでカフェラテとパンを買い、チケット売り場兼待合室に入り食べました。勝手がわからず、ラウンジに入ろうとしたら、2等車の乗客は利用できないと断られました。

発車時刻9:37が近づいてきたので、指定された11番ホームにあがり、列車の到着を待ちました。この列車に乗ろうとする人が少しずつ増えてきました。何号車なのか分からないままに入ってきた列車に乗り込み空いている席に座っていると、後から来た人に間違いを指摘され、チケットを見せると、教えてくれました。2等269号車の66番が私の席だと分かり、そちらへ移動しました。車室に入ると、席は進行方向に向いた窓際でした。スーツケースをシートの下に押し込み、腰掛けました。

Eチケットと日本から持ってきたPoland Tourist Map(Polish Tourist Organisation発行、西新宿、甲州街道沿いのビルを訪ねて入手した)を手元に、5時間半、650kmの旅が始まりました。

CiV1080  Warzawa行き
車室は進行方向右側にあり、左側は通路となっていました。2等は3人掛けのベンチが向かい合う形でした。発車した時は5人でしたが、途中から1人増え、6人になりました。夫婦らしき男女、おそらくポーランド人は何か話しているほか、他の4人は無言で、新聞を読んだり、雑誌を読んだり、眠ったりして、過ごしました。
通路
車掌の巡回(検札)は3回ありました。チケットに刻印をしていきました。Frankfurt(oder)駅を出て、オーデル川を渡り国境を通過しましたが、何も変わったことはありませんでした。

【余談】 ご存知のように、ポーランドとドイツはEUの加盟国で、シェンゲン協定(参加国間の国境検の撤廃を規定)に参加しているからです。昨今の難民問題の影響が、難民以外の人の移動に及んでいるのかいないのか知りたいところです。
Wg.269車両の車室 右奥に座っていました。
ベルリン中央駅を9:37に発車した列車は、約1時間後フランクフルトFrankfurt(oder)に着き、10:
45に発車、間もなく国境のオーデル川を渡り、ポーランドに入りました。その後、手元のメモによれば、Swiebodzin11:33発、Poznan12:30発、Konin13:20発、Kutno14:00発、そして、Warszaw15:05過ぎほぼ定刻に到着し、5時間半近くの鉄道の旅が終わりました。
Wg.269車両の入り口 ワルシャワで降りた時
※窓外の風景は次回に紹介します。ただ残念なことに、オーデル川を渡った際の写真が撮れていません。そもそもいつ渡ったのかもわからず、おそらくフランクフルト駅を出て直ぐのことだったのでしょう。

2015年11月6日金曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(25) 5月31日(日)朝 ベルリン医科大学病院Chariteを散歩

朝早く目覚めたので、散歩がてら近くの森鴎外記念館からフンボルト大学ベルリン医学部付属病院Chariteまで歩いてみることにしました。ホテルを出て、マリーエン通りを真っすぐ西へ歩き、ルイゼン通りを右へ曲がる角の建物に記念館があります。今度は北に向かって歩きました。5〜600mくらいでしょうか、カール広場を通り過ぎると門がありました。扉が開いていましたので、中へ進みました。
大学病院の案内板
最初に目についたのが、小児科教室です。その前の周回道路に思える道を辿って一周しました。
早朝で、出勤する人の姿もほとんど見えませんでした。
小児科教室
新しい様式の建物は、建設中の高層ビルとマックスプランク研究所Max Planck-Institut fur Infektionsbiologieの建物くらいで、これら以外はほとんどレンガ造りでした。戦災に遭ったと思わましたが、古色を帯びた外観からはそうでもないのか、大戦後70年が過ぎているからとか、いろいろ想像しました。

【余談】 ある教室の前を通っていると、数人の男女が壁際で煙草を吸っていました。さすがに、教室内では喫煙できないのだなと思いました。
精神神経科教室
ホテルへ戻るとき別の通りを選んだため、予想以上に時間がかかりましたが、何とかホテルに辿り着き、予定したチェックアウト時刻にも間に合いました。

【余談】 森鴎外は陸軍軍医としてドイツに留学し、2年間(1887~1888年)滞在しました。記念館は、そのうちのベルリン滞在中の最初の下宿先だったところだそうで、現在はフンボルト大学に付属しているということです。下宿先に近い大学病院では、どのような教室で何を研究したのでしょうか。記念館の中を見学しなかったことは、残念でした。

2015年11月3日火曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(24) 5月30日(土)夕刻 シュプリー川の夕景、寿司を食べに行く

一休みしてから、夕食を食べにでかけた。今晩はベルリンの寿司を食べてみようと検索すると「一心」という店がでてきました。地図を調べるとホテルかそう遠くないところにあることがわかりました。
ベルリンで4泊したホテルアレグラ
夕日を浴びるホテルを後に、フリードリッヒ通り駅へ向かいました。シュプリー川にかかる鉄道橋を渡っていると、観光船がゆっくり進んできました。河岸沿いに並ぶテントの下で、食事をしている人たちの姿も見えました。
シュプリー川の観光船 鉄道橋から
ガイドブックには、フリードリッヒ通りの東側に、ベルリンでよく知られたドゥスマンDussmann das KulturKaufhaus(文化のデパートtでもいうのか)があると載っていたことを思い出し、ちょっと寄って見ることにしました。

店舗は、ドロテーエン通りとミッテル通りの間にあり、すぐ見つかりました。窓越しに、店内の様子が窺え興味がそそられました。地上階、1階、2階(日本風では1階、2階、3階)と、書籍を始め、CD/DVD、文房具など実に様々な品物が売られていました。デパートと言われる所以でしょうか。
すし一心の看板 Mittelstr.ミッテル通り
ドゥスマンを出て、ミッテル通りを西へ50mあまり歩くと「すし一心」の看板が出ていました。中へ入ると、ファミリーレストラン風で、若い家族ずれや男女のカップルが大声で話をしながら箸で寿司をつまみ口へ運んでいる風景が見られました。私は、日本人かと思えるようなウエイトレスに、熱燗と握りの盛り合わせを注文しました。酒は大関、シャリはどこの産地のものだろうかなどと考えながら、飲み、そしてつまんでいるとあっという間もなく、食べ終わりました。今日は朝からまともに食事をしていませんでした。

【予断】 寿司は、この後、ワルシャワとミュンヘンでも食べましたが、ベルリンのこの店がもっとも日本に近いように思いました。

ホテルに戻り、荷物を整理し、シャワーを浴びてからベッドに入りました。ベルリンからポツダムを巡る観光は今日で終わり、いよいよ明日5月31日(日)は、鉄道で第2の訪問地ポーランドのワルシャワへ移動します。