2018年8月28日火曜日

中國一人旅その1(9) 6月8日(木) 9.18歴史博物館を見る

ホテルで朝飯をしっかり食べてから、8:30出発した。家楽福(カルフール)北駅バス停では予定したバス路線が見つからなかったため、景工街に沿って少し歩いたバス停から乗った。30分余り走ったところで、バス停に着いた。少し歩くと、”九・一八”歴史博物館(原名 "九・一八”事変博物館)の入り口に至った。

身分証明のためパスポートを提示して(入場料なし)進むと、正面に巨大な「残歴碑」が目に入ってきた(1991年建立、Broken Carlendar Monument、壊れた日めくりの卓上カレンダーに似ている、高さ18m、横幅30m、旧館とも)。扉は閉じられていた。
「残歴碑」
先に進むと新館(1997年開設)である。その南正面には、「国難」と名付けられた彫塑(青銅製、46トンとか)が取り付けられていた。
新館南正面の彫塑「国難」
「国難」の説明文末に「(前略)彫塑は、(46)トンの青銅を鋳型に流し込んで制作された作品で、国難の恥辱を永久に銘記させている」と日本語で記されていた。
「国難」の説明 日本語文もあった
広場には、不思議な形のものが横たわっていた。爆裂地点に建てられていたという”九・一八”事変柳条湖爆裂地点碑である。
爆破地点碑(左が下部、右が上部)
爆破地点には、満州国時代に関東軍によって記念する碑や木柱が建てられていたようだ。館内に提示されていた2枚のパネルを紹介しておく。
爆破地点碑(コンクリート柱)


爆破地点碑(木柱)「
爆破地点碑は、旧関東軍によって1938年に建立されたが、戦後倒されたまま放置されていたようだが、1991年に当博物館に収蔵されたそうだ。
爆破地店碑の説明
序庁 The Prelude Hall

新館の入り口から入ったところは序庁と呼ばれる部屋で、壁際は白い岩が貼り付けられ、床は黒大理石で敷き詰められていた。一隅にピラミッド形の碑があり、上部が炎のように赤くなっていた。まさに「白山黒水的抗日烽火」である。碑の一面に日本語文があり、最後の2行は以下のように記されていた。
「1931年9月18日は中華民族の国辱の日である。
中国人民はこの日を未来永劫忘れ得ぬ日として記憶することを誓う。」
国難の説明2
先に進むと、様々なパネルやジオラマ、遺物などによって抗日戦争の経過が示されていた。次回は、それらの中から、ジオラマを中心に紹介したい。

2018年8月14日火曜日

中國一人旅その1(8) 6月7日(水)夕刻から夜 高速鉄道で瀋陽へ

エスカレーターでホームに降り、16:10発の和諧号G723の8号車の商務座(ビジネスクラス)に向かった。
8号車の後部入口から入ると通路があり、車室は前後部に区画されていて、商務座は後部で自動扉が開いて中に入ることができた。大連北駅からは相客がいたが、瀋陽駅では僕一人だった。
商務座(ビジネスクラス)
【余談】ここに、水師営会見所の土産物店で購入した乃木将軍「金州城下作」の掛け軸を入れた箱を置き忘れ、残念なことをした。

扉の上部に走行速度が表示されていた。300㎞/hを越えたところが巡航速度のようだ。
走行速度表示
多くの乗客は2等座で、中を覗くと座席は1列に2席、3席が配置されていた。満席のようで、途中からの乗客は通路に立っていた。
2等席
和諧号G723は、瀋陽駅にほぼ定刻に到着した。
瀋陽駅
地下通路を経て地上に進み駅前広場に出た。新築の駅舎はレンガ造りで、古風な印象だった。
瀋陽駅外観
【余談】瀋陽は、満州国時代は奉天、その前清朝時代は盛京とそれぞれ別の名前で呼ばれていた。

瀋陽で予約したホテルは瀋陽北駅に近く、地下鉄で移動した(瀋陽駅で1号線に乗り、青年大街駅でで2号線に乗り換え、瀋陽北駅で降りた)。
地下鉄瀋陽北駅
地上に出ると、瀋陽北駅が聳えていた。上層階はホテルのようだ。広場に記念碑(鳳凰か?)が据えられていた。
瀋陽北駅外観
ホテルは駅から歩いて行けるところだったが、地図を読み違えたため、結局タクシーに乗ってホテルに辿り着いた。チェックインをして部屋に入り、バッグを開いていたときに、高速鉄道の列車のなかに水師営会見所で購入した掛け軸を忘れて来たことに気づいた。残念で、いまでも惜しんでいる。
荷物を整理した後一休みした。目が覚めて夕食を食べ外へ出た。日は落ちて暗かった。
恵工街の夜景
簡単な食事を摂ってからホテルに戻った。シャワーを浴びた後、翌日の予定を確認して休んだ。918歴史博物館、瀋陽故宮、張氏師府などを訪ねる予定で、高徳地図が頼りだ。
ホテル ホリディ・インの入り口

2018年8月11日土曜日

中國一人旅その1(7) 6月7日(水) 昼から午後へ 大連北駅で高速鉄道を待つ

ホテルをチェックアウトしてから長江路を歩き勝利広場前のバス停に着いた。時刻表が表示されていなかったが、30分か1時間間隔で運行されているのでないかと考え、待っていた。長江路には、市街電車201路線も走っていた。
大連駅 手前がバスターミナル
 30分ほど待っただろうか、大連北駅行きのバス909路が来た。バスはしばらく停車していたが、他の客も乗ってきたところで発車した。
車内風景
バスは市街地を所々で止まり乗客が乗り降りした。やがて高速道路のような広い道路(華北路か?)に入りスピードを上げて走った。1時間近くたったところで、大連北駅の北側、停車場に止まった。
大連北駅前の停車場
 地上階からエスカレータで上ると巨大なコンコースが広がっていた(北側から南側を写す)。左右に改札口があり、発車時刻が近づくと係員が来るようだ。ホームへはエスカレータで降りる。
コンコース
大連北駅概況と見ると、駅舎は東西方向453.4m、南北方向310.6m、高さ33m、総建築面積は15.7万㎡という(ちなみに東京ドームの面積は4.67万㎡である。)
平面図によれば、ホームは、南北端の片面2本と中間の両面8本、合計10本あるようだ。
概況説明
平面図
平面図 南北端の2本+中間の8本
横・縦面図
横・縦面図
コンコースの両脇(東西方向)の階上に土産物店や軽食店が並んでいたなかで、小さな食物屋で注文したのが蒸餃子だ。結構、ボリュームがあったが、完食した。
蒸餃子
早く来すぎたようで、2時間余り時間を過ごしていた。3時半過ぎに改札口に人が並び始めので、その後に続いた。何の問題もなく進み、エスカレータでホームに降りた。
和諧号G723




2018年8月5日日曜日

中国一人旅その1(6) 6月7日(水)午前 大連市内・人民広場

大連2日目、朝食をしっかり食べてこの日の行動に備えた。午前中は人民広場と民生街(官庁街)を歩いた。
ホテルの朝食
ホテルから中山路へ出て、バスに乗った。2階席に座り進行に従って外の景色を眺めた。通勤時間帯を過ぎていたためか、車内に人は少なく静かだった。
2階建ての車内
人民広場(旧スターリング広場、1993年改名)でおりると、通りの両側(北と南)が緑の芝生が敷き詰められた広場で、北側には、中央に市政府、西側に人民法院、東側に公安部の建物が広場を囲むように建てられていた。※( )内は満州国での施設名。
大連市人民政府(旧関東州庁)
大連市中級人民法院(旧高等法院)
広場の南側には、国旗掲揚台と音楽噴水があった。朝夕、国旗掲揚式が行われている。音楽噴水は白い施設の前で音楽に合わせて噴水が上がるそうだ。訪ねた時は終わったばかりで、次の時刻までかなり時間があったので、あきらめた。
音楽噴水と国旗掲揚台
広場で憩いながら過ごす人たちのなかには、ダンスを楽しむ女性グループがあった。
ダンスを楽しむ女性グループ
公園掃除の少女像
公園を掃除する少女像
地下鉄1号線人民広場駅ホーム

中山路を西へ歩き人民広場駅へ進んだ。途中に大連医科大学付属第一医院があり、大勢の人が詰め掛けていた。他方、人民広場駅ホームは、地上と異なり人影も少なく閑散としていた。人民広場駅から地下鉄1号線に乗り友好広場駅で降りてホテルに戻った。
地下鉄1号線人民広場駅ホーム
チェックアウトをしてから、ロビーのカフェーで時間調整をつぶした。
コーヒー