ホテルで朝飯をしっかり食べてから、8:30出発した。家楽福(カルフール)北駅バス停では予定したバス路線が見つからなかったため、景工街に沿って少し歩いたバス停から乗った。30分余り走ったところで、バス停に着いた。少し歩くと、”九・一八”歴史博物館(原名 "九・一八”事変博物館)の入り口に至った。
身分証明のためパスポートを提示して(入場料なし)進むと、正面に巨大な「残歴碑」が目に入ってきた(1991年建立、Broken Carlendar Monument、壊れた日めくりの卓上カレンダーに似ている、高さ18m、横幅30m、旧館とも)。扉は閉じられていた。
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「残歴碑」 |
先に進むと新館(1997年開設)である。その南正面には、「国難」と名付けられた彫塑(青銅製、46トンとか)が取り付けられていた。
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新館南正面の彫塑「国難」 |
「国難」の説明文末に「(前略)彫塑は、(46)トンの青銅を鋳型に流し込んで制作された作品で、国難の恥辱を永久に銘記させている」と日本語で記されていた。
広場には、不思議な形のものが横たわっていた。爆裂地点に建てられていたという”九・一八”事変柳条湖爆裂地点碑である。
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爆破地点碑(左が下部、右が上部) |
爆破地点には、満州国時代に関東軍によって記念する碑や木柱が建てられていたようだ。館内に提示されていた2枚のパネルを紹介しておく。
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爆破地点碑(コンクリート柱) |
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爆破地点碑(木柱)「 |
爆破地点碑は、旧関東軍によって1938年に建立されたが、戦後倒されたまま放置されていたようだが、1991年に当博物館に収蔵されたそうだ。
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爆破地店碑の説明 |
序庁 The Prelude Hall
新館の入り口から入ったところは序庁と呼ばれる部屋で、壁際は白い岩が貼り付けられ、床は黒大理石で敷き詰められていた。一隅にピラミッド形の碑があり、上部が炎のように赤くなっていた。まさに「白山黒水的抗日烽火」である。碑の一面に日本語文があり、最後の2行は以下のように記されていた。
「1931年9月18日は中華民族の国辱の日である。
中国人民はこの日を未来永劫忘れ得ぬ日として記憶することを誓う。」
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国難の説明2 |
先に進むと、様々なパネルやジオラマ、遺物などによって抗日戦争の経過が示されていた。次回は、それらの中から、ジオラマを中心に紹介したい。
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