2015年7月30日木曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(8) 5月29日(金) Memoriai to Sinti and Roma

Sinti、Roma人に対する記念碑 右:入口
 国会ビルを出て、ティーアガルテンの中を歩いていると、左側にガラス板で作られたような衝立を並べた壁が続いているところがありました。
 
 入口らしい門の脇に"Memorial to the Sinti and Roma of Europe murdered under National Socialism"と記されていました。また、別の衝立には、1933年から1945年までの間に、彼らに対する迫害はドイツとその他のヨーロッパの国々において、数十万人に及んだと書かれていました。
 思いもかけないことでしたが、この記念碑に出会ったことによって、Genocideがこうした人々にも向けられていたことを改めて認識することができました。

水盤 中心の△は何を語っているのか

【余談】 ”Sinti and Roma”シンチ・ロマという言葉に出合ったのは、旅行の準備中にニュルンベルグ裁判に関する本を読んでいた時のことでした。「シンチ・ロマへの迫害」という記述がありました。

 かってジプシーという言葉は聞いたことがありましたが、今日では差別用語とされ、使われなくなっているそうです。代わって、シンチ・ロマと言われています。ルーツは、14,5世紀ごろインドから中東、ヨーロッパへ移動して来たロマニ系の民族(集団)がロマと呼ばれています。尤も、そうではないという人々もあるほか、住む国や地域によって呼び名も異なるようです。今日、彼らは放浪生活から定住へ変化していると言われています。


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