クラクフ郊外通りを南へ歩くと、ショパンに因む教会やベンチ、博物館があり、また、大統領官邸、ワルシャワ大学、ポーランドアカデミーなどがありました。
まず、若い高校生らしい若者が何やら話しているところは、大統領官邸の前で、騎馬の人物像の先に、どっしり落ち着いた建物が見えました。騎馬の人物は、J.Antoni Poniatowskiyuzユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ(1763.5.7-1813.10.9)という軍人で、ナポレオンの指揮下、ポーランド軍の司令官を務めたようです。第30回で紹介した、旧王宮内の絵に描かれているそうです。
この人物像の前に、銃を担いだ兵士2人が屹立して守っていました(若の陰になってよく見えませんが)。
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大統領官邸 |
ヴィジトキ教会の前を通り過ぎ、次に立ち寄ったところは、ワルシャワ大学です。午後4時過ぎでした。立派な門構えです。1816年、ロシア皇帝に勅許されて、ポーランド立憲王国に開設されたました。政治情勢に翻弄され、中断することもあったようですが、現在に至っています。44000人余の学生が在籍している、大きな大学です。
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ワルシャワ大学 |
正面奥に見える建物(下の写真)まで入ってみましたが、構内案内が見当たらず、また、文字も読めないので、さらに奥へは行かず、引き返し、次へ進むことにしました。
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大学のある建物 |
聖十字架教会に入るとすぐ近くの柱に、ショパンの心臓がここに眠っていると書かれた石板が掲げられていました。
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聖十字か教会 ショパンの心臓が埋められた柱 |
次に、通り過ぎてきたヴィジトキ教会に戻り、中へ入ると、夕べのミサに出る人が次々と入ってくるところでした。最後列のベンチに腰を下ろし、前方を見たり、牧師の説教や参列者が歌う賛美歌に耳を傾けていました。
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ヴィジトキ教会のファサード |
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ヴィジトキ教会の内部 夕べのミサ |
つい、うとうとしそうでしたが、なんとか持ちこたえているうち、1時間ほどが過ぎ、ミサが終わり、人々が出始めたので、僕も連れられて出ました。
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コペルニクスの座像・・・ポーランド科学アカデミーの前 |
クラクフ郊外通りをさらに南へ向かって歩いていると、ポーランド科学アカデミーの前に据えられたコペルニクスの像に出会いました。左手に天球儀、右手にコンパスをもっていました。
【余談】 像の足元に太陽系惑星図が描かれているらしいのですが、気づきませんでした。
さて、今日の最後の目的地、ショパン博物館を目指し、アカデミーの裏(南)側の通りを東へ進み、また、南へ曲がって少し進んだところで、それらしい建物が目に入ったので、その方向へ歩きました。階段を上り、入り口で入場券を購入しようとしましたが、月曜日は閉館で入ることができませんでした。事前の調査不足で、徒労に終わりました。
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ショパン博物館 Tamka通りから |
見学しそこなった博物館を後に、ホテルに戻るため、重い足取りで歩きました。どういう通りを通ったのかはっきりしませんが、夕日が射してくる方向を目やすにして、科学文化宮を目指して歩きました。
何とかホテルに辿り着き、部屋に入ったとたん、ベッドに身を横たえ、しばらく休養しました。目覚めてから、夕食を食べにワルシャワ駅前のショッピングモールへ向かいました。地階の大きなマーケットで、シャープペンシルを買い、3階に上がって、「花」という店で、寿司SADOと酒を注文しました。すしは、これまで食べた中で最も日本から遠いものでした。
ホテルに戻り、風呂に浸かり入り、体を休めました。明日は、クラクフへ鉄道で移動します。荷物を片づけ、少し酔いの回った状態で眠りにつきました。
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