2016年9月7日水曜日

独仏伊一人旅(9) 5月28日(土) ニュルンベルグを訪ねる

今日は、昨日のボンに続いて、第2次世界大戦後のドイツを見る、そして古城街道の古い街を訪ねる計画である。まず、ニュルンベルグNürnbergを訪ねた。

9時過ぎに家を出て、アウトバーン6号線を走った。最初に着いたのは、ナチス党大会場Dokumentationszentrum Reichspartaitagsgeländeである。10時を少し回ったところで、1時間ほどで着いたことになる。

入り口がなんとも奇妙な形で、階段と屋根で人を飲み込むように、大会場の北翼2階に直接入れるように取り付けられていた。5€を支払って入った・案内所でパンフレットを入手し、それから順路に沿って見学した。様々な遺物やパネルが展示されていた。文字通り”Schule im Nationasozialismus"国家社会主義(ナチス)に関する学習施設であった。土曜日であったから、教師に引率された学生や生徒の姿は見られず、大人が多かった。
入り口への階段
ヒットラーの良く知られた、しかもサイン入りの著書が展示されていた。
Mein Kampf 我が闘争
ナチス党大会を伝えるポスターの一つ。中央のコイン状のものに1939の刻印がある。同年9月2日開催されるはずだったが、第2次世界大戦勃発のため、まぼろしの大会となった。右下の写真は、進軍する兵士が撮ったものか。
全国党大会のポスター(まぼろしの大会となった1939年らしい)
展望用バルコニーから見た大会場の内部は、外壁とは異なり、レンガ造りであった。地上の北翼と南翼の間、湖に面した正面に当たるところから入ることができたらしいが、我々が外周を回った時は、扉が閉まっていて気づかなかった。
大会場の跡
展示場を出て南翼の建物(ニュルンベルグ シンフォニーの看板が見られた)をまわると、U形部の回廊が続いていた。
外周部の回廊
2001年開館時の全景(パネル)

地域の全景(パネル)

パネルの右下隅に、「着色された部分はもはや存在しない。それらは、完成も取り壊しも決してされることはない」と書かれている。固い決意が感じられる。
大会場の左上 ツェッペリン・フィールド、右 偉大な通りGloss Str.
広大な構想のもとに施設や道路が配置されようとしていたことが分かる。戦争開始とともに未完に終わった。
入り口の案内板
【余談】 党大会の会場として1923-1938年の間使用されただけに、徹底的に破壊されたに違いないと思われたが、現在の姿に修復する意志、エネルギー、資金力に驚嘆する。

時計をみると11時を回っていた。そこで、中心市街地へ向かった。





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