今回、北京を訪問した目的の一つが盧溝橋事件(七七事変、日中戦争の発端となったところを訪ねることであった。
ホテルを出て、西単駅に向かった。地下鉄1号線で軍事博物館まで行き、9号線に乗り換え、七里荘駅で下車し地上にでた。ここまでは出発前に調べて来たが、ここから先は、地図アプリでタクシーに乗ろうとした。ところが、なかなかタクシーを捕まえることができなかった。10分余り経ってようやく捕まえ乗り込んだ。「盧溝橋」を目指し走り始めてからあまり時間がたたないうちに宛平城門前に着いた。城門を背に西へ進むと盧溝橋だ。
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盧溝橋東橋詰 |
盧溝橋(欧州では、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に出てくることからマルコ・ポーロ橋というそうだ)は、北京の西南15㎞に位置し、永定河(かって、盧溝河といった。)に架かる石造りのアーチ橋である。東から西へ往復したが、石を敷き詰めたところはやや歩きづらかった。
金の時代1189年架橋工事が始まり1192年に完成したという。全長(東西)266.5m、広さ(幅)9.3m、橋脚は10本でアーチが11個ある。欄干には獅子の石刻(501個)が乗せられている。
盧溝橋事件(中国では七七事変)は1937年7月7日、日本軍(支那駐屯軍、司令官代行橋本群)と中国軍(冀察政務委員会第29軍、軍長宋鉄元)の衝突事件であった。事件は現地で4日で休戦しそうだが、日本軍の増派から日中戦争(支那事変、1945年日本軍の降伏まで8年間)の発端になったという。
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盧溝橋を背に自撮り |
【余談】盧溝橋事件に関して言えば、日本兵の増派を決定した時の近衛首相(1937年6月4日就任)の情勢判断の誤りは否めない。この後、近衛首相は日中間の事変解決・和平に取り組むが、所期の目的を達することなく1939年1月5日に辞任した。
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