2018年11月19日月曜日

中国一人旅その1(16) 6月9日(金)午前 清昭陵を見学(3)方城、宝頂、地宮

隆恩門を通り抜け入ったところが方城であった。1644年(順治元年)に建立された。城高6.15m、南北146m、東西120m、方城と呼ばれる所以か。ここで、祭祀が行われたそうだ。
隆恩殿、二柱門と石祭大、月牙城が神道に沿って一直線に並んで建てられ、さらに月牙城の上には大明楼が建ち、地中には地宮が配置されているという。

隆恩門をくぐって直ぐの東西に配楼、その先に配殿が建てられていた。
方城の中央:陵恩殿 右:東配殿 左:西配殿
東配殿
東配殿
西配殿

ここも改修工事中で中を見ることはできなかった。入口脇の案内版によれば、清王朝初期に建てられ、ここでラマ教の僧侶が死者の命日に魂を救うために読経したという(清汪朝ではチベット仏教が広く信仰されていたらしい)。
西配殿
西配殿と陵恩殿の間、通路脇に焚帛亭と呼ばれる大きな石灯篭があった。中には祭祀の際に使われる松明を燃やす円形の火池が作られていた。
焚帛亭
隆恩殿(またの名、享殿)は、1643年(崇徳8年)に建設が始まり1650年(順治7年)に完成し、名称が定まったという。
隆恩殿
隆恩殿の内部はホンタイジとその妃の祭祀の場所であったというが、白く埃っぽい感じがして宗教的儀礼の場という雰囲気ではなかった。とは言え、祭壇(または厨子?)の前に5つの陶器(中央:香炉、左右:華瓶、燭台)が並べられ、これらは次の石祭台に置かれている5つの石彫と同じような意味をもつ、仏教でいわれる三具足と思われた。
隆恩殿内部、主要な祭祀の場所
次に、二柱門と石祭台(またの名前、沖天碑楼、照碑)は、隆恩殿の裏(北)側、月牙城との間に据えられていた。二柱門は改修工事のためよく見られなかったが、石祭台には5つの石彫(中央が香炉”海山”、その両側は有香瓶、両端は燭台)が置かれていた。
手前:石祭台 奥:二柱門
方城の歩道から見ると、隆恩殿(左・南側)、二柱門と石祭台(中央)、明楼(右・北側)が南北の並んでいることがわかる。
左:隆恩殿、中央:二柱門と石祭台、右:月牙城・明楼
角楼は方城の四隅に建てられていて、屋根の形が変わっている。中心にガラスで輝くような大きな瓶が取り付けられ、廂の先には風鈴がぶら下がっていた。兵士が上って周囲を監視していたそうだ。
東北隅の角楼
月牙城は、方城の壁(右(南)側)と宝城(左(北)側)に囲まれた新月の形をした特殊空間で、方城との間を上下する階段が設置されている。方城の通路を抜けた先、左側の宝城の壁に地宮への入り口、昭壁があった。城高約6m、周囲96mという。
月牙城と昭壁 
 宝頂は、白灰、砂子、黄土(三合土という)を用いて盛り上げられているという。高さ7m、周長は110mで、中央に楡の木が植えられていた。この下にホンタイジとその妃の骨灰を祭る地宮が設置されているという。
中央の饅頭:宝頂 右下:昭壁
 方城の見学を終え、出口を出ると3人の女性が踊りを披露している最中だった。
北陵公園前の広場で踊る3人の女性
北陵公園の前、南側には広い北陵大街が走っていた。これと交わる東西の道は泰山路という。
北陵太街
泰山路を右(西)へ地下鉄北陵公園駅へ向かった。

0 件のコメント:

コメントを投稿