2018年3月15日木曜日

独仏伊一人旅(54) 6月5日(日)午後 フォロ・ロマーノ(1)

118番のバスはローマ市内へ、新アッピア街道から分かれてアッピア・ピニャテッリ通りを進み、しばらく走るとまたアッピア旧街道に入った。石畳の道でぼこぼこと揺れながらカラカラ浴場跡と思われるところを左手に見て進むうちに町中へ入ったようで、人々や車の往来が見られるようになった。すると、昨日近くを通ったヴィットリオ・エマニュエ―レル2世記念堂の騎馬像が見えたので、次のバス停Ara Coeliで下車した。そこはちょうどカピトリーノ美術館に通じる階段の前だった。

予定外であったが、近道かもしれないと思い、階段を上った。結構な段数を上ったところでカンピドーリョ広場に着いた。3方に由緒ありげな建物が建っていた。正面が市庁舎、両サイドが美術館だったが、次の目的地へ急いだ。通じる道を探してあちこち動いて時間を無駄にしたが、なんことはない簡単に見つかった。

フォロロマーノ(1)全体の配置

最初に、遺跡内にあった案内板を紹介しておこう。伝承では紀元前753年ごろラテン人が建設したといわれるそうだが、整備は前6世紀ころに始まるという。
遺跡内の案内版 〔上下=北南約100m、左右=西東約300m〕
北西部に位置するカピトリーニの丘から下る道で場内を見渡せるところがあった。

同上(2)サトゥルヌスの神殿、セプティミウス・セウェルスの凱旋門

中央左寄りはセプティミウス・セウェルスの凱旋門、中央右寄りはサトゥルヌスの神殿だ。右端前方にアントニヌス・ピウス(皇帝)とファウスティーナ(妻)の神殿が見える。
(東方向) セプティミウス・セウェルスの凱旋門とサトゥルヌスの神殿
同(3)ユリウスのバジリカ(大会堂)

正面の長方形の遺構はユリウスのバジリカという大会堂の跡だ。ユリウスはユリウス・カエサルのこと、完成させたのはアウグストゥス帝だという。
右手のやや高いところがパラティーノの丘である。
ユリウスのバジリカ(会堂)跡の先に3本の柱が見えるが、カストルとポルックスの神殿というそうだ。
(南方坂道を) ユリウスのバジリカ跡
さて、カピトリーニの丘を下り南(コロッセオ方向)へ進むと入口の表示があった。それに従ってフォロ・ロマーノへ坂道を下るとチケット売り場があったが、この日は無料開放で、支払うことなく中へ入った。

2018年2月26日月曜日

独仏伊一人旅(53) 6月5日(日)昼過ぎ アッピア街道を歩く(3)

La Tenuta e il Casale di Santa Maria Nova

サンタ マリア ノッヴァという農家の不動産とでもいうのだろうか、街道から少し東に入ったところにある3階建ての住居跡Country Houseと約4ヘクタールの土地の複合遺跡で、2006年ローマ古代遺産監督庁に買い取られたそうだ。
住居は8世紀ごろに建てられたと考えられていて、中央左の塔の部分は2世紀まで遡ることができるらしい。
展示施設もあったが、中を見ないまま草原を歩いて隣(奥)のVilla dei Quintilliクインティㇼ ヴィレッジへ進んだ。
 il Casale di Santa Maria Nova サンタマリアノッヴァの住居と土地
Villa dei Quintilli クゥインティルスのヴィラ

(1)全体の配置…案内板

広々とした草原のなかを車のとおる道に沿って進むと前方にぽつりぽつりと遺構らしい形が見えてきたものの、一体どれくらいあるのか、どこからどこまでかを掴めなかったが、最後に寄った接待所で見た案内板でようやく全体の配置がわかった。以下、この案内板によりながら、見学した遺構を紹介したい。
Villa dei Quintilliの案内板
案内板の上部を横切る線がアッピア街道(旧)で、右側はTenuta di Santa Maria Novaで、左寄りがNinfeo della Villa dei Quintilliである。下部の太い横線はアッピア新街道で、中央が遺跡だ。住居や浴場(温水と冷水)、劇場、庭園、噴水など、堂々たる建物や装飾的な庭があったという。

【余談】ヴィラは、もとローマ郊外の居住地で、紀元151年の執政官だったクインティルス兄弟の所有地だったが、時を経て皇帝コモドゥス(在位180‐192年、皇帝マルクス・アウレリウスの子)のものとなったそうだ。

アッピア新街道方向(東方向)方に、della Villa dei Quintilli の遺構が見えた。左からEとD、前方右寄りにC、Bがあった。
ヴィラの遺構(全景)
(2)Settore termale calidario 温水浴場の遺構(案内板E)
Settore termale calidario 温水浴場の遺構(1 南面)
【余談】左手前方のやや低いところに円形の建物跡(案内板F)が見える。後記(7)参照
Settore termale calidario 温水浴場の遺構(2 東面)
(3)Settore termale frigidario 冷水浴場の遺構(案内板D)

Settore termale frigidariio 冷水浴場の遺構(1 南西方向)
Settore termale frigidariio 冷水浴場の遺構(2 東面)
(4)プール ? 案内板DとRの間
プール ?
(5)Grande Esedra e ambienti di rappresentanza 素晴らしい回廊のある半円形の広場と装飾的な環境(案内版R)
Grande Esedra e ambienti di rappresentanza 素晴らしい回廊のある半円形の広場
(6)Cortili porticati 柱廊付き中庭跡… 中央・四角形の更地(案内板T)
Cortili porticati  柱廊付き中庭跡
(7)Edificio curvilinio 円形の建物跡(案内板F)

円の直径は結構が長かったので、相当大きな建物、ドームだったかもしれない。つぎの写真(1)は右(西)方向、(2)は右(東)方向である。(1)には、右前方に、Settore termale frigidario 冷水浴場の遺構が写っている。
Edificio curvilinio 円形の建物跡(1)
Edificio curvilinio 円形の建物跡(2)
(8)Settore residenziale privato 私的な住居地区の遺構(案内板B)

手前左手の長方形の遺構は、Settore residennziare di rappresenntanzaと呼ばれる住居跡という。
Settore residenziale privato 私的な住居地区の遺構
(9)Grande Ninfeo 大噴水(案内板H)

 西方向にみえた大噴水Ninfeo と呼ばれる遺構である。当日、ここの鉄門が閉まっていて入れなかった。その時、鉄門の隙間から映した写真である。
Grande Ninfeo 大噴水
ちなみにここは第5マイルに位置し、鉄門の脇に大理石のマイルストーンの石柱が立っていた(この写真は午前中にここまで来た時に撮ったもの、逆光のようで暗い)。
Grande Ninfeo 大噴水の入口
さて、随分時間がかかったが、アッピア街道での見学を終えて、次の目的地に進むことにした。アッピア新街道に向かって右回りに小道を下っていくと、Accoblienza 接待所(隣りはAntiquiarium 収蔵館)に至った。ここで、ガイドブックを購入してから、バス停へ向かった。
ところが、バス停 Villa dei Quintilliで思いもよらない問題が生じた。切符の売り場が見当たらなかった。118番のバスは来たが、運転手と話が通じなかった。何度か試みていると、運転手が可哀そうだと思ったのか載せてくれた。ありがたく感謝した次第。程なくバスは発車した。

2018年1月4日木曜日

独仏伊一人旅(52) 6月5日(日)午前 アッピア街道を歩く(2)

しばらく歩いていると乗馬の男二人とすれ違った。
馬に乗って街道を行く男二人
つぎにCapo di Bove(浴場 thermae) を目指したが、入口を見落とし通り過ぎてしまった。街道の両側に残る遺跡の多くは墓で、住居跡は少ないので浴場跡を見たいと思っていたが、見逃してしまった。

さて、現地で購入したガイドブック ・the・appian・way・guide〈英語版、Mondadori ,2015,英語版、8€)で取り上げられているTomb墓をいくつかを紹介したい。

(1)The Doric Tomb

古代ギリシャの祭壇型の墓らしく、火山凝灰岩の塊に彫られたものだそうだ。外側の中央に見える浮彫の飾りが特徴という。
The Doric Tomb
(2)The Funerary Monument of Tiberius Claudius Secundus of Philippi

チベリウス・クラウディウスの葬儀記念物あるいは碑と言われるもので、大きな再現された碑文から紀元1世紀の半ばから2世紀初期の間のものという。
The Funerary Tiberius Claudius Secundus of Philippi
(3)The sepulcher of the Rabiri

ラビリ(ラビリウス)の墓
The sepulcher of the Rabirii
(4)The so-called Tombs of the Festoons and of the Frontspiece

写真中央の墓 the Festoons、右側の墓 the Frontspiece

The Tombs of the Festoons and of the Frontspiece
【余談】年末から体調不良となったためブログを書くスピードが落るなどもたついているうちに、新しい年2018年が明けた。漸く回復してきたので、書き始めることにした。

(5)Tomba a Piramide (Mausoleo Pramidale) ミラミッド墓

この遺跡に関する説明は、ガイドに見当たらなかったが、地図に記入された名称から、原形はピラミッド形であることや位置が第5マイル地点に近いSanta Maria Novaサンタマリアノッヴァから少し南へ進んだところと思われた。
Tomba a Piramide
次に少し北へ戻って、サンタ マリア ノッヴァSanta Maria Novaを経て、クィンティルスのヴィッラVilla dei Quintlliへ向かった。時計は12時30分を回っていた。

2017年12月5日火曜日

独仏伊一人旅(51) 6月5日(日)午前 アッピア街道を歩く(1)

6時に目が覚め、顔を洗ってから朝食を食べに行った。今日もかなり歩くことになりそうなのでしっかり腹に収めておいた。

8時過ぎホテルを出発、地下鉄テルミニ駅からAラインに乗りコッリ・アルバー二Colli Arbani駅で下車した。地上に出るとバス停が目の前にあった。バスのチケット売り場が見当たらなかったため、やむなく地下鉄のチケットを出したところ乗ることができた。予め調べておいた600番のバスが来たので乗車した。

バスは市街地を右左に曲がりながら通り抜け、チェチリア・メテッラ通りVia di C.Metellaに入りアッピア・アンティカ街道(旧街道)Via Appia Anticaに突き当たったところが終点で下車した。

バスを降りた丁字路の一隅にカフェAppian Way Cafeがあったので、サンドイッチと水を買い歩き始めた。最初の目的地はMausoleo di Cecilia Metellaチェチリア・メテッラ・エ・カストルム・カエタニ霊廟である。
 アッピア街道(旧街道)Via Appia Antica
【余談】アッピア街道(旧街道)Via Appia Anticaは、紀元前312年アッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設され、起点はローマ市内のサン・セバスティアーノ門で、その後前244年までにプルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延ばされた。全長560kmという。街道には1マイル(ローママイル、1000歩、約1.48km)ごとに大理石のマイルストーン(里程標)が建てられたといわれ、現存しているそうだ。
ちなみに、訪ねたMausoleo di Cecilia Metellaチェチリア・メテッラ・エ・カストルム・カエタニ霊廟は起点から3マイルほどのところにある。マイルストーン1から10まではアッピア街道州立公園内を走っている。
1784年にアッピア街道(旧街道)Via Appia Anticaと並行して走る道路が建設され、こちらはVia Appia Nuovoと呼ばれている。

石を敷き詰めた通りを歩くことは楽ではない。凸凹があって躓きそうになることもあった。よく見ると石のなかには荷車や馬車、あるいは戦車のわだちですり減ったものもあって時代を感じさせたが、敷き詰められて整っている様子から敷き直されたと思った。
アッピア旧街道の表示
しばらく歩いて、Mausoleo di Cecilia Metellaチェチリア・メテッラ・エ・カストルム・カエタニ霊廟に着いた。街道の東北側にあった。
チェチリア・メテッラ・エ・カストルム・カエタニ霊廟の全景
【余談】この霊廟に眠る人物はローマの貴婦人、紀元前69年執政官ConsulであったQuintus Caecilius Metellusチェチリア・メテッラの娘という。

円形の墓tomb
建物に比して入り口は小さかった。階段を上って入ると直ぐ右手に受付のような小屋があった。
入り口
そこで、入場券を求めたが、この日は6月第1日曜日に当たりすべての公共施設が無料開放されていたので、支払わずに入場できた。
入り口から入ったところ
様々な出土品が展示されていた。
展示物(1)

展示物(2)

展示物(3)
円形の墓の内部をのぞいてみた。
円形の墓の内部
建物の内部を紹介しよう。1階と地階が開放されていた。
建物の内部(1)

建物の内部(2)

建物の内部(3)
古代の建造物として紀元前に遡るということで驚くばかりであったが、石棺が見あたらなかった。見落としたのかそれとも別の博物館などに保管されているのだろうか。
ともあれ、先へ進むことにして再び街道を南へ歩き始めた。

2017年11月18日土曜日

独仏伊一人旅(50) 6月4日(土)夕刻 サン・ピエトロ大聖堂を出て地下鉄オッタヴィアーノ駅へ

外で出た。時計を見ると6時に近づいていたが空は青く、サンピエトロ大聖堂の影が長く広場まで届いていた。
サンピエトロ広場
【余談】広場は幅240mの楕円形で、中央にオベリスク(塔)が建てられ、周りを4列372本のドーリア式円柱による列柱廊が取り囲んでいた。広場には円柱の中心centro del colonnatoというマークがつけられた「特定の場所」があって、そこに立つと4本の円柱が1本に見えるそうだ。

右(南)の方にちょっとした人だかりができていたので好奇心で歩いていくと、衛兵の交代かと思われる場面だった。
衛兵の交代か? 
さすがにこの時間では、コンチリアツィオーネレ通りに巡礼者の列はなくなっていた。
巡礼者の参道 コンチリアツィオーネレ通り
帰りは地下鉄Aライン・オッタビアーノ駅から乗ることにして、バチカン美術館の壁に沿って進んだ。このルートを選んだ結果、サンタンジェロ城に寄ることができなかった。
バチカン宮殿の壁
ついでに美術館の出口を確かめておこうと思い寄り道をした。壁をくりぬくようにつくられていたので、意外に思った。
バチカン美術館の出口
地下鉄Aライン・オッタヴィアーノ駅への入り口にようやく辿り着いたが、乗り降りする人は少なく、ホームでも人の姿はまばらだった。
Aラインオッタヴィアーノ駅への通路
ホテルに戻り少し休んでから夕食を取りに外出した。前日カヴール通りでホテルから少し離れた中華レストランの看板を見かけたGrande Secoloに入りイタリア風中華料理を食べた。
ホテルに戻り、翌日の工程(午前、アッピア街道。午後、フォロロマーノ)を確かめて就寝した。

2017年11月11日土曜日

独仏伊一人旅(49) 6月4日(土)夕刻 サン・ピエトロ大聖堂(2)内陣

(1)玄関廊(アトリウム)

地上に下りて改めて玄関廊に進んだ。円柱や角柱に支えられた天井を見ると金色に輝いているようだった。左側にはいくつかの扉が並んでいた。
玄関の天井
 (2)聖年の扉(聖なる扉とも、Porta Santa)

アトリウムから内陣に入る5つの扉のうち右端の扉は聖年の扉と言われる。2016年(2015年12月8日~2016年11月20日)は特別聖年とされ、扉が開かれていた。通るには予約が必要だったようで、僕は入れなかった。
聖年の扉
【余談】聖年は1300年に始まり、25年ごととされている。前回は2000年で大聖年とされた。聖年の年にこの扉は開かれるが、通常は内側に塗り固められているという。
2016年は就任2年となったフランチェスコ教皇によって特別聖年(2015年12月8日~2016年11月20日)とされ、この年は「信者はが特別の赦しを与えられる」とされ、聖なる扉が開かれ巡礼者が多くなるそうだ。

(3)後陣 玉座の祭壇(聖ペトロの司教座とも)

上部へ上ったときに撮影した写真だが、見たところすでにミサが始まっていたようでかなりの数の信者が祈っていた。
上部から見た後陣 玉座の祭壇
 (4)クーポラ(Cupola ドーム)

まことに見事なものだ。中央の丸い穴のように見えるところは明り取りであろうか。
クーポラの丸天井
 (5)上部の回廊

エレベーターをおりたところで回廊があった。窓から光が差し込んでいた。回廊は2/3くらい歩くことができたが、金網が張られていて1階の床を見下ろすことはできなかった。この写真とこの前の2枚はともにその網の目から撮ったものだ。
上部の回廊
(6) 青銅製の大天蓋(パルダッキーノ)

内陣の中央部、クーポラの真下に青銅(ブロンズ)製の大天蓋(パルダッキーノ)があった。ねじれ状の柱の間を通して玉座の祭壇が見えた。中央のステンドグラスが輝いていた。表面の色が黒ずんでいたためか、ちょっと異様な感じがした。
青銅製の大天蓋
【余談】大天蓋はウルバヌス8世(教皇の在位1623‐1644年)の命で1924年に着手、1933年に完成したという。この天蓋の真下には聖ペトロの墓があるそうだ。設計・製作はジャン・ロレンツォ・ベルニーニという人で、大聖堂のいろいろな箇所で仕事を残している。

(7)身廊 上部から差し込む西日
身廊 上部から差し込む西日
時計をみると6時近くになっていた。見どころはまだまだ沢山あるようで残念だったが、歩き疲れた見てまわる元気がなく外へ出た。