2014年9月14日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 1/6】 官庁街から全米日系米国人記念碑へ

フォード劇場
【余談】 蝋人形の館の入り口ではマリリンモンロウの蝋人形が呼び込んでいた。フォード劇場は、改装前の1865年4月14日夜、.観劇中のリンカーン大統領が狙撃されたところである。大統領は同劇場の前のビルで亡くなったということである。以後100年間くらい閉じられていたが、改装され、劇場として児童・生徒に向けた演目などが上演されているようだ。地下が博物館になっていて、リンカーンの大統領就任から暗殺までの生活や執務、奴隷解放などの歴史をパネルや展示品を通して見られるそうだ(「地球の歩き方」による。暗殺犯のものも展示されているらしい。ぜひ見学したいと思っていたが、残念ながら果たせなかった。


FBI 職員専用口
【余談】 日曜日、FBIの職員専用口に警備員の姿はなく、平和な風景であった。わずかに、入り口の前に、コンクリートで作られた花台を並べてあるのみ。
 広大な道幅のペンジルバニア通りには車も人通りも少なかったが、時々若い家族連れがいわば官庁街を見て歩き、父親が息子と娘に何かを教えているような風景が見られ、アメリカ人親子の関係を興味深く眺めた。
全米日系米国人記念碑
ルイジアナ通りに面して水を湛えた水盤のような池に大きな石が置かれていた。まるで石庭のように。周りを碑文を刻した石壁が囲こんでいた。中央に2羽の鶴が大きな翼を背中合わせに広げて立つブロンズ像が置かれていた。翼にはなにか鉄線が絡まっているように見えたが、それは有刺鉄線であった。先の大戦中に強制収容所に入れられていた日系米国人の記念碑であることを象徴しているのだろう。作者は日系アーチストという。
 碑文には、10か所の強制収容所と収容人員、そして戦死した兵士の名前が刻まれていた。故イノウエ上院議員の碑文には、次の言葉が刻まれていた。
 THE LESSONS LEARNED MUST REMAIN AS A GRAVE REMAINDER OF WHAT WE MUST NOT ALLOW TO HAPPEN AGAIN TO ANY GROUP
 日米関係を振り返る良い機会となった。
6月1日(日)、前日の疲れもあってかぐっすり眠ることができた。目覚めたときは9時を回っていた。1階のレストランで朝食を摂ってから、支度をして出かけた。午前中の予定は、キャピトルヒルズ周辺を歩くことである。ホテルを出ると快晴、強い日差しが降り注いでいた。ホテルの西側を通る10th.Stを南へ下った。途中、マダムタッソー蝋人形館、フォード劇場の前を通り過ぎた。


 しばらく歩くとペンシルバニア通りと交差するところに至り、FBI、司法省、旧郵政省などの建物が見られた。




 このペンシルバニア通りを国会議事堂に向かって進み、国立公文書館やペンシルバニア通りを左に曲がり、国会議事堂に向かって進んだ。さらに、国立公文書館、連邦取引委員会ビルなどの前を通り過ぎ、コンスティチューション通りに入った。
 そして、労働省ビルの前を経て、全米日系米国人記念碑に至った。





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