2014年10月20日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第3日 1/2】 ゲッチスバーグ古戦場の町を訪ねる


朝日に陰るユニオン駅
6月2日(月)6時半、前夜に依頼しておいたモーニングコールに目が覚めた。顔を洗い、身支度を整えてホテルを出た。Mt.Vernon Squareを横切り、マサチューセッツ通りを一路ユニオン駅を目指して歩きはじめた。ホテルからおおよそ2km、30分くらいかかるだろうと目算していたが、ほぼその通りに着いた。

【余談】 ユニオン駅の外観は、駅舎とは思えないクラシックな趣である。5月31日、2時間余り、ニューヨークでの忘れ物が届くのを待っていた顧客サービス室はどの辺りだっただろうか。


 広いコンコースをあちこち歩いてバスターミナルを探した。3Fという表示を見つけたが、そこへどのように行けばよいのかがわからないため少しばかり焦りはじめた。パンフレットを手に持った親子連れが僕と同じようにバスターミナルを探して歩いているようなので、これ幸いと彼らの後について階段を2階へ、さらに3階へと上ってようやくバスターミナルに辿り着くことができた。

 バスツアーの主催会社"Glay Line"の案内所で乗車券と引き換えて、乗り場に行くとすでに何人かの人たちが並んでいた。朝食を食べに行こうかと思ったが、時間の余裕がなく、また迷子になってはとの心配から我慢することにした。


ポトマック川を渡る
ほどなくバスが来て、運転手が大きな声で列に並んでいる人々に話しかけた。何を言っているのか全く分からなかった。しばらくして乗り込みが始ったので、僕も乗り込み中ほどの左窓側の席に座った。

バスはワシントンの市街地を通りぬけポトマック川を渡ってインターステート270号からハイウエー15号に入りゲッティスバーグを目指して進んだ。窓の外を遠のていく田園風景を眺めたり、天井から吊り下げられたモニターで市民戦争をテーマとしたドラマを見たりしているうちに、ゲッティスバーグに着いた。約2時間のバスの旅であった。

 
ガイド
出迎えてくれたのは、戦争当時の扮装をしたガイドである。我々を誘導してある店に寄り、手洗いを済ませてから別の店舗に導いた。そこで、木製の擬似鉄砲、帽子、肩掛けズタ袋を各人が身につけた。その後、街中を少し歩き、ある場所に案内した。そこは、ガイドが戦争当時の様子を説明する場所で、いくつかのベンチが置かれ、我々はそこに座った。

 ガイドは我々に説明を始めた。まず、旗について、北部連邦軍Federalの旗と南部連合軍Federateの旗を取り出し、拡げて説明していたらしい。僕はさっぱり分からなかったが、一行は結構楽しんでいたようで、笑い声が何度か聞かれた。ガイドも話術にたけていたのかもしれない。
 
掌に載せた先込め式鉄砲の弾 
会場に設置された野営用テント小屋には、フライパンや食器類、簡易ベットなどが置かれていた。使用していた武器について、手に持った鉄砲の扱い方を説明する場面らしいところで、筒先から火薬を詰めて押し込む仕草を見せていた。そして、銃弾が回ってきた。

 一通り説明が終わったのか、ガイドは一行を次の会場へ誘導した。向かったのは、メーンストリートに面したミニ博物館であった。2階の狭い部屋に長細いガラス戸棚と2段の長椅子があり、われわれはそれに腰掛けた。
 
 ガイドは、戸棚の中に展示されたミニチュアを指で指示しながら説明していたようで、大砲の鉄弾(実物?)を手に載せて見せてくれた。
 
メーンストリート 前を行く人たちはツアーの一行
最初に寄った店舗で借用した鉄砲、帽子、ズタ袋を返し、バスの駐車場へ戻った。バスは、いよいよゲッティスバーグの古戦場へ向かったようだった。

【余談】 ゲッティスバーグは、ワシントンDCの北、メリーランド州を北上し、ペンシルバニア州に入ったところで、145kmくらい離れているらしい。人口は7500人ほど、古く小さな町のようだ。

 メーンストリートに面した建物の中には当時のものもあり、"CIVIL WAR BUILDING"という銘板が貼り付けられていた。

 リンカーン大統領の演説は、1863年11月19日、国立戦没者墓地の奉献式においてであったという。バスは、この墓地の前を通り、Visitor Centerへ進んだ。

 



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