クラクフ3日目、ホテルで朝食を済ませてから、バリツェ空港へ行くまでの2時間ほど、旧市街を歩きました。目標は、ヤゲェウォ大学の構内をみることです。
(1)シュチェパンスキ広場で見たSztuki宮殿(美術館)
クラクフに着いた6月2日(火)に辿った通りより西側のPijarska通りからReformacka通りを進んでいくと、シュチェパンスキ広場に着きました。そこで、美しい外観の建物、Sztuki宮殿に出会いました。現代美術を展示しているということです。
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美しい外観のSztuki宮殿(美術館 |
(2)ヤギエルロンスカ通り
すでに時刻は8時半を過ぎていましたが、人の姿がほとんど見えないので、ちょっとばかり戸惑いながら、大学を目指して歩きました。
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人影が見えないヤゲェウォスカ通り 大学へ通じていました。 |
(3)聖アン教会Church of St.Anne
シフィエンテイ・アンニ通りと交差するところで道路が掘り返されていました。興味を引かれ、写真を撮っていると、鐘の音が聞こえてきたように思い、右へ振り向くと、聖アン教会の正面が見えました。朝のミサが終わりに近づいているか、人が出てきました。ミサの様子を見学したいと思い近づきましたが、終わりまでいられるわかりませんでしたので、結局中へ入らず、もとの通りに戻りました。
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聖アン教会 |
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聖アン教会のファサード 前の通りが改修工事中 |
(4)ヤゲェウォ大学構内
聖アン教会の前は、ヤゲェウォ大学医学部で、門の中を覗くと、いくつかの胸像が見えました。胸像は、医学の発展に貢献した学者のものででしょうか。
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聖アニー教会前の門の中、右側(医学部側)に胸像が並んでいました。 |
(5)コレギウム・マイウスCollegium Maiusの回廊、中庭
ヤギエルロンスカ通りに戻り、少し歩くと、コレギウム・マイウスの入り口がありました。
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ヤゲェウォ大学 コレギウム・マイウス博物館の入口 |
入ると、素晴らしく古典的な回廊が目に入りました。そのはずで、博物館の歴史は古く、15世紀のゴシック様式を残す建物だそうです。
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コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(1) |
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大砲の遺物か |
中庭に不似合いな大筒がありました。
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コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(2) |
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コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(3) |
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コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(4)右隅の通路から入ってきました |
(6)教授の庭Professors' Garden
回廊の一角にあったミュージアム・ショップで買い物をしてから、通路を抜けると、こじんまりとした庭に出ました。案内板によれば、教授の庭と名付けられ、庭に関する記述は、大学の記録では1467年に表れているそうです。
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教授の庭 学者や学生の姿が見えません。休日だったのでしょうか。 |
庭の一か所で、芍薬が開き始めていました。白い乾湿度計Weather Chroniclesの保護箱を見て、60年も昔の小学校の庭を思い出しました。中には、温度計と湿度計が吊り下げてありました。
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芍薬が開き始めていました |
【余談】 大学は、1364年、カジミエンシュ大王によって、ポーランドで最初に創立され、コペルニクスや前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世はここで学んだということです。
博物館の歴史は古く、15世紀のゴシック様式を残す建物だそうです。中には入りませんでしたが。
ミュージアム・ショップで、記念に大学名入りのボールペンを買いました。ところが残念なことに、何度かポケットに出し入れしていると留め金が外れてしまいました。
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