2016年4月16日土曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(50) 6月6日(土) ダッハウ収容所を訪ねる(1)

ミュンヘン第3日目、予定通りダッハウ強制収容所"KZ-Gedenkstaette Dachau”を訪問しました。

(1)ホテルの朝食

久しぶりにまともな朝食をとることができました。果物と野菜サラダをもっと食べるべきでしたが、ともあれ満足して食べ終わりました。

ホテルプラッツルの朝食
朝食を済ませてから、出かけました。地下鉄S2マリーエン駅で進行方向によって乗車ホームが違うことに気づき、エスカレーターと階段で上り下りしましたが、なんとか方向を間違えずに乗ることができました。電車は、25分ほどでダッハウ駅に着き、地下道を通って外へ出ました。

(2)ダッハウ強制収容所"KZ-Gedenkstaette Dachau"前のバス停

結構大勢の人がバス停へ向かって歩いているではありませんか。乗った726番の2輌連結のバスは満席で、立っている人がいるほどでした。

10分ほどで収容所前のバス停に着き、入り口に向かって歩きました。
厳かな感じがするバス停
(3)収容所の玄関口

真夏のような強い日差しのもとを進んでいくと、右手に収容所の入り口が見えました。
収容所の入り口
(4)収容所の扉

くぐり戸に、"Arbeit Macht Frei"が取り付けられていました。これを押し開けて、中へ入ると、収容所の跡が一望されました。右手にコ字形の管理棟、正面に点呼エリア(中央に記念碑)、左手に収容者の復元された2棟の生活棟と34の生活棟跡がありました。
扉 "Arbeit Macht Frei"
"The Dahchau Concentoration Camp,1933 to 1945"(カタログ、Bookstandで購入、CD付、18€)によれば、ダッハウ強制収容所は、「1933年3月22日、第1次世界大戦以来、使われていなかった軍需工場に開かれ」、「1945年4月29日、アメリカ軍によって解放された」、この間、"the SS"の管理下にあったという。各国・各地に設置された収容所のモデルとなったと言われています。

現地は、The Memorial Siteとして、1965年に開設され、かって点呼エリアであったところに記念碑が除幕されました。バイエルン州政府The Bavarian governmentとダッハウ国際委員会the Comite International de Dachau (CID)が建設協定を結び、70年代、80年代に世界的に関心を喚起する学習と記憶の場として整備developmentが進められました。現在は、CIDによって管理されています。

Concentoration Camp Memorial Site 1969年頃

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