2016年8月7日日曜日

独仏伊一人旅(4) 5月27日(金)午前 ケルン大聖堂を観る

ケルン中央駅に着いて、階段をおりコンコースを南へ進み、大聖堂へ続く出口の方向へ歩いた。すでに9時40分を過ぎていた。
大勢の観光客の流れに沿って進んでいくと、広場があり、その南側の階段のうえ、大聖堂があった。西側(右側)に2つの塔がそそり立っていた。
ケルン大聖堂の北側
東寄り(左側)の入り口から内陣に入った。ステンドグラスを通して差し込んでくる薄い光のなかで、中央祭壇、聖三賢王の聖箱が微かに見えていた。
内陣 中央祭壇、
内陣回廊を進んでいくとに不思議な十字架が目に入った。十字架礼拝室の中に掲げられたゲロ大司教の十字架と言われるものである。
ゲロ大司教の十字架
内陣回廊の中央部に、三賢王礼拝堂(室)があった。祭壇の後ろに3つの窓があり、いずれも13世から14世紀に遡る古いステンドグラスがはめられている。中央は聖書窓(1265年、大聖堂最古、新約聖書と旧約聖書が描かれている)、左は三賢王窓、右はペテロ、マテルヌス窓(ともに1330年頃)と言われる。

左側の柱の上部に、十字架のキリストと祈る3賢王(?)の像が見えた。
三賢王礼拝堂のステンドグラス
また、中央に小ぶりな祭壇が設けられていて、3つの窓の下の壁にはそれぞれ絵が描かれていた。
三賢王礼拝堂(中央礼拝室)の祭壇
さらに進んだところで、内陣の中央祭壇に置かれた三賢王聖櫃が間近に見られた。12世紀初めケルン大司教に贈られた東方の三賢王(三博士)の遺骨を納めるために金細工師の手によって1190年から1220年にかけて制作されたという(高さ1.53m、幅1.1m、長さ2.2m)。木製で、前面は純金の板で、また、側面は金細工をした銅や金の板で作られ、さらには多数(1000個)の宝石や真珠、300個の純宝石やカメオなどで飾られているとのことである。
三賢王の聖櫃(箱)の右(南)側面
【余談】 1月6日三賢王の祭日には、格子の後ろに金の冠が置かれた3つの頭蓋を見ることができるそうだ。聖櫃は、1322年、三賢王礼拝堂に置かれた(現在地に置かれたのは1948年以降)。ケルン大聖堂は、三賢王の遺骨、聖遺物あるということから巡礼者の参拝が増え、巡礼教会となったという。

つぎに紹介するのは、聖母マリア礼拝堂(室)の市守護者の祭壇(1442年ごろ)である。元市庁舎内礼拝堂から移された(1809年)という。中央の絵は、幼いイエスの祈りを捧げ、贈り物を奉納する三権王が描かれ、左翼の絵は、処女を伴う聖ウルズラ、右翼の絵は、テーバイ兵士の殉教者を伴う聖ゲレオンを示しているという。
聖母マリア礼拝堂(室) 市守護者の祭壇
西側(正面)の入り口から出たところは広場になっていた。その端まで行って振り返ると、北塔と南塔の全体を仰ぎ見ることができた。
西から見た外観 左:北塔 右:南塔
3枚の扉、なかでも中央の扉の上部には、真ん中のイエスを抱くマリアの像を始め左右に多数の聖人像が飾られていて、印象的だった。
西側の入り口
 【注記】本稿では、以下の冊子及びパンフレットを参照し、引用した。
1.ケルン大聖堂 宝庫を含む写真案内書(日本語、B.ショック ヴェルナー、Rahmel-Verlag GmbH)
2.ようこそ ケルン大聖堂へ(日本語、DOMFORUM Treffpunkt Information Kirche、August 2013)



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