大聖堂の正門から南側に歩を進め、隣接するローマ・ゲルマン博物館へ向かった。
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大聖堂の南面 中央の屋根上に棟十字架が見える 右隅に博物館がある |
【余談】 ご存知の方が多いかと思うが、私はケルンがかってローマの属州ゲルマニア・インフェリオル(下または低地ゲルマニア)の首都であったことを初めて知った。カエサルの時代、ローマの版図はライン川まで拡大した。ケルンは、ライン川の西側にあって植民都市としてローマ人の移住が定着し、発展した。
館内に入り、チケット(6€)を購入し、案内パンフレットを受け取った。最初に見たのがローマ時代の軍団
Lucius Pobliciusの墓(42AD、高さ14.6m)である。この墓の前(地階)には、後で紹介するディオニソスのモザイクThe Dionysus mosaic(220-230AD)と言われるモザイクで装飾された床があった。
【余談】 第2次世界大戦中の1941年に防空壕を構築するため掘削していたとき、ローマ時代の邸宅の食堂の床にこのモザイクが発見されたという。
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Lucius Pobliciusベテラン軍団の墓 |
フロアには、発掘されたローマ時代に遡る、様々な碑石、宝物、ガラス器、モザイクなどが展示されていた。
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ローマ都市への入り口アーチ 手前の像は皇帝の肖像 |
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ローマ渡来のガラス器 |
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モザイク |
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ライン川にかかる橋の基礎杭と碑文 |
地階の
ディオニススのモザイクを見ることができた。大きさは、横7m×縦10.6m。モザイクは、多様な模様のなかに、周辺部に16枚、中央部に15枚の絵が規則正しく描かれていた。絵には一つ一つ名前が付けられているようだ。パンフレットには、Harvest wagonという名の絵が紹介されているが、この写真では上辺5枚の絵のうち左端の絵と思われる。
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The Dionysus mosaic |
【余談】 1999年6月19日、ケルン・サミットのワーキングディナーがこのモザイクの床のうえで開かれたそうだ。ちなみに、当時日本の首相は故小渕恵三氏であった。エリティン大統領も出席していて、ロシアに対する債務問題が主要な議題の一つであったという。
12時が近づいていたので、博物館を出てケルン中央駅へ向かった。
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