幸い、雨は間もなくやみました。宮殿の正面に至り、その端正な姿が目に入ってきました。正面右手に入り口があり、そこから中の入りました(チケット代12€)。閉館まで長い時間がなく、ゆっくり見られませんでした(もちろん、写真撮影は禁じられていましたので、残念ながら記録写真はありません)。
|
宮殿the Old Palace
いくつも部屋をとおり、壁、天井、床、家具、調度品、絵画、壁絵、天井画を見ていくことのに結構疲れましたが、印象深いところは、陶器の間(ルーム95)と教会(ルーム94)です。
陶器の間は、壁という壁に、飾り棚を設け、大小様々な中国や日本などの陶器が展示されていました。その数はどれくらいあるのでしょうか。およそ2700点ということですが、数の多さに驚かされました。
続いて入った部屋が、教会でした。王の権威を示すためであるのか、黄金色に輝く王冠に圧倒される思いがしました。
【余談】 図録によれば、宮殿は1695~1699年の間に、初代プロイセン王フレデリックthe Great Elector Frederick William of Brandenburg(1620-1688)の二番目の王妃シャルロッテのために、小さな夏の宮として建設され、1701-1702年に左右に拡張されたと記されていました。
|
宮殿の形 左右の対称がみごと 右上はシュプリー川 〔出所:図録P.3〕 |
【余録】 この宮殿を建設したフレデリック王は、ホーエンツオレルン家Haus Hohenzollernの支配者でありましたが、図録には、この王から最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世Willam Ⅱ(1859-1941、在位1888-1918)まで、およそ3世紀にわたる王家の系図が掲載されています。
宮殿は、1943年に戦災により大きな被害をうけたとのこと、修復の営みにこの国の人々のすごさを感じました。
さて、宮殿を出て、通りを横断し、王宮通りSchlosstr.の中央路の両脇に、テント張りの下に小店が連なっていました。土日のイベントのようで、手作りの木や金属の工芸品、絵、織物など実に様々な品物がテーブルに並べたり、テントの梁に吊り下げられていました。すでに夕闇が近づいていたため、店じまいをするところもありました。宮殿の整った風景とこの市井の風景に違和感はありませんでした。
|
|
王宮通りの小店 土日のイベントのよう |
何か当地ならではのものはないかと覗きながら進んでいるとテントが途切れてしまって、大きなビスマルク通りに出ました。
地下鉄の駅ソフィーシャルロッテ広場駅に降りていき、地下を走るUバーンに乗りました。ツォー駅でSバーンに乗り換えたのですが、たいへんな人出です。競技場の最寄り駅ということで、サッカーの試合から戻ってきたらしい男女と子どもたち、揃いのシャツとパンツを身に着け、顔に同じマークを付けている人たちで盛り上がっていました。
地上を走るSバーンに乗り、フリードリッヒ通り駅で下車し、ホテルへ戻りました。7時を過ぎていましたが、まだ宵のような明るさでした。夕食まで少し休むことにしてベッドに入りました。
|
Uバーン ソフィーシャルロッテ広場駅 |
0 件のコメント:
コメントを投稿