2016年2月23日火曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(40) 6月3日(水) 午前 アウシュビッツ1号

ホテルで簡素なビュッフェ式の朝食を食べ終わってから、2軒隣のコンビニエンスストアで、昼食用にローストチキンを挟んだパンと水を買い、ホテルのロビーで、ツアーバスの迎えを待っていました。予約では、8:30にピックアップにくることになっていましたが、15分くらい遅れて、ロビーに入ってきました。

ホテル前に止めてあった小型バスに乗り込むと何人かの先客がありました。左側の空席に座ると、すぐ発車しました。その後、2か所回り、お客をピックアップしてから、一路、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館があるオシフィエンチムの町へ向かいました。どこを走ったのか、良く分からないまま進みましたが、クラクフから西へ54km、地図によれば、44号線を辿ったのだろうと思います。田園地帯、ところどころで森や林の中を通って行きました。信号がなく、従って止まることもほとんどありません。結構揺れましたので、途中から車酔いにかかったようで吐き気を覚えましたが、何とか飲み込み到着まで耐えることができました。1時間余り走り、10時ごろ、駐車場に着き、ほっとしました。
アウシュヴィッツ1号と2号の配置
現地のガイドから説明があり、ツアー名が記入されたプレートをもらい、胸につけました。トイレで用を足してから、アウシュヴィッツ1号の入り口へ向かいました。インフォメーションセンターには寄らず、テントの中でパスポートと持ち物のチェックを受け、先へ進みました。
ゲートに掲げられた”ARBEIT MACHT FREI”(働けば自由になる)
アウシュヴィッツ1号には、28の囚人棟があり、最大で28000人が収容されていたということです。k

以下、①「地球の歩き方A26 2014-15」、②冊子「アウシュヴィッツ・ビルケナウ その歴史と今」(13PNL)、③写真集「アウシュヴィッツービルケナウ あなたの立っているところ」(39PLN)、そして私が撮った写真を照合させながら、紹介することにします。気分を害された方は飛ばして先へ進んでください。
私の誤解や無知によるところがあると思います。そうしたくだりは、お許しください。

※上記の②及び③は、アウシュヴィッツ2号・ビルケナウのインフォメーションセンターで購入しました。ともに日本語版。③写真集については、次号の最後をお読みください。

(1)4号棟 
地下ガス室のジオラマ(立体模型)
殺人ガスに使われたというチクロンの空き缶と珪藻土
(2)5号棟
集められた義足や義手
集められたカバンやスーツケース、かご
(3)6号棟
収容者の顔写真
やせ細った収容者
(4)7号棟
被収容者の部屋 3段組みのベッド
(5)有刺鉄線
外周に無蔵された有刺鉄線 220Vの電流が流されていた。左手の
倉庫に、チクロンBや被収容者の持参物が収納されていたと言う。
(6)死のブロック 「死の壁」 
奥の「死の壁」の前で政治犯とされた囚人が銃殺された
(7)集団絞首台
集団絞首台(復元)
(8)収容所司令部と囚人棟を隔てる有刺鉄線
囚人棟(右手)と収容所司令部(左手)を隔てる有刺鉄線
(9)SS管理局の絞首台
SS管理局の絞首台
左のパネルには、1947.4.16,収容所初代司令官ルドルフへすRudjf Hossがここで処刑されたと記されている。
(10)焼却炉・ガス室
配置図
ガス室 天井の穴からチクロンBが投入された。
焼却炉
焼却炉・ガス室の全景
(11)感謝の銘板
「未来の世代のために記憶される場所」の碑
アウシュヴィッツ1号を一通り見終わって、インフォメーションセンターの側を通り、駐車場へ戻ると途中に、3つの言葉で、「未来の世代のために記憶される場所」と記された碑がありました。

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