2016年1月29日金曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(35) 6月2日(火) クラクフ旧市街 ホテルマテイコからスタート

駅ビルから出て、駅前の通りを西方向へ少し歩くとマテイキ広場Plac Jana Matejkiに出る角にホテルマテイコHotel Matejkoがありました。ここがホテルとは気づかず、一度通り過ぎてから引き返し、入口の扉を開いて中へ入りました。すぐ左側にフロントらしきカウンターがあり、内側に2人の男がいたので、予約シートを見せると、まだチェックインはできないというようなことを言っているようで、スーツケースを預けることにしました。倉庫(?)の鍵を手渡されたので、良く分からないままに、倉庫の扉を開けると、中は荷物で一杯でした。そこで、なんとか入れる隙間を確保して、押し込みました。フロントに戻り、鍵を返してから、出かけました。
ホテルマテイコの外観 1階右隅が入り口
マテイキ広場を旧市街へ向かって少し歩くと、大きな騎馬像を載せた記念碑が建っていました。グリュンワルドGrunwald記念碑と言い、「1410年にポーランド・リトアニア連合が、現在のポーランド北部のグルンヴァルト周辺でドイツ騎士団(Zakon krzyżacki)を破ったグルンワルドの戦い(Bitwa pod Grunwaldem)を記念した顕彰碑」だそうです。南側に並んで、無名戦士の記念碑がありました。
(奥)グリュンワルド記念碑 (手前)無名戦士の記念碑
Baaztowa通りを横切ったところで、バルバカン(1498年、ワルシャワで見損なった要塞)に出会いました。回りは堀になっていて、迂回するように進みました。
バルバガン
旧市街は世界遺産の登録されていますが、この辺り一帯がPlantyというグリーンベルトで囲まれていました。ヤン・マテイコの像も、そのPlantyの中で見つけました。新緑の樹林を借景して、いかにもポーランドの高名な画家を讃えるにふさわしい記念碑と見ることもできそうです。ワルシャワの旧王宮ギャラリーで見た「額縁のなかの少女」を思い出しました。
ヤン マテイコの像 額縁が画家らしい?
フロリアンスカ門を通り抜けると、同じ名前の通りが、中央広場まで続いています。
南側から見たフロリアンスカ門
通りの両側には、宝石店、洋装店、ブティック、靴屋、パブ、レストラン、ケバブ店、アイスクリーム店、土産物店など様々な店舗が営業していました。ところどころに、奥へ入って行ける路地があり、興味を引かれましたが、入らず、進みました。先に、聖マリア大聖堂の尖塔が見えました。
Florianska通り

2016年1月25日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(34) 6月2日(火) ワルシャワからクラクフへ 2時間余り

朝起きて、市内を散歩がてら歩いてみようと考え、ホテルを出ました。片道30分の範囲で、できれば、ワルシャワ蜂起博物館の外観だけでも見ておきたいと思い、アレヤ・ヤナ・パブワAl.Jana PawlaⅡ通りを北へ歩き始め、プロスタProsta通りを西へ曲がって進みました。通勤の車がひっきりなしに走っていました。トバロバTowarowa通りとの交差点まで来たところで、北の方を見ましたが、それらしい建物(地図に表示されていた)が見当たりませんでした。残念でしたが、あきらめて折り返しました。
 アレヤ・ヤナ・パブワナ通りとプロスタ通りの交差点で見た風景
ワルシャワ市内の一風景 高く伸びた木々に囲まれた工場の跡?
ホテルに戻り、荷物を整理し、チェックアウトの手続きを済ませてから、駅へ向かいました。時刻は8時少し前です。構内のコスタCostaというカフェでコーヒーとホットドッグを買い、店内の椅子に腰を下ろして食べました。食べ終わって、3番ホームに降り、列車の入線を待ちました。

ホームの案内板に、列車が表示されていませんでしたので、少し不安でしたが、発車時刻間際になって表示されました。間もなく、"PKP Intercity"の列車が入って来ました。先頭の1等車に乗り込むと間もなく、定刻とおり発車し、2時間28分間の旅が始まりました。
PKP ワルシャワ中央駅3番ホーム
車窓から見た農村 緑の草が美しい
ワルシャワからクラクフまで、草原が続いていましたが、ベルリンーワルシャワ間と異なる点は、起伏結構多かったと印象が残っています。6月の始めで、小麦の収穫を終えた後か、刈り込まれていました。
PKP ICの車内風景
クラクフ駅 PKP ICの先頭車両
【余談】 PKPは、ポーランドの国鉄です。乗車した列車は、PKP Intercity(IC)、都市間を走る急行列車です。※フランスのTGVはポーランドまで来ていません。

私は、左側窓際のシートに座っていました。途中、10時すぎに一度停車しましただけで(その以外の停車したメモがあ)、定刻⒒:03にクラクフKrakow駅に到着しました。
クラクフ駅西口
到着したホームから階段を上ったり、下ったりして何とか外に出ました。ポーランドの旧都、古い歴史を持つ街で最初に出会った建物は、現代的なものでした。駅前の通りには、市街電車、バス、タクシー、乗用車、そして人々が往来していました。

2016年1月18日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(33) 6月1日(月)午後 ショパンとコペルニクスの跡を訪ねる

クラクフ郊外通りを南へ歩くと、ショパンに因む教会やベンチ、博物館があり、また、大統領官邸、ワルシャワ大学、ポーランドアカデミーなどがありました。

まず、若い高校生らしい若者が何やら話しているところは、大統領官邸の前で、騎馬の人物像の先に、どっしり落ち着いた建物が見えました。騎馬の人物は、J.Antoni Poniatowskiyuzユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ(1763.5.7-1813.10.9)という軍人で、ナポレオンの指揮下、ポーランド軍の司令官を務めたようです。第30回で紹介した、旧王宮内の絵に描かれているそうです。

この人物像の前に、銃を担いだ兵士2人が屹立して守っていました(若の陰になってよく見えませんが)。
大統領官邸
ヴィジトキ教会の前を通り過ぎ、次に立ち寄ったところは、ワルシャワ大学です。午後4時過ぎでした。立派な門構えです。1816年、ロシア皇帝に勅許されて、ポーランド立憲王国に開設されたました。政治情勢に翻弄され、中断することもあったようですが、現在に至っています。44000人余の学生が在籍している、大きな大学です。
ワルシャワ大学
正面奥に見える建物(下の写真)まで入ってみましたが、構内案内が見当たらず、また、文字も読めないので、さらに奥へは行かず、引き返し、次へ進むことにしました。
大学のある建物
聖十字架教会に入るとすぐ近くの柱に、ショパンの心臓がここに眠っていると書かれた石板が掲げられていました。
聖十字か教会 ショパンの心臓が埋められた柱
次に、通り過ぎてきたヴィジトキ教会に戻り、中へ入ると、夕べのミサに出る人が次々と入ってくるところでした。最後列のベンチに腰を下ろし、前方を見たり、牧師の説教や参列者が歌う賛美歌に耳を傾けていました。
ヴィジトキ教会のファサード
ヴィジトキ教会の内部 夕べのミサ
つい、うとうとしそうでしたが、なんとか持ちこたえているうち、1時間ほどが過ぎ、ミサが終わり、人々が出始めたので、僕も連れられて出ました。
コペルニクスの座像・・・ポーランド科学アカデミーの前
クラクフ郊外通りをさらに南へ向かって歩いていると、ポーランド科学アカデミーの前に据えられたコペルニクスの像に出会いました。左手に天球儀、右手にコンパスをもっていました。

【余談】 像の足元に太陽系惑星図が描かれているらしいのですが、気づきませんでした。

さて、今日の最後の目的地、ショパン博物館を目指し、アカデミーの裏(南)側の通りを東へ進み、また、南へ曲がって少し進んだところで、それらしい建物が目に入ったので、その方向へ歩きました。階段を上り、入り口で入場券を購入しようとしましたが、月曜日は閉館で入ることができませんでした。事前の調査不足で、徒労に終わりました。
ショパン博物館 Tamka通りから
見学しそこなった博物館を後に、ホテルに戻るため、重い足取りで歩きました。どういう通りを通ったのかはっきりしませんが、夕日が射してくる方向を目やすにして、科学文化宮を目指して歩きました。

何とかホテルに辿り着き、部屋に入ったとたん、ベッドに身を横たえ、しばらく休養しました。目覚めてから、夕食を食べにワルシャワ駅前のショッピングモールへ向かいました。地階の大きなマーケットで、シャープペンシルを買い、3階に上がって、「花」という店で、寿司SADOと酒を注文しました。すしは、これまで食べた中で最も日本から遠いものでした。

ホテルに戻り、風呂に浸かり入り、体を休めました。明日は、クラクフへ鉄道で移動します。荷物を片づけ、少し酔いの回った状態で眠りにつきました。

2016年1月12日火曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(32) 6月1日(月) ワルシャワ・ゲットー記念碑から旧市街にもどる

来た道路を戻り、クラシンスキフ庭園が見えたところで、道幅が広く中央をトラム(市街電車)が走っている通りGen.Wt. Andersaを右(南)へ曲がり、庭園(西側)のなかならトイレがあるだろうと思って、歩いているとまた、不思議な人物像に出会いました。「スターリン主義広場政治囚」と言い、1999年に建てられた、労働者党がソ連の影響下にポーランドを支配していた時代を象徴するものだそうです。
スターリン主義広場の政治囚
肝心のトイレはなかなか見当たらず、前述の通りにもどり、今度は幅広い通りGen.Wt. Andersaを渡り、クラシンスキフ庭園に入りました。新緑の木々が茂る落ち着いた公園で、ゆっくり散歩をしたいところでしたが、気持ちはトイレに向かっていましたので、散歩どころではありませんでした。案内板を見ると、南西の端にあるらしいので、そちらへ向かいました。

ようやく見つかり、なんと地下へ降りていくと扉がしまっているではありませんか。なかに管理人らしい人が気づいてくれ、硬貨を入れると鍵が開くらしいことが分かりましたが、いくらかがなかなか通じず、小銭入れを出して、その人に取ってもらい、やっと鍵を開けることができました。用を済ませ、彼にお礼の挨拶をしてから、階段を上り外へ出ました。南へ行くか、東へ行くか、迷いましたが、結局南に向かうと、すぐ近くに門がありました。
クラシンスキフ庭園内のトイレット 地下にあって目だたない
門を出て、少し歩くと、中央にトラムが走る幅広い通りアレヤ・ソリダルノシチに経出ましたので、旧王宮広場を目指し、しばらく歩いていると、右手(南)に、高い人物像が見えました。そこで、通りを横切り、近づくと大きな女性像であることが分かりました。Pomnik Bohaterow Warszawy・・・1939年から1945年まで、対独戦争を戦ったワルシャワの英雄の記念碑でした。最初、1964年に建てられ、1997年に現在地に移されました。御影石の台座の高さは14m、女性像の高さは7m、長さは6m、重さは10Tonということです。
ワルシャワの英雄記念碑 1939-1945
記念碑の前の坂道を上りきりったところで、左へ曲がり少し歩くと、午前中に通ったクラクフ郊外通りに出ました。旧王宮広場を通り過ぎ、旧市場広場に着きました。お昼の時とは様変わりで、人の姿は少なくなっていました。目指すPomnik Syrenki剣を振り上げる人魚像に近づくと、一人の女性がそっくりのポーズをとっていました。そこで、断らず撮った写真を紹介します(お許し願います)。

兼を振り上げる人魚像と、そっくりのポーズをとる女性
旧市場広場を後にして、クラクフ郊外通りに戻り、南へ向かって進みました。ショパンとコペルニクスが主題です。

2016年1月6日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(31) 6月1日(月) 旧市街市場広場から、ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑まで

王宮を出て、キューリー夫人博物館を目指し、旧市街市場広場へ向かった。昼食の時間とあって、どの店も結構流行っていました。中央左手に、人形姫の像が見えましたが、やり過ごし、レストランを求めて先に進みました。
旧市街市場広場の屋外レストラン
 野外レストランではと思いながら進んでいると、キュリ―博物館と思われる建物のまえに辿り着きました。入り口脇に博物館の銘板がありましたが、扉には移転したと書いた紙が貼りつけられていて、残念ながら目的を果たせませんでした。
キューリー夫人博物館の跡 観光客らしい人が貼り紙をみていました。
そこで、昼飯を食べるところはないかと見回すと、一軒先に赤色のTAKEDAという文字が目に入りました。近づくと、sushi・ramenと書かれているではありませんか。ここで食べるのも一興と考え、中へ入りました。乾いた喉を潤すため、水を頼み、醤油ラーメンを注文した。水は直ぐ運ばれてきたが、ラーメンは中々出てこなかった。カウンターの奥に店主らしい日本人と思われる人がいましたが、声をかけず、待っていました。かなり時間が経ってから運ばれてきました。先ず汁を吸って味見をしました。少し濃いなと思いましたが、まずくはありませんでした。麺は噛み応えもあり、結構いけるなと思いました(代金はラーメン15PLN、水6PLN、それぞれ消費税が8%と23%でした)。
ラーメン屋 TAKADA
食べ終わって、次に向かったのは、ワルシャワ・ゲットー蜂起に因む記念碑があるところです。地図を片手に方向を確かめながら歩き(恐らく1km以上と思う)、幸いにも目的地に着くことができましたが、途中で不思議な建物を見ました。ポーランド最高裁判所ビルで、クラシンスキフ庭園前の道路を跨いで建てられていました。通り抜けた右側に、クラシンスキフ宮殿があるそうです。
ポーランド最高裁の一部 通り抜けた右側がクラシエンスキフ広場
【余談】 ここまで来る途中に、バルバカンBarbakanと呼ばれる城壁の遺構(旧市街と新市街の境界になっているらしい)があり、通り過ぎたはずですが、残念なことに全く気づきませんでした。
また、ポーランド最高裁判所ビルの南側(野外)に、ワルシャワ蜂起記念碑Warsaw Monument to Insurgentsが設置されていたことも見逃していました。本当に残念です。そもそもワルシャワ蜂起とワルシャワ・ゲットー蜂起の違いに気づいていなかったため、それぞれの記念碑があることが分かりませんでした。前者は、ポーランド人による蜂起(1944.8.1-10.2)で、後者は、ワルシャワのゲットーに隔離されていたユダヤ人による蜂起(1942.4.19-5.16)ものでした。

辿り着いた着いたところは、前述のとおり、ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑(または英雄記念碑)です。碑の前にダビテの星(六芒星)をかたどった花輪3基が捧げられていました。
ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑
【余談】 記念碑に一礼してから、向いのポーランド・ユダヤ人歴史博物館(記念碑と一体の施設と思われました)で用を足したいと考え、入ろうとしましたが、入場料を買うのに手元のPLNでは足りませんでした。

2015年12月28日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(30) 6月1日(日) ワルシャワ旧市街、王宮前広場から宮殿内部へ

ようやく、旧王宮前に辿り着きました。先の大戦で壊滅したそうですが、良く復旧したものだと感心しました。
旧王宮前広場
 右手:旧王宮 左手:ジグムントⅢ世ヴァーサの像(石塔の上部)、城壁址(赤レンガ)
【余談】 ヨーロッパの古代と中世の間(4世紀から8世紀)は、「ゲルマン民族の大移動」が興るなど、民族移動時代と呼ばれています。その後、各地に王国が建てられました。そのなかの一つが、ポーランド王国で、1025年に始まり、ミェシュコⅠ世が戴冠しました。この王国は1569年まで続き、この間の14世紀にリトアニア大公国と合同し、ポーランド・リトアニア共和国を形成しました。この共和国は、当時人口や領土においてヨーロッパ最大の国家といわれました。

ジグムントⅢ世ヴァーサという人は、このポーランド・リトアニア共和国の王(1587-1632)で、スウェーデン王(1592-1599)でもありました)、1596年に都をクラクフからワルシャワへ遷させました。
 
王の碑は戦災で粉々になりましたが、これらを拾い集め復元したということです。王の碑の西側(左)には、赤いレンガ造りの城壁バルバガンの跡が残っていました。
王宮内の中庭 右手が入り口で入場券売り場がある
王宮の中庭に入り、左手の入口のなかで入場券を買いました(23ズウォティ)。クロークに荷物を預け、ガイドマップに沿って1F(日本風に言えば2階)に上がり、見学を始めました。そうしたなかで、印象深いシーンを写真で紹介します。


【入場した時刻は10時ちょうど、次にギャラリーに入った時刻から計算すると1時間20分近くを見学に費やしたことになります。

最初は、The Great Assenbly Hall大会議室と呼ばれる広い部屋に入ったところで、窓から見た風景です。やや東北の方向に向かっていて、手前に緑の庭園、その先にヴィスワ川、さらに遠くに教会の2つの尖塔が見えました。
大会議室の窓から見た風景 緑の庭園、ヴィスワ川、二つの尖塔
次は、同じ大会議室の天井画です。どういう光景なのか、ストーリーがあるのかわかりませんでしたが、明るい色彩で描かれていながら、ちょっと恐ろしい感じがしました。

三番目は、王冠の間と記された部屋の玉座です。部屋のインテリアは、1784-86年にデザインされたもので、後ろの壁かけと天蓋には、86個の鷲が銀の糸で刺繍されているとか。これらは、第2次大戦中に分捕られ残っていたものをもとに復元したそうです。
玉座
次に紹介する絵画は、ヤン・マテイコ(ポーランドの画家)の1891年の作品で、「1791年5月3日憲法」という名前が付けられていました。当時は、ポーランド・リトアニア共和国の時代で、王はスワニスワフⅡ世です。この憲法は、アメリカ合衆国憲法に次いで先進的な民主憲法と言われています。絵の中央右寄りの人物スタニスワフ マラコフスキStanislaw Malachowski(国会議長、憲法署名人の一人)が右手に掲げる文書にこの憲法が書かれているそうです。左寄りの赤いマントを着けた人物が王のスワニスワフⅡ世、また、右端、馬上の将校は、王の従弟、ユゼフ・ポニャトフスキということです。
ヤン・マテイコ 5月3日憲法
最後に紹介するのは、ギャラリーのレンブラント(1606-1669)の作品が展示されている部屋です。宮殿を見終って一端外へ出ましたが、レンブラントの作品が展示されているというガイドブックの記事を思い出し、改めてギャラリーの入場券を買い、中へ入りました(入場料21ズウォティ)。入ってすぐのところに、展示室がありました。素晴らしい作品でした。左がGirl in Picture Frame(額縁のなかの少女)、右がScholar at Writing Table(机の前の学者)という作品です。川村記念美術館でレンブラントの作品を見たことがあるだけに、興味深く鑑賞しました。
ギャラリーのレンブラントの作品が展示されている部屋
【余談】 これらの2作品は、1994年にKarolina Lanckoronskaから王宮に寄贈された絵画の一部でです。少女の絵は、1641年の作ということです。2010年に東京富士美術館において、ポーランドの至宝として展示されたことがあるそうで、その折のブログを読むと、結構な歴史があるようです。

監視員のいない折に写したためか、ピントがあっていません。お許し願いたい。見終わってから、次の部屋へ、次の部屋へと進むと、王宮で使われていた調度品や食器、武具や武器などが展示されていて、他に見ている人もなく、監視員に怪しげに見られているようで、気分はよくありませんでした。明るい外へ出て、ほっとしました。

2015年12月9日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(29) 6月1日(月) 旧市街を目指して歩くと

ホテルを出て、文化科学宮殿に向かって歩きました。非常に幅広いE.Plater通りを左(北方向)に曲がったところで、こんな光景に出会いました。何かの撮影風景で、モデルと思しき女性が回転ドアのまえで、指示を受けているようにみえました。路上のオープンカーには、サングラスをかけた3人がなにやらおしゃべりをしていました。

その脇を通り過ぎて進むと、スターバックスの看板が見えましたので、中へ入り、コーヒーとシナモンロールを注文し、階上のフロアで、ベンチタイプの椅子に腰掛けて飲み、食べました。ロールの味はニューヨーク、東京と違いは感じませんでした。  
モデルに指示する女性
地図を頼りに、北へ進み、突き当たったところを右(東方向)に曲がり、道なりに進んでいくと樹木が鬱蒼と茂る公園サスキSaski庭園に辿り着きました。進む方向に間違いはなかったようで、公園のなかに入り、進んでいると噴水があるところにきました。その先に門か塔のような構造物が見えました。無名戦士の墓でした。2人の兵士が銃を持った姿勢で火を守っていました。
無名戦士の墓 両脇に2人の兵士が屹立していました。
墓の前のピルサドスキー広場を通り過ぎ少し歩くと、王宮へ向かうクラクフ郊外通りに出ました。まだ観光客が来る前のようで、人通りも車も多くは見られませんでした。
旧王宮への道
王宮前広場に向かって進んでいると、アパートのような建物の3階の窓が開いていて、若い女性の姿が目に入りました。読書をしているのか、それとも携帯電話でも見ているんか、東から降り注ぐ火を浴びて、気持ちよさそうに立っている姿は結構魅力的に見えました。
窓辺で?する若い女性
旧市街にある王宮まであとわずかです。

【余談】 前回紹介した「ワルシャワのTOP10」によれば、「旧市街には、700年の歴史があります。第2次世界大戦で完全に破壊されましたが、その後ゼロから復元されました。」とあります。