2017年4月11日火曜日

独仏伊一人旅(28) 6月1日(水)ヴェルサイユ宮殿(3)

戦争の間
この部屋は、1878年に建造が始まり、1686年に完成したといい、装飾は「オランダ戦争(1672-1678年)での軍事的勝利をテーマ」としているそうだが、大理石の壁に嵌め込まれたレリーフ「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」(コワズヴォックス作)に目が引かれた。レリーフの上部に2体の「名声の女神」の彫刻、下部の両側に2体の「鎖につながれた奴隷」の彫刻(いずれも金メッキ仕上げ)が飾られていた。
「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」コワズヴォックス作 しっくい
レリーフの下部には、「王のこれからの歴史を書くクリオ」というレリーフが施されていた。クリオClioは、ギリシャ神話に出てくる歴史の女神だそうだ。
「王のこれからの歴史を書くクリオ」
窓から外を眺めると、広い庭園が広がっていた。手前に、2つの「水花壇」が、その先の深い木立ちを2分するかのように大運河が見えた。
北側の「水庭園」
鏡の回廊
全長75mの回廊で、北翼の戦争の間と南翼の平和の間をつないでいる。西側(写真左側)は、鏡を貼りつけた壁と庭園に面した窓が続いている。東側(写真右側)は、鏡を貼りつけた壁と彫刻を収めた窪みが続いていた。天井画が続き、シャンデリアが吊りさがっていた。廊下には、金メッキを施した高い燭台や彫刻が配されていた。
もっともよく知られたところで、現代では、第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約の署名がここで行われた。
鏡の間(回廊)
平和の間
部屋の隅、窓側と壁側に、不思議な壺2個が配されていた。壁側は馬の1本脚の人物らが抱擁する像が彫りこまれ、窓側は不思議な人物の顔が彫り込まれていた。
大きな壺1
大きな壺2
再び鏡の間を通って、「王のアパルトマン(居室)」と呼ばれる、鏡の間の内側の「閣議の間」、「王の寝室」、「牛眼の間」、南翼の「第一控えの間」、「衛兵の間」、「王のアパルトマンに通じるロッジア」、「大理石の階段」に進んだ。

2017年4月3日月曜日

独仏伊一人旅(27) 6月1日(水)ヴェルサイユ宮殿(2)

「マップ」によれば、見学区域が、1階の「王女たちの居室(アパルトマン)」が緑「歴史回廊」が紫、2階の「大居室(グラン・アパルトマン)」赤、「ルイ14世の間(フランス史博物館・17世紀の間)」黄、「戦闘の回廊(戦史の回廊・1830年の間)」青、というように色分けされていた。
※( )は、「ベルサイユ見学」(VISITER VERSAILLES、図録、日本語版、15€)による。以下の記述は、この図録を参考にした。

北翼に入って進むと、王宮礼拝堂に至った。ルイ14世の時代、1689年に始まった礼拝堂工事は1710年に完成したという。図録には「王は、1710年から1789年まで、彼が聖体を授ける大きな宗教行事、聖霊騎士団の式典、子女の洗礼・婚姻にためだけそこへ降りた。」と書かれている。白の大理石と金色に塗られた部分の対比が鮮やかで、失礼ながら、これが宗教施設かといぶかしく思われた。
1階、王室礼拝堂
2階に上り、礼拝堂階上席から、王のグラン・アパルトマン(大居室)に進んだ。

ヘラクレスの間
1712年、壁に掛けられた絵は、パオロ・カリアリ(通称ヴェロネーゼ)の「パリサイ人シモン家の食事」(1570年、494cm×974cm)という大きな作品だ。
あるブログによると、中央右寄りにイエス、背中を見せる男はこの家の主人シモン、足もとでイエスの足を香油で拭く女はマグダラのマリアだそうだ。
「パリサイ人シモン家の食事」ヴェロネーゼ 1570
この部屋の天井画が見もので、完成したのは1736年、142体の人物が描かれているそうだ。中央右上の棍棒を持つ男がヘラクレスで、中央上部(写真には写っていない)にゼウスがヘーラー(ヘラクレスのライバル?)の娘へーべーの手を取って、ヘラクレスに渡そうとしているところが描かれているらしい。
天井画「ヘラクレスの神格化」 フランソア・ルモワーヌ 1736年
ヴィーナスの間
天井画に描かれた女神ヴィーナスの名前が居間の名称になっている。
この絵は、太陽神話に関連する惑星、金星が古代ギリシャでこの星と一体だった愛の女神の姿で描かれたものだという。
天井画「神々と強大国を従わせるヴィーナス」ウァッス
ディアーヌの間
ヴィーナスの間と同じように、王の大居室の玄関として使用された部屋で、ディアーヌは古代ギリシャの狩りの女神で、太陽神アポロンの妹ということだ。ルイ14世が狩猟好きであったことを示唆している。
暖炉のうえの次の絵画は、ギリシャ神話に由来するもので、中央に描かれているのが王女イフィゲネイア、右上が狩りの女神アルテミス、父王アガメムノンの失言から、王女が女神の鹿に代わって生贄になるという悲劇の場面を描いているそうだ。女神の足元に、大きなナイフが置かれている。
「イフィゲネイアの犠牲」 シャルル・ド・フォッス
マルスの間
ディアーヌの間に続いて、マルス(火星)の間に進んだ。マルスは、また戦いの神ともいわれ、部屋の装飾が軍を題材にしていることから「衛兵の間」と呼ばれていたこともあり、次いで夜音楽とダンスのために使われるようになりと「舞踏会の間」と呼ばれるようになったそうだ。非常に大きい部屋だ。
中央の暖炉上に飾られていたのは、騎乗のルイ14世を描いた絵画である。
「騎乗のルイ14世」
天井中央部は、クロード・オードランという人が「オオカミに引かれた戦車に乗るマルス」を描いた天井画だ。ギリシャ神話に由来すると思われるが、オオカミは飼い慣らされていたのだろうか。
天井画「オオカミに引かれた戦車に乗るマルス」 クロード・オードラン
メルクリウスの間
メルクリウスMercurius(英語読みMercury)は、ローマ神話で、商人や旅人の守護神という。
元々、儀式用寝室ということで、立派なベッドがあった。宮殿が博物館になった当時(1837年)、ルイ・フィリップが置いたものという。もっとも、寝室として使われたことは少なかったようだ。
王の寝台
天井画「2羽の雄鶏が引く戦車に乗ったメルクリウス」は、ジャン・バティスト・ド・シャンペーニュの作品だ。
天井画「2羽の雄鶏が引く戦車に乗ったメルクリウス」
 寝室にはちょっと不似合な時計が、革命前と同じ場所に置かれていた。1706年、ルイ14世に贈られたものだそうだが、いまも時を刻んでいるらしい(正確かな?)。

アポロンの間
7番目の部屋がアポロンの間だ。太陽、芸術と平和の神に献じられたといい、最も豪華なもので、金が惜しみなく施されたそうだ。
天井画は、シャルル・ド・ラ・フォッス作の「四季が随行する4頭の馬に引かれた戦車に乗ったアポロン」である。
「四季が随行する4頭の馬に引かれた戦車に乗ったアポロン」
王の大居室(グラン・アパルトマン)に続く戦争の間、鏡の回廊、平和の間は、次回に紹介したい。


2017年3月13日月曜日

独仏伊一人旅(26) 6月1日(水)ヴェルサイユ宮殿(1)

朝7時に起床、8時前にホテルを出た。スターバックスで、パンとカフェラテ、そして水を買った。カフェラテを飲み、パンを食べて腹ごしらえをした。
オペラ駅からメトロ7号線に乗り、Invalidesアンヴァルド駅でPER Cラインに乗り換え、ヴェルサイユVersailles-Chateauへ向かった。
通勤時間帯で、車内は混んでいたが、いくつ目かの駅で席が空き、座ることができた。路線図と車外、車内を代わる代わる見ながら過ごした。お喋りする人は少なかった。ほぼ40分ほどで、Gare de Versailles Chantiers駅に着いた。当初予定した駅Versailles-Chateau Rive Gaucheではなかったが、そうと知らないままに降りてしまった。
周りを見渡したが、宮殿へ向かう人は見られなかったので、携帯のマップで経路を確かめて歩き始めた。10分以上は歩いたと思うが、ようやく宮殿が見えるところまできた(予定駅はもっと近かった)。
アルム広場 右:ルイ14世騎馬像
ルイ14世の騎馬像を横目に見ながら、アルム広場を進んでいくと外の格子門があり、これろ通り抜けたところで、手荷物のセキュリティチェックを受けてさらに進むと金色の中央格子門があった。
右側の「大臣庁舎の北翼」の建物の入り口から入ってチケット売り場を探したが、見当たらなかった。そこで、一旦「正面中庭」にでると南翼の建物にあるらしく、人が向かっていく方向へ進んだ。中へ入ると、売り場があった。
チケットは1日券と2日券があったが、1日券(15€)を購入し、マップ(日本語版)をもらった。
正面中庭
再び、正面中庭を横切り、北翼の建物に入ったところから長い見学が始まった。時刻は10時を過ぎていた(予定より1時間ほど遅くなった)。



2017年3月3日金曜日

独仏伊一人旅(25) 5月31日(火)夕刻 パリのノートル・ダム大聖堂からバスティーユ広場へ

サン・ミッシェル・ノートル・ダム駅で降り、地上へ出て、直ぐそばの橋をシテ島へ渡っていると、セーヌ河が増水して流れが速いことがわかった。
セーヌ河左岸 左側がシテ島
渡ったところは大聖堂前の広場で、何かイベントでも開かれたのか開かれるのか、テントが張られていて、地面に機材が置かれているなど、神聖な感じがしなかった。
大聖堂前の広場
南(左)側の入り口(聖アンナの扉口)から内陣へ入ると、夕べのミサが行われていた。警備員らしい大きな男が祈りに来た信者と観光客を振り分け、大きな声で話す観光客に”静かに”と注意していた。最後部に近いベンチに腰かけ、司祭の声や聖歌隊の歌、オルガンの響きに包まれながら、体を休めた。
奥は後陣、主祭壇上に栄光の十字架とピエタ 手前は外陣
【余談】ガイドブックによれば、主祭壇上のピエタ(若いキリストの死を悲しむ聖母の彫刻、1723年)の両側に、ルイ13世(右側)とルイ14世(左側)が聖母マリアに拝礼する像(いずれも1715年)が配置されている。ルイ13世は、自分の王冠を聖母マリアに捧げている姿だそうだ。

1時間ほど経って祈祷が終わり、参列した信者に司祭から聖餐が与えられていた。
聖餐を受ける信者
1時間ほど休んだ後、内陣を見学して、ガイドブック(英語版と日本語版)、記念のメダルを購入してから外へ出た。

【余談】ちなみに、ノートル・ダムは、「我々の貴婦人」と呼ばれる幼児を抱いた聖母マリアということらしい。従って、フランスの各地に、ノートル・ダムがある。パリ大司教座聖堂が正式の名称。1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。

大聖堂の基本情報(ガイドブックによる)
・建設 後陣1163-1182年、外陣1180-1200年、ファサード1190-1220年、
    翼廊1250-1270年
・高さ 尖塔spire96m 塔tower69m アーチ天井下vault33m 屋根下roof43m
・長さ 翼廊trasept12m 聖歌隊choir36m 全体total128m 身廊nave60m 
・はば 翼廊trasept48m 身廊nave12m

時刻は6時を回っていた。メトロ1号線を目指し、セーヌ川右岸とシテ島にかかるアルコル橋を渡って、オテル・ド・ヴィル駅へ向かった。
アルコル橋から見たセーヌ河 右はシテ島、正面はサン・ルイ島
どの通りを歩いたのか記憶がさだかでないが、何とかたどりついた1号線の駅ホームで不思議な車両を見た。ゴム輪鉄輪併用の車両で、1号線だけに走っているそうだ。
メトロ1号線 MP89系車両 ゴム輪鉄輪併用
【余談】ゴム輪鉄輪併用の車両では、ゴム輪は支持と駆動、鉄輪は進行方向の案内、と機能を分けているそうだ。

バスティーユ駅に着いて、地上へ階段を上るとオペラ・バスティーユの前に出た。雨は止んでいなかった。
オペラ・バスティーユ 1989年完成
バスティーユ広場の中央に、「7月の円柱」と称される記念塔が立っていた。1840年に完成した歴史的建造物である。塔頂に、黄金の天使像が据えられていて、自由の象徴とされているらしい。
7月の円柱 1840年完成
【余談】バスティーユは、フランス革命の発端となった、襲撃された監獄があったところで、それにちなむ遺跡をたどる予定であった。残念なことに、天気と日中の歩きで体力を消耗したため、早々にメトロ8号線に乗ってホテルへ戻った。「7月」は革命記念日の1789年7月14日(1890年フランㇲ建国記念日、現在フランス国民祭、パリ祭もしくはパリまつには日本だけ、英語圏ではバスティーユ・デイ)に由来する。

夕食は、ホテルの斜向かいのすし屋で、握りを食べて済ませた。暖かいシャワーを浴びてから、一日を振り返り、翌日の予定を確認して、晴れると良いなと思いながら眠りについた。翌日、日中はヴェルサイユ宮殿を訪ね、夜はオペラ・ガル二エで「魔王」を観る予定だった。

2017年2月19日日曜日

独仏伊一人旅(24) 5月31日(火)午後 雨の中、エッフェル等を目指して

オルセー美術館の裏通りを目指して歩いていくと、広い通りに出て、右方向にブルボン宮フランス国民議会(下院)があった。オルセー通りに出て、セーヌ川にかかるコンコルド橋側に渡ってから見ると、堂々とした外観であった。
ブルボン宮フランス下院
議事堂を通り過ぎ、オルセー通りをエッフェル塔方向へ進んで行くと、右手にセーヌ河にかかるアレクサンドル3世橋が見えてきた。
この橋は、1900年、パリ万博が開催された年に完成したもので、優美な32の街灯がある、中央に橋脚がないアーチ鉄橋(長さ107m)で、橋の4隅には立派な塔(高さ17m)が建てられている。そして、柱の上には、芸術、農業、闘争、戦争を意味する金の女神像が飾られている。晴れた日であれば、素晴らしい景色を見られたであろうと思った。
アレクサンドル3世橋
【余談】興味深いことに、この橋は、ロシアのニコライ2世(1868-1918)が建設し、両国の友好の証としてパリ市に寄付したのだそうで、橋の名はニコライ2世の父の名前からきているという。

早々に通り過ぎて少し進んだところで、地図を見てエッフェル塔に近いと通りと思われたユニヴェルシテ通りに移動して、さらに進んだ。しばらく歩いているとみやこ寿司の前に来た。
みやこ寿司
ようやくエッフェル塔に近づいたが、塔の先端は雨雲に包まれて霞んでいた。
エッフェル塔
塔の下に入って見上げると、鉄塔の複雑な構造が目についたが、どのように強度を計算して設計したのか、20代の若者の名前が残っているそうだが、感心するとともに19世紀末の新しい意気込みが感じられた。
エッフェル塔の足元
上るエレベーターは2か所あるように見えたが、雨にも関わらず人がチケット売り場に並んでいたので、あっさり諦めて、セーヌ川にかかるイエナ橋に向かった。

堤防に立って、乗船場を見るとそこへ行く河川敷の通路が水没していて近づけそうになく、そのうえ、降り続く雨で増水したため、クルーズ船バトビュスの運航は止まっていた。残念だったが、次に向かう予定のノートルダム寺院へ行く方法を地図で探し、フランス国鉄RER・Cラインで行けることを見つけた。
そこで、セーヌ河の土手道を進行方向のポン・ド・ラルマ駅へ向かって歩き始めた。1kmくらいは歩いただろうか、アルマ橋の手前で地下へ降りる階段が見つかり、ほっとした。
チケットはメトロと共通で、問題なくのることができた。停車駅を路線図で見ていると3つ目で、サン・ミッシェル・ノートルダム駅に着いた。

2017年2月10日金曜日

独仏伊一人旅(23) 5月31日(火)午後 オルセー美術館 絵画3

5.近代芸術の到来

青の睡蓮

クロード・モネ(1840-1926)が、1983年から住んでいるジヴェルニーの住居に作った、水庭園に植えた睡蓮の連作を描き始めたのは1897年、以来30年かけて仕上げた作品は200点あるという。
青い睡蓮 クロード・モネ 1916-1919年頃
6.後期印象主義

自画像

ゴッホの部屋(2階)で、まず目についたのがこの作品で、生涯で数多く残した自画像の一つである。画家は、「身体的精神的変化」を刻み、自分のアイデンティティーを問い続けた。
自画像 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
星月夜La Nuit etoilee

この作品は、南仏アルルのローヌ河の左岸から、ガス灯に照らされた街を描いているそうだ。ゴッホは、1886年から1890年に自死するまで、パリで過ごしたらしいが、見学案内には、「極めて密度の濃い創作と限りなく辛いノイローゼの時期を過ごした。アルルで南の混じりけのない光に驚愕し、『ここでは自然は色を作るために必要なものだと、確信している』と述べた。」といい、「その妄想の一つは、逆説的に、夜の眺めの輝きを把握する欲求であった」と書かれている。
星月夜 フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年
 【余談】ゴッホには、星月夜‐糸杉と村(1889年)と呼ばれる作品があり、ニューヨーク近代美術館に展示されている。

 子午線La Merideienne、または昼寝Ls Siesteと呼ばれるこの作品を見て、これがゴッホの絵かと思った。これは、ミレーの絵を模写したもので、左右が入れ替わっているそうだ。
子午線La Merideienne、または昼寝Ls Sieste フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
【余談】 ゴッホの模写作品は30点ほどあり、その中に、浮世絵を模写した作品があるという。

アレアレアArearea(愉び、ポリネシア語)

次に紹介するのは、ポール・ゴーギャンPaul Gauguin(1848‐1903)の作品である。ゴーギャンは、1891年4月から1893年6月までタヒチに滞在した(第1次滞在)が、この作品は、その間に制作されている。ある作品解説によると、「この絵に描かれたような光景はどこにも存在しない…。タヒチでのゴーギャンの作品は、実際の島の様子を描いたものではなく、彼が頭の中で創り上げたタヒチのイメージを描いたものなのです。」ということだ。
アレアレア ポール・ゴーギャン 1892年
オルセー美術館での鑑賞はこれくらいで切り上げ、記念品を買ってから、外へ出た。つぎに向かったところはエッフェル塔である。雨が降り続くなか傘をさしてひたすら歩いた。



2017年1月11日水曜日

独仏伊一人旅(22) 5月31日(火) オルセー美術館 絵画2


4.印象主義の誕生

アルフレッド・シスレーAlfred Sisley(1839-1899)が氾濫後のポール・マルリの風景を描いた連作6点のうちの2点である。シスレーはイギリス人だそうで、「光と色彩豊かな都市や農村、河辺、田園などを生涯にかけて描き」、印象派を代表する画家である。
ポール・マルリは、セーヌ川沿いの村で、1876年雪解けの水があふれ洪水が起こったそうだ。
上:ポール・マルリの洪水 下:ポール・マルリの洪水と小舟 アルフレッド・シスレー 1876年
【余談】 左側の建物は現存するそうで、1階はカフェ、2階はホテルになっているとか。

アルジャントゥイユのひなげしCoquelicots a Argenteuil クロード・モネClaude Monet(1840-1926)

印象派の代表作と言われる作品です。土手を下る親子は、モネの妻カミーユと息子ジャンという話、土手の上にも親子の姿が描かれているがこちらにもモデルがあるそうだ。
アルジャントゥイユは、パリの北西、セーヌ河右岸の街という。
 
アルジャントゥユのひなげし クロード・モネ 1873年
羊飼いの娘(小枝を持つ少女、座る農家の娘とも) La Bergere カミーユ・ピサロCamille Pissarro(1830-1903年)

この作品は、1882年3月の印象派展に画家が出展した34点の一つだそうで、「その完成度と探求的表現は、この時期の作品の中でも特に重要視されている。」という。
羊飼いLa Bergere カミーユ・ピサロ 1881年
5.近代のパリ

床の鉋かけ(床削り、床に鉋をかける人々とも) Les Raboteteurs de parquet ギュスターブ・カイユボットGustave Caillebotte(1848-1894年)

カイユボットはブルジョア階級の人だったそうで、そういう人が下層階級の労働者が働く姿をやや下向きの目線で描いたことも当時は非常に珍しかったようだ。同じテーマの作品がもう一つあるという。
床の鉋かけ ギュスターブ・カイユボット 1875年
貧しき漁夫 Le Pauvre pecheur ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis De Chavannes(1824-1898)

シャヴァンヌ は象徴主義の巨匠と呼ばれている。ある美術史家によれば、象徴派の作品はある何かを暗示(象徴)しているということだが、この「絵が暗示しているもの」は何かと問い、「ルカによる福音書」第4章に書かれた、イエスと漁師のシモンが対話する場面を引用している。
貧しき漁師 シャバンヌ 1881年
【余談】 この作品と同じ作品名をもつ絵(約10年後に制作されたらしい)が、松方コレクションの一つとして上野西洋美術館の収蔵品にあるそうだ。ただし、右半分がなく、子どもは男の後に寝かされている。

髪長き水浴の乙女 Baigneuse aux cheveux longs ピエール・オーギュスト・ルノアール Pierre Auguste Renoir(1841-1919)

「特に枯渇時代後の1890年代後半から最晩年まで数多く手がけた『水浴の裸婦』を画題とした作品のひとつ」とされる。素晴らしい! この作品は、オランジュリー美術館の収蔵品である。
髪長き水浴の乙女Baigneuse aux cheveux longs 
ピエール・オーギュスト・ルノアールPierre Auguste Renoir 1895年
オペラ座のオーケストラOchestre de l'Opera エドガー・ドガEdgar Degas(1834-1917)

この作品には、いくつかのエピソードがあるらしい。まず、中央のファゴットやその左後ろのチェロの奏者は画家の友人で、彼らの紹介で画家はしばしばオペラ座に通うようになったことが知られているそうだ。また、後景にチュチュ(バレエで身に着ける襞のついた衣服)を着けた踊り子の下半身が描かれているが、チュチュを着けた踊り子を描いた初めての作品ということだ。
オペラ座のオーケストラ エドガー・ドガ 18
次回は、オルセー美術館 絵画3です。「近代芸術の到来」、「後期印象主義」の作品を紹介します。