2016年3月30日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(47) 6月5日(金) ザルツブルグからシャフベルグ頂上へ

5時過ぎに起床し、晴天を確かめました。期待していた通りの天候で、ザルツブルグからウォルフガング湖を経て、登山鉄道で一気にシャフベルグ頂上に上るという日帰り旅行へ出かけることにしました。朝食もとらず、地下鉄に乗り、ミュンヘン中央駅へ移動しました。

(1)ミュンヘン中央駅

ミュンヘンに来て天候を見たうえで行くかどうかを決めることにしていましたので、チケットを購入していませんでした。そのため、チケットを買わなければならなくなりました。自動販売機を操作していたところ、案の定、等級を間違え、予定していた6:55発の列車には1等車がないことに気づかないまま、1等車の代金を支払ってしまい、20€余を無駄遣いしました。

11番ホームの位置を調べてから、近くのカフェに入り、パンとコーヒーを買って食べながら、その日の行程を確かめたりして発車時刻が近づくまで待ちました。ほどなく、列車が入線して来ました。車内の通路を歩き、前方の車両に座りました。列車は定刻に発車しました。
ミュンヘン中央駅
車内 乗客はわずか 左手のボックスはトイレ
刈り取られた後の瑞々しい草原、はるかに教会の尖塔が見えた。
車窓から見える風景は、ドイツやポーランドとは異なり、森や林を通りぬけ、遥か彼方に山波が見え、また、みずみずしい青い草原の中を橋って行きました。

(2)乗り換え駅Freilassing Sta.

途中、女性の車掌が検札に回ってきました。チケットとともに持っていたTimetable Infomationを見ながら、何か言ってくれているのですが、さっぱりわかりません。ただ、Freilassing駅で列車を乗り換える必要があるということが分かりましたが、同駅で乗り換える列車の発車時刻やプラットホームが記載されていたことに気づきませんでした。Freilassing駅に着いたとき、車掌が確認に来て、何か言ってくれていましたが、わかりませんでした。結局、おかしいと気づいた時には、ザルツブルグ行き列車は1番ホームから出て行ってしまいました。予定では、8:42にザルツブルグへ着くはずが、30分近く遅くなってしまいました。
Freilassing Sta. 人影は僅か一人
(3)ポストバスPostBus

ザルツブルグ駅に着き、駅前のバスターミナルでポストバスPost Bus150の乗り場を探しました。幸い直ぐ見つかり、ベンチに座って待っていると、ほどなくバスが来ました。10:15に発車し、St.Gilgenまでの約50分間、小さな集落や山間を進みました。途中駅で乗客の乗り降りもあり、生活路線であることが分かりました。
ポストバスPostbus 150
(3)ウォルフガング湖Wolfgang See

St.Gilgenでバスを降りました。ところが、どこに乗船場があるのか分からず、先を行く人の後についていくと、湖が見えてきました。

湖岸沿いに進むと、桟橋、船、チケット売り場らしい小さな建物が見えました。建物に入り、シャフベルグ登山鉄道とのコンビ券を買いました(45・6€)。乗船して待っていると、11時過ぎに出港しました当初計画より40分ほど遅れていました。
St.Gilgen桟橋を後に進む
Wolfgang Seeウォルフガング湖
湖畔の宿
濃い緑の樹木が生い茂るもりや岩壁を見ながら、ゆっくりとした気分に浸っているうちに、シャフベルグ桟橋に着きました。およそ35分の船旅でした。
Wolfgangウォルフガング Schafbergシャフベルグ桟橋
桟橋を渡って右手へ、登山鉄道駅に急ぎ足で進みました。一足遅れ、次の⒓:20発に乗れることになりました。

2016年3月23日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(46) 6月4日(木)夕刻 "La Traviata" バイエルン国立歌劇場

今夜は、ベルリンフィルに次ぐ大切なイベント、演目は、ヴェルディ作「椿姫」La Traviataです。
18:00の開演に間に合うよう、ポーランド・クラクフから移動して来ました。

歌劇場には、すでに大勢の観客が来ていて、ざわついていました。先にも書いたように、2枚のチケットのうち、Parkett Links平土間の席(Ture3 Reihe14 Platz565 代金115€+送料1.5€)に着きました。

(1)歌劇場風景
舞台正面
こうしたバルコニー席が、いかにも歌劇場という雰囲気を感じさせてくれました。5層とは、すごいですね。最上階から見下ろすとどのように、見えるのでしょうか。
5層のバルコニー
 (2)カーテンコール

舞台は、ヴィオレッタが、恋人アルフレードと駆けつけたその父ジェルモンが見守るなかでこと切れて終わりましたが、その後、カーテンコールで何度か出てきたところをカメラに納めることができました。

ヴィオレッタを演じた歌手は、Ermonela Jaho(ソプラノ、1974年、アルバニア生)です。舞台装置や衣装は思っていたよりずっとシンプルで、悲しい物語を表現するうえで非常に効果的でした。上演時間は、途中2回の休憩をはさみ、3時間10分に及んだということですが、あっという間のことでした。 
カーテンコール 右より3人目の白いドレスの女性が、がヴィオレッタ
 (3)終演後の歌劇場

何度か、カーテンコールが繰り返されるなかで、終演となりました。外へ出ると、薄明るく、上気した観客が出てきました。結構、ドレスアップした女性も見られました。
9時過ぎとは思えません
 (4)ホテルプラッツル

ライトアップされたホテルの外観は、大きなホテルでは感じることができないものでした。異国風でありながら、心を安らかにしてくれました。
ホテルプラッツルの正面
夕食を食べるため、レストランへ行ったところ、屋外でのサービスは終わったらしく、別のところを勧めてくれました。入ってから分かりましたが、この辺りで良く知られたHofrauhausホッフブロイハウスでした。入ると、ブラスバンドが演奏していました。その大きな音量に脅かされましたが、ほかのお客は、リズムに合わせ、手拍子を打っていました。

Roast Pork、PotatoとMunchner Weisseを注文し、出てくるまでの間、ブラスバンドの賑やかな演奏を楽しみました。

ホテルに戻り、3日ぶりに風呂に入りました。明日のザルツブルグからウォルフガング湖を経てシャフベルグ山岳鉄道で頂上を目指す日帰り旅行の準備をして、休みました。

2016年3月17日木曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(45) 6月4日(木) ミュンヘンに着いて

ルフトハンザ機は、ほぼ定刻に着陸しました。待機していたバスに乗り込み、ターミナル2へ向いました。案内表示に従って、荷物受け取り場に進みました。待つこと30分ばかり、ようやく受け取り、出口へ向かいました。そこへ至る通路は長く、荷物を押しながら進むのも結構な仕事でした。

(1)ミュンヘン空港のターミナル

ターミナル2と1の玄関は向かい合っていましたが、見かけは相当違っていました。
ターミナル2の玄関口
ターミナル1の玄関口に隣接して、Sバーンの入り口がありました。エスカレーターで下り、S8ラインを選び、15:44に発車しました。
ターミナル1の玄関口 地下鉄S8の入り口
 (2)S8に乗り、マリエン広場駅へ

16:22、目的地マリエン広場駅に着きました。かかった時間は38分です。
S8 マリエン広場Marienplatz駅で 
【余談】 時刻表によれば、空港からは、もう一つS1ラインも出ていて、西回り(?)で、マリエン広場駅までの所要時間は50分、S8より12分時間がかかるようです。

(3)マリエン広場

地上へ出るのに、ちょっと苦労しました。後で分かったことですが、まず、ホームが降車側と乗車側が違うこと、また、進行方向によってホームが上下別で、従って、階段やエスカレーターも行き先階によって異なるということです。エスカレーターが改修中だったこともあり、階段を上ったり、下ったりしましたが、なんとか、地上に出ることができました。
マリエン広場Marienplatz 新市庁舎の塔 仕掛け時計が見える
地上へ出たところが、ミュンヘン観光の中心地であるマリエン広場で、たいへん好都合だったのですが、プラッツルホテルを探すのにちょっと手間取りました。G7サミットが、ミュンヘンから100㎞ほど離れたクルン村のエルマウ城で開催される直前だったからか、黒ずくめの武装警官Polizeiを載せた車両が目に止まりましたので、地図を見ながら聞いてみましたが、良く分からりませんでした。いま一歩というところまで来ていながら、横道に逸れたりしたようでした。なんとか見つけ、チェックインできましたが、5時を回っていました。直ぐ見つかるはずとたかをくくっていましたが、見事に外れました!

(4)バイエルン国立歌劇場

部屋に入り、荷解きもそこそこに、チケットを持って、本日の目的地、バイエルン国立歌劇場へ向かいました。ホテルからほんの数分のところにあり、助かりました。
歌劇場の外観 観光バスもあり!
【余談】 実は、歌劇場のチケットを2枚持って来ていました。インターネットで予約した際、2重に申し込んでしまったらしく、2枚送られてきました。取り消しできないため、教えてもらった劇場の掲示板で売り出しましたが、買い手が付きませんでした。ひょっとしたら、売れるかもと期待してきましたが、残念ながら、当てが外れました。

2016年3月13日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(44) 6月4日(木) バリツェ空港からミュンヘンへ

ホテルに戻り、荷物を確認した後、フロントでチェックアウトを使用とすると、料金を請求されました。領収書を見せましたけれど、日本語は読めないという仕草で、ラチがあかず、時間のゆとりがありませんでしたので、改め支払い、バス停へ向かいました。前日下見をしておいたお蔭で、迷うこともなく、バス停に着きました。

(1)クラクフ、バリツェBalice空港行きのバス停〔292〕

⒒:15発のバスに乗りました。空港に着いたのは⒓:00で、45分かかりました。
クラクフ駅東口前のバス停の案内板
【余談】 当時、鉄道は工事中とのことでしたが、現在は開通し、クラクフ駅から17分程度で行けるようです。

(2)バリツェ空港 

バス停から、ターミナルビルへ向かう通路です。建設工事中で、埃っぽい状態でした。左側に見えるターミナルビルに入りました。
バス停からバリツェ空港ターミナルへ
ルフトハンザ航空のチェックイン窓口で、多くの人が並んでいました。私は、eチケットでチェックは簡単でした。荷物を預け、2階の搭乗フロアに上がりました。
チェックインに並ぶ
ボディチェックを受けた後、搭乗口のフロアは意外に狭く、多くの人がベンチに腰掛けて、待っていました。軽食レストランを当てにしていましたが、店の数が少なく、あきらめて離陸まで待つことにしました。

搭乗のアナウンスがあって、立ち上がり、列の後ろに並んでいたとき、携帯電話がないことに気づき、慌てました。搭乗ゲートの女性に申し出ると、幸い、届けられていたことが分かり、本当に助かりました。ニューヨークのペンシルバニア駅でバックパックを忘れ、ワシントンで受け取ったことを思い出し、幸運に感謝しました。
搭乗待合室のベンチ
搭乗口から階段を下り、待機していたバスに乗り、ルフトハンザ機に向いました。日本の地方空港と同じだなと思っているうちに、航空機の側に停まりました。
いよいよ搭乗
移動式タラップを上り、機内へ入りました。13時30分過ぎ、扉が閉まり、間もなく離陸しました。
空港バス
離陸するところ
(3)地上の風景

ミュンヘンに着くまでの1時間あまり、ポーランドからチェコを経て、ドイツへ向かったと思いますが、机上から見た地上は、農地がほとんどで、ところどころに森や林、町が見えるばかりでした。土色に見える農地は、小麦を収穫した後でしょうか。小さな集落もあります。遠くに雲が見えましたが、山が連なっているのでしょうか。ミュンヘンに近づいていましたから、ひょっとしたら、アルプスの山並みかと想像しました。
農地、林や森の上空を飛ぶ
高度が下がりはじめたところで、ミュンヘン空港が見えてきました。
ミュンヘン空港が見えてきました
高度を下げながら一端通り過ぎ、折り返すように戻り、14:40過ぎ、空港に着陸しました。

ミュンヘン空港に着陸


2016年3月9日水曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(43) 6月4日(木) 中央広場 奇妙な”Head”と旧市庁舎の塔

ヤゲェウォ大学の教授の庭を後にして、東側のビシルナWislna通りを中央広場に向かって進みました。

(1)ビシルナ通り

人影が見えません。
●●通り
(2)イゴール・ミトライ ”Eros Bedato”

通りを抜けると、中央広場に至りました。そこで、巨大かつ奇妙な頭の彫刻”Eros Bedato”に出会いました。目の下ほかに絆創膏らしいものが貼りつけられ、痛々しい感じがする、奇妙な頭で、”Head”と呼ばれています。
イゴール・ミトライ "Eros Bendate" ブロンズ 1999年
"Eros Bendate"の中で、子どもが写真を撮ってもらっていました
【余談】 作者のイゴール・ミトライ(1944.3.26-2014.10.6)は、ポーランドの美術家。ドイツで生まれ、フランスで亡くなった。彫刻は、2005年にクラクフに寄贈されたそうです。

(3)旧市庁舎の塔

旧市庁舎は、1820年に取り壊されましたが、塔だけは残されたそうです。塔に上ることができるそうですが、上りませんでした。
旧市庁舎の塔
旧市庁舎のミニチュア
ここまで来て、時間も10時を過ぎ、空港行きのバスに乗る時刻まで1時間足らずになりましたので、切り上げて、ホテルに戻りました。


2016年3月6日日曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(42) 6月4日(木) 午前 クラクフ旧市街・ヤゲェウォ大学への道

クラクフ3日目、ホテルで朝食を済ませてから、バリツェ空港へ行くまでの2時間ほど、旧市街を歩きました。目標は、ヤゲェウォ大学の構内をみることです。

(1)シュチェパンスキ広場で見たSztuki宮殿(美術館)

クラクフに着いた6月2日(火)に辿った通りより西側のPijarska通りからReformacka通りを進んでいくと、シュチェパンスキ広場に着きました。そこで、美しい外観の建物、Sztuki宮殿に出会いました。現代美術を展示しているということです。
美しい外観のSztuki宮殿(美術館
(2)ヤギエルロンスカ通り

すでに時刻は8時半を過ぎていましたが、人の姿がほとんど見えないので、ちょっとばかり戸惑いながら、大学を目指して歩きました。
人影が見えないヤゲェウォスカ通り 大学へ通じていました。
(3)聖アン教会Church of St.Anne

シフィエンテイ・アンニ通りと交差するところで道路が掘り返されていました。興味を引かれ、写真を撮っていると、鐘の音が聞こえてきたように思い、右へ振り向くと、聖アン教会の正面が見えました。朝のミサが終わりに近づいているか、人が出てきました。ミサの様子を見学したいと思い近づきましたが、終わりまでいられるわかりませんでしたので、結局中へ入らず、もとの通りに戻りました。
聖アン教会
聖アン教会のファサード 前の通りが改修工事中
 (4)ヤゲェウォ大学構内

聖アン教会の前は、ヤゲェウォ大学医学部で、門の中を覗くと、いくつかの胸像が見えました。胸像は、医学の発展に貢献した学者のものででしょうか。
聖アニー教会前の門の中、右側(医学部側)に胸像が並んでいました。
(5)コレギウム・マイウスCollegium Maiusの回廊、中庭

ヤギエルロンスカ通りに戻り、少し歩くと、コレギウム・マイウスの入り口がありました。
ヤゲェウォ大学 コレギウム・マイウス博物館の入口
入ると、素晴らしく古典的な回廊が目に入りました。そのはずで、博物館の歴史は古く、15世紀のゴシック様式を残す建物だそうです。
コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(1)
大砲の遺物か
中庭に不似合いな大筒がありました。
コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(2)
コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(3)
コレギウム・マイウス博物館の中庭と回廊(4)右隅の通路から入ってきました
(6)教授の庭Professors' Garden

回廊の一角にあったミュージアム・ショップで買い物をしてから、通路を抜けると、こじんまりとした庭に出ました。案内板によれば、教授の庭と名付けられ、庭に関する記述は、大学の記録では1467年に表れているそうです。

教授の庭 学者や学生の姿が見えません。休日だったのでしょうか。
庭の一か所で、芍薬が開き始めていました。白い乾湿度計Weather Chroniclesの保護箱を見て、60年も昔の小学校の庭を思い出しました。中には、温度計と湿度計が吊り下げてありました。

芍薬が開き始めていました
【余談】 大学は、1364年、カジミエンシュ大王によって、ポーランドで最初に創立され、コペルニクスや前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世はここで学んだということです。
博物館の歴史は古く、15世紀のゴシック様式を残す建物だそうです。中には入りませんでしたが。
ミュージアム・ショップで、記念に大学名入りのボールペンを買いました。ところが残念なことに、何度かポケットに出し入れしていると留め金が外れてしまいました。


2016年2月29日月曜日

ドイツ・ポーランド一人旅(41) 6月3日(火) 午後 アウシュヴィッツ2号・ビルケナウ

バスに戻り、昼食用に買ってきたローストチキンを挟んだパンを取り出し、食べ始めました。照り付ける強い日差しにバスの屋根が焼けたようで、室内は暑く、温室の中のようでした。

1時過ぎ、バスはビルケナウに向かって出発し、ほどなく目的地に着きました。駐車場から小麦畑の傍らの道を進みました。

冊子「アウシュヴィッツ・ビルケナウ その歴史と今」によれば、アウシュヴィッツ2号・ビルケナウと呼ばれる収容所は、1942年3月1日活動を始め、敷地は広大で、有刺鉄線の囲いは13㎞を超えるということです。

1944年までに、もう一つのアウシュヴィッツ3号・モノビツェと47か所の副収容所と外部労働班が作られたと記されています。「それらの副収容所は、主にドイツの炭鉱や製鉄工場、その他のシレジア地方の企業及び農場の傍に造られていました」とあり、強制労働が行われていたことが分かります。

(1)アウシュヴィッツ2・ビルケナウへの道
アウシュヴィッツ2・ビルケナウへの道 麦畑の傍らを進みました
 (2)被収容者を運んだ鉄路
被収容者を運んだ鉄路 正面が「死の門」
 (3)案内板
案内板 ポーランド語、英語で書かれていました。
 (4)鉄道のゲート
鉄道のゲート「死の門」 左側の棟にショップがありました。
(5)収容棟の配置(一部)
収容棟の配置(一部)
(6)収容棟の跡
収容棟の跡が広がっている(1) 北東方向
収容棟の跡が広がっている(2) 北方向
収容棟の跡が広がっている(3) 北西方向
(6)鉄路
鉄路
(7)被収容者を運んだ貨車

被収容者を運んだ貨車
貨車の車輪 1913年製
 (8)収容棟の外観
収容棟の外観

(9)収容棟の内部
収容棟の内部
収容棟の内部
収容棟の内部 改修工事中の表示がありました
(10)崩れていく収容棟の跡
収容棟の跡 レンガ造りの煙突が崩れていました
(11)診療所(?)
診療所(?) 医師と看護師が子どもと母親を殺した書いてありました

一人で歩いていると、いまどの辺りにいるか見失う恐れがありましたが、「死の門」の塔を目安として,見当をつけながら歩きました。晴れた空から強い日差しが降り注ぎ、収容棟と通路を除く草原の緑は濃く、ところどころで小さなレンゲ(?)の花が見られ、心がわずかに和らぐこともありましたが、気分は重苦しく、晴れることはありませんでした。

インフォメーションセンターのショップで、前述の冊子と写真集を購入してから、駐車場へ戻りました。休憩場の売店でアイスクリームを買い、口に入れ暑くなった体を冷ましました。

バスは、2時半ごろ出発し、4時過ぎホテルに着きました。部屋に入り、ベッドに横たわり、休みました。

【余談】 写真集「アウシュヴィッツ‐ビルケナウ あなたの立っているところ・・・」は、アウシュヴィッツを生還したりり・ヤコブ(スヴァキアのユダヤ人)が見つけた写真200枚(エルサレムのヤド・ヴァシェム記念館蔵)の中から31枚の写真を取り上げ、現在と対比させたものです。写真家はパヴェル・サヴィツキという人、日本語訳は中谷剛氏。2013年に刊行されました。古い写真との対比を通して、今を生きている人の想像力が試されているように思いました。