ドアを出たところで、ホテルマンにタクシーを頼んだ。通りかかったタクシーを呼び込み、スーツケースを運び込んでくれた。程なく、Penn Stationに着いた。エスカレーターで地階に降り、地下街・・・ほとんどがまだ店を開いていなかた・・・を通り、発券機と待合室を探した。ロータリーのようなところに待合室がありその前に発券機があった。Eticketをタッチして乗車手続きを済ませ、空いていたカフェでパンとコーヒーを買い、待合室に入った。待っている人は少なく、空いていたベンチに座り、パンを食べコーヒーを飲んで一息ついた。
改札口前の案内板 右手奥が改札口 |
9時半を過ぎて、列車運行状況を確かめるため、案内板を見たがよくわからなかった。そこで、スーツケースを押して待合室を出て、改札口の方へ進んだ。【その時、旅行に必携のものやPCなどを入れたバックパックをベンチに置き忘れ、後で気が付くことになる。】
改札口前の案内板には、Acera2207号はOn Timeと表示されていた。Amtrak専用の改札にはすでに人が並んでいた。僕もその後に続いた。程なく黒色の制服を着た駅員が現れ、改札を始めた。前の人に続いて進み、改札口を過ぎ、エスカレータで下りホームに出ると、Aceraが待っていた。何号車か分からないまま、乗車し、空いていた左側の窓際に座った。前の席の背中のポケットから案内のリーフレットをとって読んでいると、発車の合図とともに静かに動き出した。
列車は直ぐにハドソン川を潜るトンネルに入ったが、しばらくして地上にでた。水を飲もうとしてバックパックを探した時に、待合室のベンチに置き忘れてきたことに気づいた。パスポートを始め大事なもを入れていたので、大変なことになった。
アセラの車内 |
あれこれ思案したが、車掌に待合室を調べてくれるよう頼むことにした。会話ができないので、持っていたEticketの裏に、”I forgot Backpack(Black) at Penn station Waiting Room 9:00~9:45”と書いて車掌(女性)に伝えた。それに対して、甚だ残念だったが、彼女が言っている言葉が全く理解できなかった。それで、彼女は車内放送で、“Japanese・・・”と言っているようだった。すると、一人の若者が手をあげて出てきてくれた。彼(フィリッピン出身とのこと)は、京都の日本語学校を留学したことがあり、通訳をしてくれることになった。
彼が彼女の言葉を聞いて僕に日本語で伝えてくれた。筆談と絵でもやり取りした。彼女は、ニューヨークのPenn駅の誰かと電話で大きな声で真剣にやり取りしてくれた。そうこうするうちに、バックパックが見つかったことがわかった。車掌は、受け取り方法を話し合って、僕がフィラデルフィア駅で折り返してPenn駅に戻り受け取ることになった(Bプランという)。彼女は、戻りの列車、受け取る場所、その後乗る列車を調べメモを書いて説明してくれた。僕は若者を通じてそのことを聞いた。本当にありがたく、ほっとした。
ユニオン駅 顧客サービス |
列車は、12時50分すぎユニオン駅に着いた。ほぼ定刻であった。僕はホームで車掌と若者にお礼を述べて別れるつもりでいたが、二人の好意はとどまらず、僕を「顧客サービス」まで案内して、そこの係員に事情を説明し引き継いでくれた。本当に素晴らしい人たちに巡り合たと心から感謝した。
係員も何かと気を配ってくれ、どこのホテルに泊まるのか、どのように行くのかなど、交代すると必ず引き継いでいたようだ。感心するばかりであった。
2時半を過ぎて、予定の列車が着いたと思われる頃に、係員はバックパックを取りに行って戻ってきた。僕は中を改めなくなっているものはないことを確かめたのち、お礼を述べて出ようとしたが、係員は地下鉄の乗り場まで案内してくれたうえに、さらにチケットの購入にも手を貸してくれたのだ。この人には、お礼いを渡すタイミングを失い、申し訳ないことをした。
Amtrakのみなさん、フィリッピン出身の若者へ、ありがとう! お元気で!
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