2014年12月25日木曜日

2014アメリカ一人旅 【帰国途中、シカゴでTransit 1/3】 ダレス空港からオヘア空港へ、UA機で移動

 6月4日(水)朝6時、モーニングコールに起こされ、支度ができたところへ、シャットルバンが迎えに来てくれた。すでに男と女が一人ずつ乗っていた。運転手は、無言で要領よく旅行カバンを後ろの荷台に入れて出発した。途中、1か所に寄り、もう一人の客を拾ってから、ダレス空港へ向かった。

 ポトマック川を渡り30分ほど走ったところで空港に着いた。UA便の出発カウンター近くで下してくれた。カウンターはすぐに見つかったが、チェックインに手間取った。帰り便は成田空港行き直行便ではなく、シカゴ経由を購入していた。シカゴでの乗り継ぎTransitまで6時間余あり、その間にシカゴ市内を観光しようと考えたからである。

 係員に、UA便でシカゴへ行き市内を観光したいが、荷物は成田空港へということをうまく伝えられなかった。成田空港で、ANAの係員にメモを書いて貼り付けてもらっていたeチケット(控え)を見せたところ、ようやく納得して手続を進め成田空港までの荷札(控え)を渡してくれた。

2014年12月19日金曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第4日 3/3】 ワシントン記念塔からアメリカ歴史博物館へ

第2次世界大戦記念碑・・・遠くにリンカーン記念館が見える
レフレクティング・プールの北側に沿って歩いていくと第2次世界大戦記念碑World War Ⅱ Memorialに至った。

【余談】 記念碑は、クリントン大統領時代にある退役軍人が発起し、連邦政府の資金と民間の寄付を募って建設され、2004年5月29日にブッシュ大統領が除幕式を行ったという、比較的新しいものだった。

 記念碑は、もともとあったレインボー・プール(噴水のところ)を取り囲むように、西側に設置されたフリーダム・ウォールFreedom Wall、南北に大西洋Atlanticと太平洋Pacficと名付けられた半円形のアーチ(高さは11m余)、その間に立つ56本の柱から構成されている。

2014年12月6日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第4日 2/3】 リンカーン記念館  

リンカーン記念館 正面
空が曇り辺りがうす暗くなったので、正面へ急いだ。大勢の人が見物に訪れていた。階段を上り、内部に入るころには、にわか雨が降りだした。

 記念館(記念堂とも)は、ヘンリー・ベーコンという建築家が考案したギリシャ神殿に見られるドーリア式と言う建築様式の荘重な建物だ。東の正面と西の背面に各12本、南側と北側に各6本、合計36本の円柱に囲まれている。1本の石柱の長さは33フィート(約10m)、円周は大人5人が手を伸ばしても抱えられないくらいということだ。36という数はリンカーン大統領が亡くなった時点の州の数という。円柱上部部分(古代建築でエンタブラチュアと言われるらしい)にこれらの州の名前が彫り込まれている(写真を拡大してみるとよい)。

2014年11月19日水曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第4日 1/3】 アーリントン墓地を巡る

 6月3日(火)、前日の疲れもあったのか、目覚めは遅かった。8時過ぎ、ホテルのレストランで朝食を摂り、部屋に戻って出かける準備をした。地図とカメラをショルダーバッグに納めて出かけた。

【余談】 前夜カメラのSDカードをパソコンに挿入しデータを移した後そのままにしておいたことを忘れ、カメラにSDを戻さないまま出かけていたことに午後になってから気づいた。従って、午前中アーリントン墓地などを撮ったつもりでいたが、データがない。残念至極だ。

 ホテルを出て、前日降りたサーキュレーターのバス停まで歩き、バスを待った。アーリントン墓地へは地下鉄ブルーラインのメトロセンター駅から乗って行くルートがあったが、今日は、まずフォギーボトムまでバスで行き、そこから地下鉄に乗ることにした。ほどなくバスが来て、1ドルを払って乗り込んだ。バスは、K St.を西に向かって進んだ。

2014年11月8日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第3日 2/2】 ゲッティスバーグ古戦場Visitor Centerから古戦場を巡る

ゲッティスバーグ古戦場ビジターセンターの案内板
ツアーバスは、ゲッティスバーグ古戦場Visitor Centerに着いた。センターのガイド(ボランティア?)が出迎えてくれた。

 配られたサイクロラマのチケットには、12:45PMと記載されていた。それまでに昼食を済ませ、少し周辺を歩いてみたいと考えた。サロンでピザ、スープ、コーヒーを取り、大きなテーブルで食べた。朝食を取らなかったからか、非常に食欲があった。

 食べ終わってからバスできた道を辿りミード将軍の司令部跡を目指したが、かなり距離があるようで案内板のところから引き返した。

2014年10月20日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第3日 1/2】 ゲッチスバーグ古戦場の町を訪ねる


朝日に陰るユニオン駅
6月2日(月)6時半、前夜に依頼しておいたモーニングコールに目が覚めた。顔を洗い、身支度を整えてホテルを出た。Mt.Vernon Squareを横切り、マサチューセッツ通りを一路ユニオン駅を目指して歩きはじめた。ホテルからおおよそ2km、30分くらいかかるだろうと目算していたが、ほぼその通りに着いた。

【余談】 ユニオン駅の外観は、駅舎とは思えないクラシックな趣である。5月31日、2時間余り、ニューヨークでの忘れ物が届くのを待っていた顧客サービス室はどの辺りだっただろうか。

2014年10月13日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 6/6】 中華街へ夕食に出かける

中華街のアーチ
ホテルに戻り、一休みしてから夕食を摂るべく出かけた。昨晩は、ホテルのレストランでJazz演奏を聞きながらであったが、今夜は趣向を変えて中華料理をと思い、中華街へ足を運んだ。

 5月31日午後、ユニオン駅から地下鉄に乗り降りた駅が"Gallery Place-Chinatown"であったが、このアーチは地上に出たところにあった。広い通りを少しばかり歩いて中華料理店を探しながら街の風景を観察した。中国系アメリカ人は多くないのか、あまり見かけなかった。
 
 中華料理店と見て入ったところが、イタリアパスタのレストラン"VAPIANO"だった。ちょっとしたフードコートのようで、広いフロアに大小のテーブルとイスが置かれ、大勢の若者たちや家族連れが賑やかに会話をしながら、ワインを飲みパスタを食べていた。黙々と一人で食べている老人も見受けられた。
 入り口から奥へ左側にカウンター式のキッチンが並び、好みの前菜、ソウス、パスタ、デザートを選ぶと皿に盛りつけてくれる。注文した山盛りの"Primavera"は重く、食べ応えがあった。

2014年10月11日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 5/5】 航空宇宙博物館 ライト兄弟、月面車、零式艦上戦闘機

 アメリカン・インディアン博物館の屋外展示を見ながら、西隣の航空宇宙博物館に向かった。モール側の入り口から入り、上を見上げると様々な飛行機が吊り下げられていて、興味が掻き立てられた。Welcome Centerで館内案内図を入手した。

 1階と2階に各16の展示室があるが、思いつくままに、ライト兄弟(209室)、アポロ(210室)、第2次大戦(205室)を見ることにして、エスカレーターで2階に上った。

1903フライヤー
209室には、ライト兄弟に関連する様々なものが展示されていた。そのなかの主役は1903フライヤーと呼ばれる「最初の動力付きで、パイロットが搭乗して継続的に飛行し、機体を操縦することに成功した、空気より重い空飛ぶ機械」である。

【余談】 この飛行機は弟のオーヴィルが操縦かんを握っていたそうだ。一体どちらを向いて飛んだのだろうかと考えたが、操縦桿を握る人物の姿勢から判断できた。2本のプロペラは、1台のエンジンの駆動をチェーンで伝え回転させたという。
 
 地面に敷いたレールを滑走路にして4回の飛行が試みられたと記録されている。回を追うごとに、飛行距離が伸びていることがわかる(ウィキペディアによる)。

2014年10月3日金曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 4/6】 モール、スミソニアン博物館群を見る

議事堂の西正面(中央)
議事堂の南側の歩道を歩いて西正面(中央)に出た。その姿形は、東正面とは全く異なり、リゾート・ホテルといっても良いような趣であった。非常に好感が持てた。そして、振り返ると前方にモールが広がっていた。

 このモールの両側にスミソニアン協会が運営する博物館と美術館が並んでいるはずだが、木立のため隠れて見えなかった。青空のもと、緑の芝生の先にワシントン記念塔が見えるばかりであった。

 ホテルを出てから3時間近くが過ぎ、用を足したいと思い回りを見渡してもそれらしいところが見 えなかった。そこで、警官らしい人に、レストルーム!と声をかけると、近くの合衆国ボタニック ガーデンを指さしてくれた。

 そこで、メリィランド通りをそちらへ急いだ。受付で、レストルーム!というと、案内図で教えてくれた。ようやく用を足しほっとしたところで、館内を見る余裕ができた。

2014年9月24日水曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 3/6】 連邦議会議事堂

議会図書館を後に、階段を下り道を渡って議事堂へ進んだ。芝生広場に沿って歩いていくと、下院の前に至った。そこでベンチに腰を下し、靴と靴下を脱ぎ、壮大な議事堂の建物を眺めながら休息をとった。

 議事堂は、左右(南北)の上院と下院、中央のドーム形の建物から成り立っている。東正面のそれぞれの入り口までは何段もの階段がある。 

【余談) 階段の下が議員やそのスタッフ用の車寄せになっている。彼らが階段を上り下りするのはどういう時なのか、興味がそそられた。
 
 ここでは、警官の姿が僅かに見られたが、厳しく見張っているというような感じはしなかった。

下院の玄関 三角形の切り妻壁
各建物の三角形の切り妻壁に、それぞれ異なる人物像が配置されていた。その要点を案内板の記載を基に紹介したい。

〔1〕 まず、下院は、"The Apotheosis of Democracy"と名付けられた大理石の人物像で、3つのグループに分けられている。1913年に据え付けられたという。

 中央: ”Peace Protecting Genius"
 左側: ”The Power of Labor:Agriculture"
 右側: ”The Power of Labor:Industry"

2014年9月20日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 2/6】 最高裁判所、議会図書館、そして、連邦議会議事堂 アメリカの基点を見る

国会議事堂を中心とした案内図
キャピトルヒルズと言われるように、一帯は小高い丘になっている。全米日系米国人記念碑から、最高裁判所を目指して歩き始めた。相変わらず車も人も少なく、強い日差しが照りつけるなかを進んで行くと、最初に、ラッセルという名前を冠したクラシックな上院事務所ビルに出合った。その前にあった案内板で周辺の建物の配置状況が良く分かった。

【余談】 通常、地図上の上方は北、右方は東、下方は南、左方は西を指しているが、この略図はそうではない。それぞれ正反対である。上が南、下が北、左が東、右が西である。

 連邦議会議事堂を中心に芝生広場、通路と道路が南北対照的に配置され、国会議事堂を取り囲むように、北東側に上院事務所ビル2棟、東側に最高裁判所と議会図書館3棟、南側に下院事務所ビル3棟が建てられている。

【余談】 興味深いのは、最高裁と上院が向かい合っていることだ。三権の独立性が徹底している言われるアメリカにおいて、憲法を擁護する司法と立憲主義を実践する議会(なかでも上院)が常に緊張関係にあることを示しているのであろうか。行政を担う大統領は、議事堂の西に広がるモールの中央部に近いワシントン記念塔の北側にある。

2014年9月14日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第2日 1/6】 官庁街から全米日系米国人記念碑へ

フォード劇場
【余談】 蝋人形の館の入り口ではマリリンモンロウの蝋人形が呼び込んでいた。フォード劇場は、改装前の1865年4月14日夜、.観劇中のリンカーン大統領が狙撃されたところである。大統領は同劇場の前のビルで亡くなったということである。以後100年間くらい閉じられていたが、改装され、劇場として児童・生徒に向けた演目などが上演されているようだ。地下が博物館になっていて、リンカーンの大統領就任から暗殺までの生活や執務、奴隷解放などの歴史をパネルや展示品を通して見られるそうだ(「地球の歩き方」による。暗殺犯のものも展示されているらしい。ぜひ見学したいと思っていたが、残念ながら果たせなかった。

2014年9月9日火曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第1日 3/3】 BSQの演奏を聞きながら

 ホテルに着くころには日は落ちて薄闇となった。
BSQの出演を告げるパンフ
入り口の両側にランタンが赤く灯っていたボーイが恭しく迎えてくれた。部屋に入り、改めて荷物を整理した。顔を洗い用を足してから、部屋を出て、一階のレストランThe Tavernに向かった。先客は3、4組であった。案内の男がテーブルに案内してくれた。壁際の二人が向かい合った座る席だった。
 僕は、食事を摂りながら、ジャズを聴くという経験にこれまで味わったことがない興趣を覚えた。
 部屋に戻って風呂に入り、シャワーを浴びてすっかり良い気分になった。ベッドに横になって振り返ると、今日一日は実に様々な経験をしたものだと思いながら眠りに就いた。

 今晩は何を食べようかとメニューを見て、まず、Budweiserを頼んでから、Grilled SalmonとTavern Saladを注文した。冷えたたビールは乾いた喉を潤し、沁みわたった。パンを少しずつちぎって食べ、そしてビールを口に含んだ。やがて、Salmonとサラダが運ばれてきた。サラダは、大きなボウルに野菜と果物が盛られていた。Salmonは大きな切り身がこんがりと焼かれていた。フォークとナイフで、Salmonの切り身を切り分け、口に運んだ。何度かそれを繰り返して平らげたが、サラダの野菜の量が多く、噛むことに少し疲れた。

2014年9月7日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第1日 2/3】 ホワイトハウスを巡る

 ユニオン駅から地下鉄Red Lineに乗り、2駅目ギャラリー・チャイナタウンでGreen Lineに乗り換え、次の駅チャイナタウンで降りた。地上に出ると、中華街のアーチがあり料理店が何軒か見られるなかをThe Henry Park Hotelを目指して歩いた。3時過ぎの日差しは強く汗ばんできたが、何とか踏ん張り、ホテルに辿り着いた。


 ホテルで荷ほどきをしてから一休みした。思いもよらないアクシデントに出くわし、緊張のため相当気疲れしていたようで、ぐっすり眠った。4時半を回るころに目覚めた。日暮れ前に見ておきたいと思い、ホワイトハウスを目指して、ホテルを出た。10th.St,を南に下り、New york Ave.を西南方向に歩き始めた。

2014年8月28日木曜日

2014アメリカ一人旅 【ワシントン第1日 1/3】 待合室に忘れ物、車掌のグッドサービス

5月31日(土)、ニューヨーク最後の朝、もう一度セントラルパークを散歩しておこうと出かけた。8番街を北へ歩き西南の入り口から公園に入った。すがすがしい空気を吸い気持ちの良い時間を過ごすことができた。ホテルに戻り、部屋やスーツケースの中を改めた。バックパックを背負い、スーツケースを手で押しながらえれバーターで1階に降りフロントでチェックアウトを済また。

 ドアを出たところで、ホテルマンにタクシーを頼んだ。通りかかったタクシーを呼び込み、スーツケースを運び込んでくれた。程なく、Penn Stationに着いた。エスカレーターで地階に降り、地下街・・・ほとんどがまだ店を開いていなかた・・・を通り、発券機と待合室を探した。ロータリーのようなところに待合室がありその前に発券機があった。Eticketをタッチして乗車手続きを済ませ、空いていたカフェでパンとコーヒーを買い、待合室に入った。待っている人は少なく、空いていたベンチに座り、パンを食べコーヒーを飲んで一息ついた。

2014年8月21日木曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第5日 5/5】 最後の晩餐

 ホテルに戻り、衣類を始め、これまで訪問先で入手したパンフレット類、土産品を整理し、旅行カバンに納めた。8時を過ぎて、ニューヨーク最後の夜、何を食べようかと考えながら、外へ出た。

 これまでステーキを食べていなかったので、それにするかと思い、適当なレストランがないかと探しながら、50St.を歩いていると、Bobby Van’s Grillというレストランの前を通りかかった。窓越しに中をのぞいてみると、席が空いているように見えた。一端通り過ぎたが、引き換えし、扉を押して中へ入った。
ポークチョップ


 ウエイターが席に案内してくれた。メニューを見て、あれ
これ思案して結局牛肉を避け、Pork ChopsRoseを注文した。運ばれてきたパンを口に入れたり、ワインと飲んだりして、主菜が出てくるのを待っていると、目の前の席に日本人と思われる中年女性2人が座った。何を注文したのかと見ていた。

 僕の方は、パンを食べ終わるころにようやくPork Chops・・・大きな骨つきのブタ肉をこんがり焼いたもの・・・が2本運ばれてきた。フォークとナイフで切り分け口に入れてよく噛む、これを繰り返していると、1本食べ終わったところでお腹が一杯になってしまった。  

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第5日 4/5】 ティファニーで小さな買い物、そしてMoMAへ

Momaの内部
 エンパイヤ―ステートビルを出て、5番街の一つ東の通りマジソン街のバス停からバスに乗った。57St,で下車、ティファニーに向かった。

 まず、1Fを見て回ったが、目的のイヤリングが見つからなかった。エレベータで3Fに上り、同じように見て回ったが、見つけることができなかった。そこで、やむをえず代わりに、小さな青い石を使った揃いのネックレスとブレスレットを買うことにした。妻に喜ばれるという確信はなかったが。

【余談】 帰国後贈ったが、いくつかの理由でもう一つ喜ばれなかった。ところが、二人の息子の嫁たちが見て、「似合っている」「ステキ」と言う言葉を聞いて気持ちが変わったらしい。ほっとした次第。

 ティファニーを出て今日の最後の目的地MoMAに向かった。5番街を南に歩き、53St.で西に曲がるとすぐだった。受付カウンターで「館内案内図とガイド」(日本語)をもらい、クロークにバッグとティファニーの買い物を預けた後、エレベータで5Fに上り、テラスに入った。歩き疲れて一眠りしたいくらいだったが、コーヒーと甘そうなFlourless Chocolate Cakeを注文して寛ごうと考えた。9ドルのチョコレートケーキは飛び切り甘く、歩き疲れから目が覚めるようだった。

2014年8月18日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第5日 3/5】 エンパイヤ―ステートビルからの眺望

エンパイヤ―ステートビルの入り口
 次の目的地、エンパイヤステートビルを目指して地下鉄に乗り、34St駅で下車し、33St.を歩いてたどり着いた。ビルの入り口当たりが外装工事中だったため、仮設の足場をくぐるようにして中へ入った。ご存知のように、ビルは1931に竣工したというからすでに83年が経っている。1986年にナショナルランドマークに指定されている。

 トップ オブ ザ ロックのように長い時間待つのではないかと思っていたが、入場時間の予約はなくすぐに中に入ることができた。写真奥の右側からエスカレータで上がり、そのフロアをひと回りするように、展望台へのエレベータの入り口になかなか辿りつけなかった。長い通路を歩く間には、ビルにちなんだ様々な雑貨や土産物を売るShopがあったり、壁に絵画や外観写真などを展示したりと、飽きさせないような様々な工夫が見られた。

 そうこうするうちにようやくエレベーターホールにたどり着いたが、ここまで来るのに30分近くかかったような気がする。

2014年8月11日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第5日 2/5】 チャイナタウンからニューヨーク大学へ

ブルックリン橋を渡り終わり、セントラルSt.を横切ったところがこんもりと木々が生い茂ったCity Hall公園で、そのなかにある市庁舎と呼ばれている建物を見学しようとした。ところが間違って教育関係の部署が使っている建物に入ったようだ。中には保育施設もあるようで、子どもの声が聞こえた。警備員が居て、観光は認められず内部に入れてくれなかった。あきらめて市庁舎公園を通りぬけ、中華街に向かって歩いているとフォーリースクエアに差し掛かった。それに面したNY City Supreme Courtの建物があった。入り口には警備員が数人配置されていた。Sightseeingというと入れてくれた。所持品の検査はしっかりやられた。丸いホールの上部が回廊になっていて、天井にはアメリカ建国史が描かれていた。ホールと回廊を一通り見ていたとき、法廷と思しき部屋の扉を押すと開いたので、中をのぞくことができた。事務官らしい女性がこちらを見たので、声もかけずに退散した。法廷をしっかり見てこなかったことは残念だった。
新婚さん

2014年8月5日火曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第5日 1/5】 ブルックリン橋をわたる

ブルックリン橋 ブルックリン側の起点・終点
5月30日(金) 今日はニューヨークで一日を過ごす最後の日である。スターバックスで、パンとコーヒーで朝食を済ませ、地下鉄1号線に乗って、マンハッタン島からイーストリバーを挟んだ東南方向の対岸に位置するブルックリンに向かった。途中、ChambersSt.で2号線に乗り換え、Clark St,で下車した。ブルックリン橋の起点を目指し、地図で通りの名前を確かめながらしばらく歩いて、ようやく目指す起点に至った。マンハッタンが来る車道とマンハッタンへ向かう車道の中間に歩道・自転車道が設けられていた。

 9時すぎ、いよいよ、ブルックリン橋に向かって歩き出した。歩道は、2本の自動車道の中間上部に釣り下げられていた。歩行用と自転車用は白線で区切られているだけで、自転車が来ないなら、ゆっくり歩くことはできたが、自転車はすごいスピードで走ってきたり追い越していくので、すれ違う際や追い越されるときは気を付けなければならなかった。ジョギングする人、散歩のような老人夫妻や若者のカップルなど多くはなかったけれど、橋をわたっていた。

2014年7月31日木曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第4日 3/3】 地下鉄チャンバーズ駅

チャンバーズSt.駅入り口
 地下鉄のWorld Trade Center駅が閉鎖中のため工事中のWTC1ビルの西側の通りを北へ進み、Warren St.で東に折れ、ウエストブロードウェイに出て少し歩いたところでChambers駅にたどり着いた。(右の写真)

【余談】 この駅は、地上から降りていくと、1号線、2号線、3号線の各ホームに乗り換えることができるコンコースがあった。女性のボーカルが歌う歌曲が聞こえてきた。どこで歌っているのだろうと見回わしたが、見つけることができなかった。何という曲であったかわからなかったが、不思議な気分でしばらく聞いていた。

 地下鉄1号線に乗ってホテルに戻り、1時間ばかり眠った。相当歩き疲れていたのだと思う。


 夕方目が覚めて、土産品を買うため五番街に向かった。ところが、目的の店舗はすでに閉店で、買い物ができなかった。もう一つ、ゴディバの五番街店では、妻から言われていたチョコレートを買った。6箱で合計87.08ドル(税込)と結構な買い物になった。

2014年7月29日火曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第4日 2/3】 ウォール街から9/11メモリアルミュージアムへ

下船後、Battery Parkという公園を通り抜け、Wall街に向かった。通りかかったトリニティ教会では、昼の礼拝が行われていた。この教会の前の通りが、Wall St.である。この通りに沿って、NYSEFederal Hall National Memorialなどの建物を見た。
NYSEは中へ入ることができなかったが、Federai Hallは内部をゆっくり見学することができた。


【余談】 Federai Hallは、初代大統領ワシントンが就任宣誓を行った地を記念する建物で、第1回連邦議会が開かれたという。現在は国定記念物National Memorialとなっている。円形のホールの隅にアメリカ建国初期の遺品を展示した大統領の執務室?や財務省の金庫に使われていたような部屋があり、非常に興味深かった。

2014年7月27日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第4日 1/3】 Liberty Islandに立つ自由の女神像

 Liberty Islandに立つ自由の女神像を間近かに見るため、8時過ぎホテルを出て、地下鉄1ラインに乗り、マンハッタン島南端の駅South Ferryに向かった。社内アナウンスを聞き違え、下りる駅を間違えたが、すぐに引き返し、予定の駅で下車した。
 
 バッテリー公園のなかを乗船場に向かってしばらく歩くとチケット売り場がある建物にたどり着いた。国内でインターネット予約をしておいたチケットを受け取った。レストルームで用を済ませ、いざ乗船と思いきや、乗り場近くの建物に導かれ厳しいセキュリティチェックを受けた。上着を脱ぎ、かばん類は中を確かめるなど空港と同じレベルだったが。

2014年7月26日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第3日 3/3】 The Phantom of The Opera 

 ホテルに戻り、少し体を休めた。短い眠りから目が覚めて、今日のメーンイベント、ミュージカルを見る前に劇場へ行きチケットを受け取ったあと、軽く食事を摂っておこうと考えて出かけた。
 
 マジェスティック劇場のチケット売り場では、出発前にインターネットで予約していたので、入場チケットを受け取ることができた。それから、ブロードウェーを北へ少し歩いて49Stの北東角の中国名のレストランに入ったところ、表の看板とは雰囲気が全く違うことがわかり、がっかりして外へ出た。向かい側のサンドウィッチ屋"MAJESTIC DELI"に入り、ツナサンドとコーヒーを注文した。時計を気にしながらそそくさと食べ終え、劇場に向かった。

2014年7月24日木曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第3日 2/3】 ダニエル・ラドクリフを目撃

出てくる人物を待つ人々
 METから5Th.Ave.をセントラルパークに沿って少しばかり南へ歩いて、79St.のバス停からM4バスに乗った。乗っている人々は高齢者が多く、東京で見る光景と余り違いがないなと思った。49Th.でバスを下りた。5番街の人の往来が多いところだった。48St.の通りで右に曲がり、ホテルのある方向に向かって歩いていると、7Aveの手前で、歩道の上に人だかりができているのに気づいた。何だろうと思って見ると、Cort Theaterという劇場の楽屋口の扉を取り囲むように大勢の人が集まっていた。前の車道には、大きな黒のバンが駐車していた。

 劇場の看板(右の写真)を見ると、よく知られた若い俳優の写真が3枚貼られていた。ひょっとするその人物が出てくるのかと考えついて、そばの男に看板を指さし、”He is here?”と聞くと、”Yes”という答え。これはこれは、今日の2つ目のトピックとして見ていこうと待っていると、ときどき歓声が上がる。しかしながら、別の人物だった。
【余談】 根気よく待っている人々は、若い女性が多かったが、男性もおり、子どももいた。そばの男は子どもの父親らしかった。それぞれが、スマートフォンとサイン帖のようなものを持っていた。

2014年7月21日月曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第3日 1/3】 メトロポリタン美術館

セントラルパーク 岩石がむき出し

 5月28日(水)朝、タイムズスクエアのスターバックで、コーヒーとパンの朝飯を摂ってから、7Ave.を北へセントラルパークに向かった。目指すところは、メトロポリタン美術館(MET)である。

 セントラルパークに入り、游歩道を歩き始めた。迷子にならないよう、地図を見ながら進んだ。マンハッタンの市街が岩盤のうえに築かれていることが、ところどころで岩肌がむき出しになっていることから確かめられた(右の写真)。


 歩き始めて30分くらい経ったところと思うが、大きな通りに出た。その通りを横切って進んだことが間違いであることに気づいたのはしばらく歩いてからのことである。地図で現在地を確かめると、5th.AveからPark Aveまで来てしまったようだ。そこで、改めて5th.Aveを目指して歩き、セントラルパークに戻ることができた。何とかMETにかたどり着いたのは、予定時間よりおよそ1時間遅く、10時を回っていた。

2014年7月20日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第2日 3/3】 ハーレム、コロンビア大学、そしてその界隈



  小一時間ほど眠って目が覚めた。ホテルを出て、地下鉄Cラインに乗り125St.で下りた。ハーレムの中心と言われるところである。125St.を東の方へ歩いて、アポロシアターを通り過ぎた交差点の北東の角に州政府ビルが建っていた。ハーレムの発展に貢献したアダム・クレイトン・パウエルJrという人の名を冠したビルである。その前が広場になっていて、一角にその人の記念碑(右の写真)があり、そばで二人の黒人がジャズを演奏していた。ハーレムらしいというべきか。

【余談】 125St.の南側を西に戻ろうと歩いていると、ある店のウインドウにセールのポスターが貼り出されていた。入ってみると、Levi’s501がなんと34.99ドル。こちらでは、セール価格は99セントで表すのが習慣のようだ。同じ型番のじーずがタイムズスクエアの店では78ドルだった(日本では1万円を超える)。買おうと思ったが、僕に合うサイズがなくあきらめた。


歩きながらやはり予定通りにと考え直し、そのままモーニングサイドAve.まで進み、その通りを南へ曲がり、コロンビア大学に向かった。
モーニングサイド公園に沿って、南の方向へしばらく歩いた。そろそろこの辺りではないかと思い、120St.と交わるところで、通りかかりの人に大学へ行く道を聞いた。指で指し示してくれた通り、この公園を横切り坂を登ると静かな街並みのところに出た。大学は近いに違いないと、地図を見ながら進むと、コロンビア大学TeacherCollege前に至った。その向かい側の入り口から、大学構内に入った。

2014年7月18日金曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第2日 2/3】 国連ビルからセントラルステーション駅

 12時を過ぎて昼飯の時間だったが、観光船中で腹の具合が少しばかり悪くなったこともあったので、様子を見ながら次の目的地へ向かうことにした。

 42St.を東西に横切って走るバスに乗り、国連ビルへ向かった。西から東へ進むに連れて、色々な人が乗り降りする様子や窓の外を観察したりしていた。ところが、レキシントン街を横切り、クライスラービルを通り過ぎた辺りから腹の具合が悪くなった(朝のカフェオレとマフィンが原因か)。我慢をして国連ビル前で下車し、とあるビルでトイレを借り用を足した。ほっとして、国連ビル前に戻り、ゆっくり歩いて見た。入り口辺りは職員が出入りしているものの、昼食後ののどかな雰囲気で緊張感は感じられなかった。(右の写真)


 Hotelに戻って休息するため、国連ビル前のラルフ・パンチ公園から43St.を西に向かって歩いていると、グランドセントラル駅に突き当たった。

 駅ビルの扉を押して入ると、大空間のコンコースだった。広々として、天井は高く、初めて利用する人はまごつくのではないか、中央部にある案内所で聞くほかないだろう。南側にチケット売り場、北側に列車ホームへの入り口が並んでいた。(左の写真:東から西方向を写す)

2014年7月17日木曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第2日 1/3】 サークライン・・・マンハッタン島を半周 

 5月27日(火)朝、前日の疲れか、時差ぼけか、目が覚めた時は8時を過ぎていた。急いで洗面を済ませ、9時過ぎにホテルを出た。ホテルのボーイにタクシーを呼び止めてもらい、サークルライン(観光船)の乗り場ピア83に向かった。

 チケット売り場で筆談を交じえてなんとか意思疎通をはかり、マンハッタン島を半周するSemiコース。で選び、NYシティパスと乗船チケットを交換した。(写真:チケット売り場は正面右側)

 それから、朝食に近くのレストランでカフェオレとマフィンを買い、岸壁のベンチに腰かけて食べた。回りには、ジョギングをする人がいたり、犬の散歩を兼ねて歩く人がいた。

2014年7月13日日曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第1日 3/3】 ニューヨークの夜景


トップ オブ ザ ロックの入り口
(その2に続く) 10時を過ぎ、トップ オブ ザ ロックの入り口(ロックフェラーセンタービルB1F)に行ったところ、すでに人だかりができていた。ガードマンがいて、人々の様子を監視していた。入り口上部に表示される時刻ごとに、係員がチケットを確認しながら一人一人を中へ導いている。(写真)

【余談】 この入り口の前に、ファストフード店があった。結構買う人で賑わっていた。若い男が、練って作った生地を細長く伸ばし、渦巻き状にしたり、ソウセージに巻いたりして、オーブンで焼いて出しているのだ。どのような味がするのかと興味をそそられたが、ザロックの入場が始まったので、買わなかった。

 10時20分、入り口に入って、エレベータで上層階(2Fか、よくわからなかったが)へ登り、降りてから廊下を延々と歩き、ようやくトップ オブ ザ ロックへ上るエレベータにたどり着いた。2台で交互に運行しているようだ。67階まで一気に上昇。扉が開いて、ガラス張りの室から、外へ出た。

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第1日 2/3】 トップ オブ ザ ロックへ

ロックフェラーセンター前広場
夕刻、Hotelを出て、トップ オブ ザ ロックに向かった。ザ ロックがあるロックフェラーセンターの入り口とチケット売り場を探すのに相当時間がかかったうえに、国内で予約してきたNYシティパス(7種類の施設・サービスを利用できるセット券)の交換に予想以上の時間を費やすことになった。係の女性との会話はできないので筆談でやりとりするけれども、なかなかはかどらず、後ろで並んでいる人のことも気になったが、なんと2220分に入場できるチケットを手にすることができた。入場時間まで相当な時間があるので、一端地上に出たところ、明かりが灯り始めたロックフェラーセンター前広場では、大勢の人々が寛いでいた。 


 まずは夕食をと、西へ少し歩いて6Ave.を越えたところで見つけたレストランDel Friscoに入ったマグロウヒルファイナンシャルビル1階)。テーブルに案内され、中年のウエイターが、真っ白のクロスの上に水と大きな皿とナイフ、メニューを置いておいていった。しばらくして、合図をするとテーブルに来て、レクエストを聞いた。僕は、メニューからツナセサミとポートワインDow’s Tawny(20年もの)を注文した。パンを皿に置きに来た後、ワインをグラスに注いで行った。

2014年7月12日土曜日

2014アメリカ一人旅 【ニューヨーク第1日 1/3】 JFK空港からマンハッタン・タイムズスクエアへ

  5月26日(月)10時:45分、NY・JFK空港に着陸した。およそ12時間半、ほぼ定刻であった。

AirTrain
JFK空港からはエアトレインAirTrainに乗り、終点ジャマイカ駅まで行った。(左の写真)
 そこで、Metro Eラインに乗り換えた。地下鉄のMetroCardを買うのに、自動販売機の操作がなかなかうまくいかず、しかもクレジットカードが認識されなかったため、手間と時間がかかったが、駅員の助けで何とか手に入れることができた。(運賃20ドル、手数料1ドル、MetroCardは、追加チャージができる)
 目的の50St駅.まで20余りの駅がある。車内アナウンスを聞こうと注意していたが、殆ど聞き取れなかった。窓上に表示される路線図と駅ごとの駅名表示板に見て、今どのあたりを走っているかを確かめたり、乗り降りする人々の様子を見たりしながら時間を過ごした。人種、老若、男女、実に様々だ。スーツ姿は、ほんのわずかしか見受けなかった。
 1時間近く進んだところで、ようやく50St駅.に着いた。そこで下車し、ジ エジソン ホテルThe Edison Hotelまで8Ave.を3ブロックばかり南へ旅行カバンを引きながら歩いて行った。ホテルは、47St.に面して大きな看板があり、すぐに分かった。回転ドアを押して入り、フロントで予約券を見せたところが、着いた時間が早かったため、3時までチェックインできなかった。

2014年7月9日水曜日

2014アメリカ一人旅 ニューヨーク、ワシントン、そしてシカゴ


 私は、去る5月26日から6月4日まで、アメリカ・ニューヨークとワシントンを旅行した。その旅日記を記したいと思う。

成田空港出発ロビーから

 5月26日(月)11時過ぎ、成田空港においてANA・NH010便に搭乗し、離陸、NYへ向かった。これから12時間半余りの長い旅が始まった。事故なく帰国できるようにと祈った。 エコノミークラスは、ほぼ満席のようだった。窓側2人掛の通路側を予約したが、窓側には大きな体の若者が乗っていて非常に窮屈そうだった。(右の写真)